見出し画像

横浜ロック座で刺激観劇~♪

※本記事はストリップ鑑賞についての記述てすので18歳未満の方はご遠慮ください。

※タイトルはハウスバーモントカレーだよ♪

「百聞は一見に如かず」
とは、アイドルのライブ等でも今までも僕が言ってきたことだが、昨日はほんとそれを実感した日だった。

きっかけはジョーブログというYouTube。以前からジョーブログは西成の街や廃墟など日本のディープスポットを探訪する動画などが面白くて観ていた時期があった。
少しブランクを置いて久しぶりにYouTubeのオススメに出てきたのが、埼玉県久喜市の「栗橋大一劇場」というストリップ劇場を訪問する動画だった。
その街道沿いにある”かつてつぶれたドライブイン”を改装した劇場は改装した当時の風情そのままに今年(2024年、令和6年)の8月20日に閉館されるとのことで、その寸前に撮影した劇場の様子がとても興味深かった。

僕がこれを観たのは既に8月20日を過ぎていたので、その栗橋大一劇場を探訪することは叶わなかったが、そこでの踊り子さんへのインタビューなどを観て、「そうだ横浜にもストリップ劇場あったよな〜」って思い出して、横浜ロック座のホームページを探してみた。

横浜ロック座はかつて「ストリップ浜劇」という名前で呼ばれ、京急の日ノ出町駅から降りてすぐ近くにあったのだが、いつの間にか「横浜ロック座」に改名されていた。

───ロック座といえば浅草ロック座が日本で最も有名なストリップ劇場として知られるが、かつて浅草にはフランス座という劇場などもあった。
フランス座は、ビートたけしが下積み時代にストリップショーの幕間の漫才でステージに立ってたというエピソードが有名な劇場だったが、1999年に「浅草フランス座演芸場東洋館」と改称して、ストリップ興行はおこなわず落語や漫談などの劇場に変わっていった。

僕もロック座という名前は、行ったことはなかったが知っていた。
当時隆盛を極めていた「デラべっぴん」などのグラビア雑誌、いわゆるエロ本ですわ、それを読んでいると、まぁ、その、グラビアを飾るAV女優がある程度ベテラン化してゆくと「◯月◯日ロック座出演」とか情報が載ってるんですよ。
当時はスマホも無くパソコンも普及していなかった時代に。今ではネットを探せば世界中のアダルトコンテンツにアクセスできる。
ある程度の英語力や翻訳ツールを使うスキルと、安易に個人情報を漏洩してしまわないなどのリテラシーさえあれば。

そんな便利なものが無かった時代、僕は駅前商店街から少し離れた、同級生などに遭遇するリスクの低い本屋さんで「デラべっぴん」や「ビデオボーイ」「URECCO」などを買っていた。
僕は当時未成年であったにもかかわらず、無愛想で覇気のないおじさん店員が価格だけを告げて黙々と紙袋に入れてくれたものだったし、その少々寂れた本屋さんは”そういう客層”に特化していた一面もあり、普通に近所のおばさんや子どもなどが買いに来られる週刊誌やマンガ本などもそれなりに充実していたのだったが、ほんの少しだけ奥に入るとSM専門誌だとかも並んでいたなかなかディープなお店だった。

やがてコンビニの夜勤をするようになってからは、雑誌の品出し陳列や回収・返品作業もするようになったし、おのずと”そういう雑誌”も読む機会が増えた。
「バイト中にエロ本」と言葉を集約すると、最低野郎ですね(笑)

当時は「宝島」や「BUBKA」などもそうだったけど、いわゆるエロ本って、セクシーグラビアがメインなところある。しかしエロ目当てで買ったはずの人がこんなの読むんか?って思うような白黒ページを開くと、そこに連載されてるコラムなんかが案外面白かった。
アンダーグラウンドというかサブカルチャーというか、商業主義に縛られない自由な言論空間というか、言ってみればオープニング映像でお尻フリフリして始まるタモリ倶楽部が面白かったのとも似ている。それこそ、みうらじゅんや杉作J太郎などもエロ本にコラム掲載してたっけな。

