夢の話:最期の審判編
その夢はまさしく「最期の審判」。
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どこかの広い屋敷に人がたくさん集まっている。
パーティーか何かかなぁ・・・と見ていると、私は誰かに連れられ、その屋敷の中に通される。
建物に入ると、知ってる顔ばかり。
幼なじみ、同級生、高校時代の先生、趣味の仲間・・・。
え?なんでみんなここにいるの?と驚いていると、一つの扉が開き、中に入るように促される。
その部屋は 外の様子がはっきり見えるのに、外からは中が見えないらしい不思議な部屋。
一人ずつ、案内人みたいな人に連れられてどこかに行ってしまう。
すると私がいる透明な部屋(?)に急にスクリーンみたいなのが現れ、その連れて行かれた人たちがまるで取り調べみたいな感じで尋問を受けている様子が映し出された。
尋問・・・
それは私に対しての印象、行いに対する証言のようなもの。
私に好意的だった人でも
「○○(私)は良い人間です」とは言ってくれておらず、かといって反対にずっと苦手だった人が、
「○○(私)にはこんな良い面もあります」と証言してくれている。
それはとても具体的な内容で
「○○(私)に△△してもらって嬉しかった」とか、
「○○(私)に□□みたいなことを言われて傷ついた」とか、
私が全然覚えていないようなことばかり言っているように見えた。
そうしているとまた画面が切り替わり、まるで映画みたいに当時の画像が早回し(?)で流され、ほら、こんなことがあったでしょう・・・といわんばかりに見せつけられる。
子供の頃、おつかいに行った先でぶつかって、よその人の卵を割ってしまったときに叱られるのが怖くて言えずに隠したこと。
イライラしているときに感情的になって暴言を吐いてしまったこと。
もちろん悪いことばかりでもない。
ダイビングのツアーで一度だけ行った、離島の民宿のおじさんまで呼ばれていて
「○○(私)は民宿のご飯をおいしい、おいしいと言って残さず食べてくれました」みたいなことを証言していたし(笑)
なんせ、そのとき限り会っていないような人でも、とにかく今まで関わったすべての人が呼ばれているのには多少不気味さも感じた。
そしてその映画みたいな映像には、私が頑張ってきた功績や、私自身が ~~のために、と考えて行った行為はまったく映し出されない。
よかれと思ってしてあげたことや自分の威厳を保つための行いは、ノーカウントなのだ。
どちらかというと、私があまり意識していないところでの(本能のような)行動や言動・・・それを相手がどう感じていたか。
あくまでも主体は相手なのだ。
だからこそこの尋問の様子や映像を見るのはすごく勇気が必要。(っていうか嫌でも見せられるんだけど)
え?この人はすごく信用してたのに・・・とか、
あら、私がこんなことしたのを見てくれてた人がいたんだ・・・とか
とにかくそれはもう、恐怖や不安、反省、期待や感動に心をかき乱される
長い長い時間だった。
正直に言うと、私は私の人生に対して誇れるものなどなく、恥ずかしさすら感じた。
私の今世はまだ続いているので、幸い(?)その夢の結末は見ることができなかった。
でも、どうして今、こんな夢を見たんだろう・・・。
それは私でも簡単に理由が思いつく。
これから、どこでどんな人に出会っても、この「最期の審判」で自分の良いところを証言してもらえるように
いや、だからといってその欲望が前面に出てしまうと映像がカットされてしまうしくみだから(笑)
つまり たった一瞬の出会いでも、意味があるということ。
自分の利益やエゴにとらわれずに、心から良いと感じる気持ちいい行いを心がけること・・・。
いまからでも遅くない。
堂々と審判を受けられるように
堂々と映像を見られるように
人に対して 打算や欲に支配されず、
人も自分も気持ちいいと感じることをしていこう。
出会いをもっと大切にしていこう。
そんなことを思い知らされた夢の話。