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トニー・ブレア「私の履歴書」から政治を観る:マキァヴェッリの言葉に学ぶ
たとえ政府が正しくても、いったん世論が機嫌を損ねると、政府が正しいかどうかはどうでもよくなってしまうのである。
世論とは民衆のことと思いますが、トニー・ブレアは、民衆の絶大なる権力に気付いている有能な政治家だったようですね。
首相という最高権力者であっても、民衆の機嫌を損ねると自分が正しくても為す術がないということです。
これは、現代だけの話ではなく、マキァヴェッリが
結論として述べておきたいのは、ただ一つ、君主は民衆を味方につけなければならない
と言うように、中世の時ですら、民衆には絶大な権力があったということですね。
民衆に絶大な権力があるということは、いいことのようにも思えますが、危なっかしいともいえます。
トニー・ブレアの指摘のように、民衆が正しい正しくないではなく、機嫌がいいか悪いかで物事を判断していては、結局、民衆にとっても得るところはないでしょう。
中世と違い、現代は、より一層、民衆の権力の影響力が強い時代です。民衆がいつまでもレベルの低い状態では、為政者は何もできないと共に、民衆の中から為政者になろうとする志のある人間も出てこないでしょう。
民衆ひとりひとりの地道な努力が善き政治を生みます。政治に何かをしてもらうのではなく、政治に何かを与えるほどの民衆でありたいものです。間違っても、政治にたかるようなみっともないことはしてはいけません。
私は指導者のポストはなにがしかの気迫を持って獲得しなければならないと感じていた。機が熟したときではなくつかみとるのだ。年功序列のリーダー選びは最悪だ。
この発言の通り、トニー・ブレアは、43歳でイギリスの首相になっています。順番を待つのではなく、自ら獲得するという姿勢です。特に、国のリーダーには、トニー・ブレアのような姿勢が求められます。
マキァヴェッリが
他人に勢力を得させる原因を作る者は自ら滅びる
と厳しく言うように、自分自身が責任を持って勢力なりポストを得ていかなければなりません。人任せでは自分の出番が来る前に排除されてしまいます。
トニー・ブレアがこのマキァヴェッリの言葉を意識していたかどうかは分かりませんが、いずれにしても、トニー・ブレアの行動は、マキァヴェッリが注意した点を忠実に守っています。
政治の世界は、子供の遊びではないわけですから、マキァヴェッリのような冷徹な視点及び冷静な行動は絶対に必要です。
年功序列でリーダーを選んでよい組織であれば、それでよいでしょうが、国家レベルの政治の世界においては、外国との壮絶な交渉もあり、年功序列のリーダー選びで良いリーダーを選ぶのは無理があるように思えます。
その時に応じたリーダーを選ぶという姿勢でなければなりません。このことは、若ければよいということを意味せず、場合によっては年配者にリーダーを任せるという選択肢を残しています。
いろいろなリーダーのパターンを許容する国民であれば、時機に適ったリーダーを得ることができるでしょう。国民も、あまり短絡的にならず、冷徹に政治を観察するのがよいでしょうね。
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