怪文書(2022/04/08)

私の苦手な人々

 私は、一人で行動できない人が苦手です。この「一人で行動できない」というのは、「誰かに支援してもらわなければ何かをできない」だとか、「誰かと協力しなければ何かをできない」という意味ではなく、「一人で行動するのが恥ずかしいから、誰かが一緒に居てくれなければ何かをできない」という意味です。

小学校の思ひ出

 小学生に上がってすぐの頃、私は「とにかく、新しい友達が欲しい!」と思っていました。どこかから植え付けられた、「友達を増やすのはいいこと」という風潮に踊らされていたのか、はたまた単に保育園で友達と遊ぶ楽しさを覚えたからか、今となっては謎です。

 小学校は1学年につき1クラス、30人程度しか居なかったので、自然と全員と友達になりました。しかし、小学4年生の頃に、「一人っ子で金が余っていて面白い玩具を持っているから家にクラスメイトが集まるだけで、本人は別に面白くないし、むしろ常に傲慢で不愉快な人間」と喧嘩をして、その人の家には実質行けなくなる時期がありました。

 クラスのイケイケの人たちを餌で釣っている彼奴は、敢えて私だけを呼ばないで彼らだけで遊ぶ日が増えました。私は他の友達と遊ぶので全く問題なかったのですが、少しすると彼奴は私の周りの友達を積極的に招待するようになり、次第に頻度は高くなりました。そうなってくると、当時の私は流石に困るわけです。

 当時の幼い私は、「誰かと一緒に遊ぶこと」や「地位の高い人間と遊ぶこと」が正義だと思っている節がありました。その反対は、悪で、恥じるべきこととまで思っていたかもしれません。そんな私が普段遊んでいる友達と遊ぶことができなくなり、ほとんど自分だけが取り残されている状況はとても辛かったと記憶しています。

 そんなある日の放課後、いつものように彼奴は家にクラスメイトを集めようとしていました。その時、イケイケのクラスメイトの人が、「仲間はずれにするのは可哀想だから、彼奴に私を家に招待するように」と説得してくれました。階級的にイケイケに逆らえない彼奴は渋々承諾し、僕を家に入れることを許可してくれるようになりました。

 正直なところ、私としては彼奴と遊びたくなどないので、彼奴の家に行きたくはなかったのですが、一応礼を言ってその日は遊びました。ですが、全然楽しくなかったです。嫌いな人間と一緒に居ることほど嫌なことって、実はそれほど多くはありませんよね(笑)。

 以降、悪質な「友人囲い込み作戦」などはされないようになったので、結局私は私の気の合う友達とだけ遊ぶようになりました。もっとも、その時私の中には「イケイケのクラスメイトと遊べるから」という理由で、実質的に私が参加できない、私に対する悪意によって用意された場所で遊んでいた友人たち、引いては人間たちに対する不信感が芽生え、順調に育つことになりましたが…(暗黒微笑)。

 しかし、もし私が私を傍観している立場のクラスメイトであったら、私は彼奴に追随...とまでは言わなくとも、自分の利益が一番になる方法を選び、共に遊んでいたことでしょう。だから私は赦そう…

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 以上のように、子供の頃に属する世界は極めて狭く、集団に同調することは不文律となっており、もし村八分にされれば、それは世界からの追放を意味します。疎外感や孤独感によって耐え難い苦しみを味わうことになるのです。

 翻って、世界が広くなったはずの年増の人間共が、まだ子供の頃の私と同じ罠に引っ掛かっているのは、真にドアホだと思いますね。見識が狭い証拠?あるいは未だに恐れているのか?迷信を。まあ、とはいえ社会的には現実化しているに近いが、迷信を信じるドアホ共に、眼の曇った奴らに自身の鑑定を求めるなんてドアホだと思いますね。自分くらい自分で測ろう!

