国って何だ?シーランドと政治
シーランド公国をご存じでしょうか。
某国擬人化漫画で取り上げられたことがあるので、何か聞いたことがある、概要は言える、という人も多いかもしれません。
しかし…「シーランドは国として認めてもらえていない」を知っていても、それはなぜ?を説明できますか?
シーランド基本情報
シーランド公国はイギリスの近くにあります。
細かい歴史はwikpediaに譲るとして、ざっくり言うと
「イギリスが第二次世界大戦中に作った海上要塞(人工島)を占拠し、独立国家を名乗っている」
「今のところ、他国からハッキリと国として認められたことがない」
のがシーランド公国です。
なぜシーランドは国ではないと言われるのか?
さしあたっての理由
ではなぜ他国はシーランド公国を国と認めないのでしょうか?
wikipediaを初めあれこれ調べてみたところ、日本語のサイトで転がっている情報だけだとこんな感じです。
①モンテビデオ条約というのがあり、その中で国の条件として「領域」がある。
②領域とは、領土・領空・領海のことである。
③国連海洋法条約では、「島」を自然にできたものと定義している。
④したがって、島と認められないシーランドは、領域がないので国ではない。
……いかがでしょうか。皆さま、これ読んで「へ~そうなんだ納得!」ってなりましたか?私はなりませんでした。主に③から④、飛躍しすぎでは!?
モンテビデオ条約は一般的な国際法、ではない
先の説明にはやや誤りがあります。
そもそもモンテビデオ条約はイギリス周辺と無関係なので、条約で定められている=絶対的ルールでは全然ないのです。
モンテビデオ条約は、南北アメリカ大陸のあたりで結ばれた条約で、シーランド公国はもちろん、ヨーロッパの国は加盟していません。条約というのは本来は合意した国同士の間の約束事なので、そこに書いてあってもヨーロッパには何の影響もないわけです。
ただし、モンテビデオ条約は、それまでに世界で論じられてきた「国とは何か?」をスッキリとまとめていたため、世界の「常識」として持ち出されます。
ですから、本当は「モンテビデオ条約に書いてあるから」ではなく、「世界の常識としてまあそういうことになってるんだけど、これを明文化したのがモンテビデオ条約っていうやつでね」という話になります。
で、そのモンテビデオ条約では、国の条件として
(a)永続的住民
(b)明確な領域
(c)政府
(d)他国と関係を取り結ぶ能力
を挙げています。「常識」として取り上げる場合には、cdを1つにまとめて全部で3つとすることも多いようです。
島でなければ領土でない?
さて、最大の問題は論理③から④への飛躍、つまり島ではないなら領域ではないのか?です。
そもそもキホンに立ち還りますと、まあ普通に考えて領土・領海(正式には領水と言って、川なども含む)・領空という区別はある意味でとても分かりやすいです。目で見て掴める範囲とも言えます。
で、この領土・領空・領海の3つは実は対等ではなく、領土がメインで考えられている、という話があります。
つまり、領土の上空が領空であり、領土から伸びる海が領海であって、内陸国で海につながっていないのに領海を持っていたり、ある国の上空だけを別の国が持っていたりというのは考えられていないわけです。あくまでも土地があるから、その上や横も管理しますよと。
歴史の授業でロシアが南進して不凍港を得ようとした話を聞いた覚えがあるかもしれませんがあれも、領土が不凍港に面していなければ領海にできないということなんですね。
ちなみに地下はどうやら地表面とある程度一体で考えられるようです。まあ、どこの地表面も経由せずにいきなり地下に展開するのは難しいですもんね(しかし、一生地上に出ない覚悟で独立を宣言したらどうなるんだろうか)。
さて話が戻って国連海洋法条約。これは海のことについて定めた条約で、地域を問わず広い国や地域が加盟しています。先のモンテビデオ条約とは違い、ヨーロッパにも関係のある条約です。
と、ここの1で「自然に形成された陸地であって」と書かれているので、人工島は島ではありません。論理③は本当です。
しかし、島ではない=領域ではない、とは言えないのではないか?それは領土ではないのか?という③から④への飛躍の疑問があります。
が、海洋法条約には「人工島」に関する規定があり、
海洋法条約では人工島は「施設」の一例であり、領海を持つような領域の一部とは考えていなさそう。というのがどうやら③から④の飛躍の陰にありそうです。
(※「〇〇その他の××」は、〇〇が××の一例であることを示します。「〇〇その他××」であれば、〇〇は××とは別で、並列です。これは法学上のお約束です)
判例は実は…
と、いうことで。
ててん。ここに判例があります。
この話、ドイツ人がシーランド公国民になったことを理由にドイツ国籍を捨てようとしたが、ドイツの裁判所はシーランド公国が国として成立していないことを理由に認めなかった、という判例です。
この中で主に言われているのは
①永続的住民がいない
②領土とは地球表面でなければならず、シーランドはそうではない
です。②ですが、様々な学者の説を引いて説明しています。
またここでは、②についてシーランド側に寄った説を、領土から接続した部分についてではなく、人工島それ自体が領土かどうかを争っているということを理由に退けています。
それは「他国がつくった人工島を領土とした」という過去に例のない事態に直面して、単純な「人工島≠領土≠国」という図式ではなく、判断に様々な揺れがあったことを示しています。
ところで、このドイツ人に関する判例は、シーランドに関する最初の判例と言われています。というのも、この人工島はイギリスの領海の外にあり、かつ、本来その管理権を持つはずのイギリスは領有権を主張しなかったからです。イギリス仕事しr…イエ、何でも。
シーランド側はこれをもってイギリスの承認があったと言っているという説がありますが、ところで承認とは?
