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【続報】カミラ・ワリエワ(Kamila Valieva)事案のアンチ・ドーピング規則上の整理

一昨日、この問題に関する記事を書きました。
その段階ではプレスリリースしかなかったのですが、その後、決定書の全文が公開されたため、続報を書くことにしました。
決定文はこちらです。

一昨日の投稿では、決定の核心となる部分を、

「大雑把にいうと「そもそも暫定的資格停止処分はなされるべきではなかった」というもので、その理由としては、アンチ・ドーピング規則上「要保護者」であるワリエワについて、本件の事情のもとでは、暫定的資格亭処分を課す根拠となる規程は適用されないのだ、というものでした。このリリースに対する意見はあるのですが、リリースの段階で私見を述べるのは控えて、後日詳細が発表されるのを分析したいと思います。」

と紹介しました。
今日紹介したいのは、まさにこの部分です。

前回の議論でも紹介したとおり、

「ドーピング検査で「陽性」となった場合、原則として(※)強制的に暫定的資格停止処分となり、試合などに出場できなくなります。」「取り消すことができるのは、禁止物質の検出が汚染製品(例えば問題ない薬品やサプリメントに製造過程で混入していたとか、食品などに混入していたなどの場合です)の可能性があることが競技者によって証明された場合」

です。
説明を簡単にするために前回の投稿では(※)部分の説明を省略していましたが、今回は議論の前提になるので少し踏み込みます。
アンチ・ドーピング規則上、禁止物質には「非特定物質」と「特定物質」という概念があります。簡単に言えば、「非特定物質」は重い処分が、「特定物質」は軽い処分が前提となっている物質です(注1)。暫定的な資格停止処分との関係では、非特定物質の場合は強制的(必要的)、特定物質の場合は任意的に暫定的資格停止処分がなされることになっています。今回ワリエワから検出されたのは、非特定物質(注2)です。

これについて、決定文における解釈論の中心部分は、パラグラフ194~196です。そのロジックは、概ね以下のようなものです(これは和訳ではなく、私が理解したところを、できる限りわかりやすく、日本の法のことばに書き直して記述したものです。直接の記述は原文をご覧ください)。

たしかに、アンチ・ドーピング規則は、非特定物質が検出された場合の暫定的資格停止措置を強制的なものとしている。そして、それが取り消される場合を「汚染製品」の可能性があることを立証した場合等(注3)に限定しており、「要保護者」に関する特段の規程は置いていない。
しかし、強制的な暫定的資格停止処分の立法趣旨は、非特定物質が検出されたことに対する違反の制裁は「重大な過誤または過失」がない場合であっても最短で資格停止1年であり、「過誤または過失」がなく資格停止が科されないというごく例外的な場合を除いて1年以上の制裁となることから、制裁措置が課されるまで暫定的に資格停止処分を科しても、原則として競技者に不利益はないという点にある。反対に、「汚染製品」の場合は「重大な過誤または過失」がなければ最低で資格停止を伴わない譴責という軽い処分もありうるため、その可能性がある場合には暫定的資格停止処分が競技者に対する不当に長期間の資格停止措置になってしまいかねない(暫定的資格停止処分は制裁ではない)ので、その可能性がある場合には強制的な暫定的資格停止処分を取り消すことができるものとしたのである。
他方、「要保護者」に関しては、アンチ・ドーピング規則上、「重大な過誤または過失」がない場合、当該禁止物質が「汚染製品」でなくとも最低で資格停止を伴わない譴責となることが認められている。つまり、「重大な過誤または過失」がない事例において、「要保護者」の検体から非特定物質が検出されたときの法定刑は、要保護者でない者が「汚染製品」の立証をした場合と同じである。
以上を前提に検討すると、アンチ・ドーピング規則を形式的に適用した場合、「要保護者」は「汚染製品」の立証が不可能である場合でも、「重大な過誤または過失」がないことが立証できれば資格停止期間の幅は要保護者以外の者が「汚染製品」の立証をした場合と同じとなるのに、「要保護者」には暫定的資格停止処分を取り消す手段がないこととなる。「重大な過誤または過失がない」と評価される事案は実務上多くあるところ、「要保護者」については「汚染製品」が立証される場合と同様の軽い措置がなされる可能性があるのに、暫定的資格停止処分を除去する可能性がないのは均衡を欠くし、暫定的資格停止処分が競技者にとって不当に長期の資格停止措置になってしまう可能性もある。これは、要保護者について、その未熟さ等を考慮して寛容かつ柔軟な取り扱いを試みた2021年コードの趣旨に反するものというべきである。
以上の検討から、「要保護者」については、非特定物質が検出された場合であってもなお、強制的暫定的資格停止処分を科するための条項は適用されず、暫定的資格停止処分は、任意的であると解すべきである。

そして、本件事情のもとでは、ロシアのアンチ・ドーピング規律期間が暫定的資格停止処分を取り消したのは正当だとしたのです(注4)。

これに関してWADAはかなり強い言葉、例えばそれは司法による法の書き換えではないかという批判をしています。「法の書き換えなのではないか?」との疑問は意識していたようで、決定文のパラグラフ200~201あたりであらかじめ弁解しています(注5)。

さて、リリースの段階で私はかなり決定の要旨に驚きましたが、内容を見ると、なるほどロジックとしてはありうるなと思いました。他方で、WADAによる批判も十分説得力のあるものだと思いますので、
これが解釈論の域を超えているか、解釈論として正当かが問題になろうかと思います。今後の議論の集積を待ちたいと思います。

(注1)非特定物質は、競技力向上のために使用されやすい物質です(例:筋肉増強剤)。他方で特定物質は、競技力向上のためには使用されにくい物質です(例:風邪薬に含まれる興奮剤)。
(注2)トリメタジジン。
(注3)ほかに「濫用物質」に関する要件がありますがここでは省略。
(注4)もっとも、ロシアのアンチ・ドーピング規律期間がCASと同じ解釈を取ったわけではないので、我が国の上訴の用語でいえば「結論において相当である」という形でしょう。
(注5)司法機関は法の解釈適用の権限を持っていますが、法の書き換えをすることは当然許されません。

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