中学校の思ひ出

 中学生の私は、おそらくクラス内で若干浮いていましたが、同窓会で会ったクラスメイトに「教室の隅の人気者」という印象だったと言われたので、そんな感じのポジションにいたのだと思います。

 そんな私でしたが、イケイケのクラスメイトたちとも仲良くやっていました。しかし、中学校生活の終わりも近い、高校入試の、前期日程の日に不穏な事態が生じました。

 群馬県の公立高校の入試は、前期と後期に分かれています。前期の試験では、主に評定や作文、面接で合否が決定されます。後期の試験では、ほとんどの高校が評定や面接は補助的に扱われ、主に筆記試験で合否が決定されます。私は評定平均が低いので、どうせ前期には受からないだろうと考え、後期試験だけ受けました。(ちなみに、受験生は前期も後期も両方受けられるので、普通はどちらも受けるようです)

 前期日程の日、私立受験のみの人たち数名と、私だけが学校に来ていました。授業は実質的になく、午前で下校となりました。私は暇だったので、私立受験の人と一緒にゲーセンに行きました。

 当時、クラスLINEは毎日のように盛況でした。午後を過ぎるとLINEには「前期絶対落ちたわ…」的な話をしているイケイケのクラスメイトが現れました。

 私は心底どうでもよかったので、ゲーセンで2000円強かけて獲った艦これの島風のマグネットシート的な物の写真をクラスLINEに送り、「破産した」だとか、「ゲーセン楽しい~w」的な話を始めました。

 すると、何故か先方がおキレになり、私は退会させられました(正当な手続きもなしに!)。まあ、これもどうせそういうネタだろう。そう考えた私は、一緒にゲーセンに行った人にクラスLINEに招待するよういいました。

 しかし、少し経って、招待しないで欲しいと先方に言われたとゲーセン君からLINEがあり、私はそこそこ驚きました。「え、マジでキレちゃったやん…」と思ったのですが、「クラスLINEから退会させて村八分にする」ことが制裁になると思っている人間に屈することが嫌だったので、そのままにしました。

 この時には既に、アニメ、漫画、ラノベに熱中する楽しみを明確に理解しており、暇を潰す方法なら他にいくらでもあり、別に自分の意志を犠牲にしてまで他人に同調する必要はないことも理解していたからです。結局、2週間後くらいに先方から謝ってきて仲直りしてクラスLINEにも復活しました。めでたしめでたし。

 ちなみに、私は秘密裏にクラスLINEにサブ垢を突っ込んでいたので、退会させられた後も一部始終見ていたのですが、好奇心からそれを覗いてしまい、とても不快な気持ちになったことを今でも憶えています。

 といっても、そのほとんどが無言だったんですけどね…。私に対する悪口も1件を除いて言われていないにもかかわらず、私の退会に対する反対意見もそれほど出ていないというのが、自分の価値を表しているようで嫌な気分になりました。

 退会させられた後、3年生が休みの期間があったり、大雪で数日休みになったり、僕がかねてからサボろうと決めていた期間があったので、クラスメイトたちに会うのは少し経ってからでしたが、彼らはいつも通り私の周りに来て、話をしても、内心では別にどうとも思っていないのだなと感じ、人間不信が急激に悪化したのは内緒。

 まあ、クラス内ヒエラルキー最上位みたいな人が俺を退会させた張本人だから、仕方ないのかな…。あ、俺が空気を読まなかったのも斟酌されたか。てへへ。

 まあつまりですね、今回のお話で何が言いたいのかと言うと、私は空気を読まないガイジです。ということです!気をつけてください!

まとめ

 冒頭では苦手とかいう優しい言葉で表現したけど!本当は大っ嫌いなんだよ俺は!何をするにも誰かと一緒じゃないと嫌で、その理由が、独りで行動することは、誰かと一緒にいないことは恥だとか考えている思慮の浅いド間抜けバカチンポ共が!分かってるよお前らのそれが本能的な習性だってことはよ!でもそんなのは、一人でいることを恥だと思う浅ましい誤謬は、我慢する必要もなければ、認識を変えるだけで簡単に改善できることだって、そんなことくらい分かれよマザーファッカー!死ね!!!ゴミ!!!!!!!!それでもなお!俺は人間を受け入れる!!!!!!!

 あ、ちなみに、私が長いこと患ってきた「人間不信」って、いいことないんですよ。マイナスが避けられるようになるだけで、プラスと巡り合う機会を逃すものだと私は考えます。だから、人間を信じないとかいうつまらないことやってないで、人間を見る目を養って、あとは寛容な心を手に入れることが大事なんだと思います。だって、大した人間じゃないでしょう。誰も彼も、あなたも私も。期待をするしないではなくて、一定の寛容の余地を持つことは、楽しく生きるうえで必要なことだと私は思いますよ。あ、茅野愛衣は大した人間ですけどね。

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