やがてネットが普及するとVHSのビデオテープも絶滅し、アダルトDVDというものもネット配信に取って代わられるようになる。
今でもDVDやBlu-rayといった記録媒体をパッケージとした文化も根強いけれど。
そしてまた、現在の言論空間はSNSなどでみんな自由に発信してるような文章も多く、まぁ、このブログも自由に書いてるけどw
コラムニストでメシ食ってるやつらにとっては厳しい世界かもしれないね。

しかし一方で、ネットで自分の関心のあるもの”だけ”を能動的にアクセスすることが中心の世の中になっても、総合的に掲載しているコンテンツ情報誌だったり、DVD・書籍販売店に陳列されてる棚を眺めて受動的にアクセスするところからの出会いというものもある。

「店」とは元来、「見世」を由来とした言葉であるのだから、そのショーウインドーはアクセスしやすいといった役割がその利点なのだし、いわばセレクトショップ的にカタログ的に魅力のあるものを厳選して陳列して、スタイルを提案するといったセンスを問われる需要もあると思う。

って、だいぶ話がそれてしまったけど。

しかし僕が知ってる90年代当時の認識は既に、AV女優というポジションがセクシー産業の中での最先端であり、AV女優の中でも人気のある人は「ギルガメッシュNIGHT」などの深夜のお色気番組などにも出演し、「恵比寿マスカッツ」なんてのもあったな…
僕はその頃すっかりテレビも見なくなってたけど。

かつて地上波テレビが栄華を誇っていた頃、その一方でAV女優のストリップやソープや風俗などへの転身は、いわば「都落ち」のような先入観があったのもまた事実。
ストリップは既に「昭和」を想起させるもの、といった風に世間一般では見られがちだった。
椎名林檎の「無罪モラトリアム」に続く2ndアルバムに題された「勝訴ストリップ」という言葉もまた、「昭和」を想起させる ”どこか遠くにあるノスタルジーなもの" としてインスピレーションされたものであっただろうし。

言ってみれば僕自身もまた、ジョーブログが紹介してるその昭和的ノスタルジーに惹かれた一面もあったし、ジョーがオススメするのならば行ってみようかな、と思えるようなセレクトショップ的な信頼感があったし、このまま躊躇して先送りしていたら本当にこの文化が絶滅してしまうのではないか。
という気持ちで、僕はさっそく横浜ロック座の公演スケジュールなどを調べてみた。

各月の1~10日・11~20日・20~31日、といった具合に演者さんが入れ替わり、それぞれおよそ5人が出演するという形になっているようだ。
そこに載ってる演者さんのプロフィール画像と名前を眺めていると、かつてAVに出ていた人で名前を知ってる人もいる。
その中でも、8月21~31日の演者さんが良さそうかな、と思った。

しかし土日はきっと混むだろうし金曜日にでも仕事休んで行こうかなと思ったけど、その日は職場が人手不足だったので9月以降に先送りしようか…とも考えた。
金曜日は結局仕事に出かけたのだけど、金曜日の夜には台風もおさまっていたので、もうダメ元でいいから土曜日とりあえず日ノ出町まで出かけよう。
もしも尻込みしてしまったら中華街にでも遊びに行くか…などと考えながら。

また、はまレポという横浜を紹介するサイトの記事も読んで、少しでも当日困らぬように準備した。

何しろまったく初めての体験なので、ドキドキして余計なことばかり考えたり、己の勇気の無さに保険をかけてしまいそうになる。

開場11:00で第一回公演の開演が12:00。
僕はそのホームページに掲載されている”2番目”の小春さんが気になったので、”第二回”が始まる14:45には間に合わなきゃ、でもせっかくだし”第一回”の白石さやかさんから観ることにしよう───

と、ここで盛大な勘違いをしていたと、あとになって気づくのである。

さて当日。
前夜に夜更かししてたのに早起きしたら前日までの台風は収まり、折りたたみ傘も用意して身支度もできたのだけど、さすがにちょっと早すぎるかな、せっかくだし黄金町で降りて日ノ出町まで散歩して行こう。
黄金町もかつては、京急の車窓から見える大岡川沿いに「黄金劇場」という怪し気なネオンの建物が見えた歓楽街であった。

