怪文書(2022/07/09)
研究計画書を書いていて、私が心の底からやりたいことなどないのだと気付いた。
ただのんびりと過ごしていたいという心があって、ただのんびりと過ごしているべきではないという心がある。
ただのんびり過ごしていたら、私の生きる意味を創れない。私は私の生きる意味を創らなければならないのだから、ただのんびり過ごすべきではない。と私が言うのだ。
更には社会が私の怠慢を許さない。実質上の義務のような期待が、社会から発せられ、家族や友人などの窓口を通じて私に波及する。安定した収入と、結婚、そして子孫を残して教育すること。
どれも社会を維持するために欠かせない要素であるから、その一員として生を受けた私が担うべき仕事なのだろう。
社会の圧力から逃げ出してしまいたい。しかし私は既に社会に毒されているから、孤立無援では生きられない。それに、期待に応えたいという思いも少なからずあるのだ。
社会の一員として生きるだけで、私は私の生きる意味を創れるのだろうか。それでは足りないのだと思う。しかし、足りるくらいの何かを私は出来るのだろうか。
今は出来る気はしない。どれだけ理想に酔いしれようと、私の背後の陰からは、現実という名の絶望がずっと私を覗いているような気がする。私はいつまでも後ろを気にして、前向きな振りをするのだろうか。
私はずっとこのままなのだろうか…。
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