国家の承認と政治のあれこれ
なぜ承認が必要か
国は別の国を国として「承認」することができます。承認しないこともできます。最近では南スーダンなど、独立が起きたときなどに、新しい独立したところを国と認めるか?みたいな問題が発生するわけです。そしてシーランド公国は、どの国からもハッキリとした承認をもらっていません(承認自体は、行動で示すことによっても有効と考えられています。しかし、どんな行動が承認を示すのかは明確ではありません)。
しかし、承認の効果は現在、一般的な認識として「宣言的効果説」です。最初に挙げた「常識を明文化したモンテビデオ条約」もハッキリと「国の政治的存在は、他国による承認とは無関係である」と明言しています。
誰からも承認されていなくても、国は国である。というのが、現在の世界の立場なのです。
であれば、誰からも承認されていないシーランドも、国であるのか?
なぜ承認されていないことが問題になるのか?
実際には、「承認しなくても国である」といくら言ったところで、この世界で国として生きていくにはある程度の(ハッキリしていないとしても)承認が不可欠なのです。
それは先の判例のドイツ人が国籍離脱を認められなかったことや、パスポートの有効性、国連などの国際的機関に入れるかどうかなどに現れてきます。つまり、いくら国だと主張したところで、誰も認めてくれなければ、事実上国際的な国としての関係を結べず、叫んでも見向いてもらえないポツンになるということで…某漫画はその辺を上手く描いていたような気はします、チラ見しただけなんですが。
でも実は、承認の在り方は…そして国際法そのものは、かなり政治的なのです。
一貫しない国際法
ドイツ人の判例で、①永住的住民がいない、というのがありましたね。
判例は
「シーランドは人間の生まれてから死ぬまでのニーズを満たしてないじゃん、教育機関もないし!」みたいなことを言っています。
……ところで皆さん、バチカン市国って学校がないんですよ。そもそも住民がほぼ聖職者ですし。永住的住民…?
世界一小さい国としてバチカン市国を習ったと思いますが、シーランドが認められればシーランドの方が小さいらしいですよ。
国として承認を出すかどうかは義務ではないので、シーランドについても「触らぬ神に祟りなし、余計なことはしないのがいちばん」と黙っている国があるんじゃないかと推測されます。「え?おまえそっちに着くの?へえ~」と思われたくないわけですよね、シーランドに着いたところで特に大きなメリットがあるわけじゃないですしね。一方、バチカン市国については、過去の歴史的経緯も含めて「あれは国でいいじゃん?いいってことにしないと成り立たないし…ね?」という話になっていると。
結局は政治的な思惑と無関係ではいられない。それが国際法のようです。
まとめ
・シーランド公国は、どの国からもハッキリと「国です」と認められていないが、条件が揃っていれば国である
・その条件は世界の「常識」としてあり、明文化したモンテビデオ条約によれば①永続的住民②明確な領域③政府④外交能力である。このうち、シーランドについて問題になるのは①と②。
・②については、海洋法条約で人工島が島ではなく施設であること、一般に領土を地球の表面とする学説があることなどから、ドイツの裁判所によって否定されている。
・しかし、①や②があいまいでも国として認められているケースもあり、その判断が必ずしも「正義」に基づいているとも限らない。結局は政治的打算と無関係ではいられない。
参考文献
※このnoteのほとんどは自分で調べたことや著作権のない法令・判例をもとにしていますが、いくつかのキーワード、特にIn Re Duchy of Sealandの存在については、下記の本を参考にしています。
国家の成立についての様々な事例や、どうして国際法が国内法のようなカッチリしたものにならないのかというような話も詳しく書かれています。薄い本で内容も一般向けなので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。
(政府の名前は一切出てこないのですが、政府刊行物の仲間らしいです)
阿部 浩己 『国際法を物語るⅠ─国際法なくば立たず─』 2018 朝陽会