一念三千論の典拠
「観心本尊抄」の冒頭は、『摩訶止観』の引用からはじまります。
一念三千論の典拠を示す文ですね。『摩訶止観』には、「一念三千」のことを縷々述べているのかと思われるところ、実際は、そうではないようです。
とのことです。『摩訶止観』は、なかなかの大部の書ですが、一念三千論に関わる記述は、「観心本尊抄」冒頭に掲げられたこの箇所のみというのですから、ほんの数行です。『摩訶止観』の現代語訳でも1ページに満たない分量です。
この『摩訶止観』の文にしても、よくよく読みますと「一念三千」とは書いていません。
というのですね。天台は、「一念三千」と明確に言っておらず、文献による限り、「一念三千」と命名したのは妙楽ということなのですね。
日蓮仏法において「一念三千」は重要な法門ですが、名目からすると天台からではなく、妙楽からということです。
もちろん、一念三千論は天台からですが、一念三千論について述べているのが「観心本尊抄」で引用されている部分だけという薄さを考えますと、「一念三千」を深めていったのは、妙楽、日蓮であったといえるでしょう。
仏教の歴史を考えますと、後代になるにつれ、法門が豊潤になると見てよいかと思います。
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