僕は僕のなりたかった大人になれただろうか。
定期的に、タイトルのような考えで一日が支配されてしまうときがある。
今日だ。
満員電車から吐き出された時、眼の前にあった鏡を見て疲れてはいないが普通のおじさんになった自分の顔が映っていた。
自分の顔を見ると、嘘をついて生きているのが自分自身思い知らされてしまうので、あまり見ないようにはしていたのだが、見てしまって、ふとこんな大人にナリたかったのだろうかと考えてしまった。
僕は昔いろんなものになりたかった。
ギター職人、プロのミュージシャン、医者、花屋さん、音響屋、お金持ち。これらは、みんな僕を大切に扱ってくれた人たちが実際に就いていた、職業や、ステータス。
15歳に満たない、僕には彼らがかっこよくて、楽しそうで、僕は彼らのようになりたくて、今まで頑張ってきて、実際、ギターの職人や、ミュージシャン、音響などは実際にお金を稼いで、生活することができた。
実際なってみて、僕が実際に感じたことは。
「これじゃない」
なぜ、そう感じたのかというと、毎日怒られたり、うまくいっても誰もリアクションしてくれるわけでもなく、それ自身が楽しいわけではなくて、当時の彼らの気持ちを少しも味わうことができなかったのだ。
大体、彼らが好きなことをこれっぽっちも実は好きじゃなかった。
僕は見様見真似で、彼らの真似をして褒めてもらえたり、自分の存在を認めてもらえるから楽しかったのであって、とてもじゃないけど、そのもの自体が好きなのではなかったのだと今26歳になって、気づいてしまった。
そして、彼らは実際にその仕事の作業自体を意味を持って大切にしていて、且つ自分自身が楽しかったのだとは知らなかった。
僕は自分が好きなことは何一つ知らないのかも。
僕は周りに認められんがために、周りが求めるものを練習し、うまくなってきた。
楽器に至っては、かなりうまくなることもできた。
但し、才能はあるわけじゃないから、いろんなもので、補う必要はあって、
特に楽器は音感が無いから、同級生の音楽科に楽典の内容を教えてもらいどうすれば音楽的になるのかをロジックで、覚え、特にリフに至ってはコピーアンドペーストで、使えるフレーズを山程覚えて対処した。
音響も、いつまで経ってもチューニングができなくて、スペクトルアナライザを使うことで、足りない部分を補った。
ある一定、他の人よりもうまくなった部分はあるが、そうした付け焼き刃が通用するわけでもなく、仕事では熱意が無い人の浅い知恵ではなんともならなかったのだ。
なんともならなくなったあとで、僕自身は特に何か熱意があるわけでもなく、好きなものもなく、要領の良さだけで保っていた自信もなくなっている。僕は何が好きなのか自分でも今わからないし、端的に無いのだと思う。
今後どうしていくのか。
僕は今から、自分が好きだと思えることを探していく必要があるのだと思う。
人から好かれるためにやることではなく、自分が自分で好きで愛せることを探していくべきなのだろう。
そのためにはたくさん今から経験したいと考えている。
僕が今までやってこなかったこと、僕が今まで知らなかったこと。
花屋さん、飲食店、自給自足で生活する、海外で生活する、夜の世界を歩いてみたり、やったことのないことなんて山程あるけれど。
その中から、僕が愛することができる。大切にできることが見つかると期待したい。
その中で、僕がなりたかった大人に遅ればせながらなれたら、昔の自分も納得してくれると思う。
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