この日僕が歩いた黄金町は、時間帯のせいもあってか、鳩が木陰で休息を取ってるような閑静な佇まいをしていた。20年くらい前だったかな、川沿いにひしめくバラック混じりのスナックやお色気なお店たちが一掃されて、川沿いに続く長屋が新築され直してシャレオツなお店なんかも増え始めた。

京急の日ノ出町駅が見えたら向かって右数十メートルに横浜ロック座はあった。

5階建ての細い赤茶色のビルの階下には紫色の暖簾がさがってる和風な佇まいは、かつて学生だった頃、それこそ先に挙げたセクシー雑誌(エロ本って言えよ)を呼んで悶々としていた頃の「ストリップ浜劇」と変わらぬ佇まいをしていた。
かつてのようにでかでかと「ストリップ」と勘亭流フォントで描かれてはいないので、その和風な佇まいそのものは、お蕎麦屋か和食屋か甘味処のようでもある。しかし5階建てのビルの上階にはでかでかとしたタペストリーで”今月の目玉出演者”の顔写真が貼られているので、ここがなにか叡智な場所であることは一目瞭然なのだ。

時刻はまだ10時40分くらいなのに、既に溢れるほどに行列ができていたではないか!これは僕も悠長なこと言ってらんない!並ぶしかない!

あらためてロック座の目の前に並ぶと、玄関からは数メートルの石畳が敷かれていてその石畳の回廊は黒木に染められた塀で囲われている。ちょっとした料亭への入口にも似た造りをしていてストリップという叡智な空間に入場する瞬間を外部から見えづらくしている配慮はある。
しかし行列はその石畳の回廊からあふれるほどで駅前の大通りに面しているのである。
そこに並んでる叡智目的な人たちの後ろに僕も並ぶのである。
親子連れなんかもそのすぐ横を通り過ぎてゆく。
ああ、もう後戻りはできない…

(続く)

(続き)

回廊の壁にはこの劇場での注意書きが貼られている。日ノ出町から黄金町までの一帯は横浜随一の歓楽街で、かつては近くに赤線と呼ばれる公娼エリアも存在していた。
それらの様々な娯楽施設とのルールの違いを入場前に明文化させておく必要がある。

僕は入場料である5,000円を用意してたのだが、もしかしてこの時間って「早朝割引4,000円」なの!?…しかし朝っぱらから何やってんだろ俺…(突然一人称変わるやつ)

ここは早朝割引の他に女性割引やシニア割引、学生割引などもある。
しかし学生の頃の僕は何度かここの目の前を歩いたことはあったが、ここへ観に来る勇気は無かったな…
今も大して変わらないけど、変わったことといえば事前にネットである程度調べられるようになったことくらいかもしれないが、今こうして学生当時のようにドキドキしている。

ここ横浜ロック座は、この入場料を一回支払えば一日何公演も観ることができる。
かつて映画館もそういうシステムで映画の途中から観始めて次の公演は最初から観る、などということもできたが、今は一回の入場料で一公演しか観られない。

事前に下調べとして読んでおいた横浜ロック座についての記事でも「ここの椅子に長時間座っているのはしんどい」と書かれていたし、ジョーブログのジョーもまた「(栗橋大一劇場の)椅子に長時間座り続けるのはしんどい」と言っていた。

僕の前に十数人並んでいただろうか。
受付で入場料を支払う際、僕はここが初めてであることを告げたらスタッフさんから「演者さんに触れることは禁止です」などの注意事項を告げられた。

いよいよ劇場内に入る。
横浜ロック座のキャパは40名だそうで、浅草や川崎などより規模は小さい。ステージの先に円形のせり出しがあり、それは「盆」だとか「でべそ」だとか呼ばれたりしているようだ。

こんなイメージ→ Ω

そのせり出しの周りを円形にカーブしたベンチシートが2列囲んである。とりあえずのクッション性はあるようだが背もたれはない。
向かって右側、いわゆる上手側(かみてがわ)の一列目が何席か空いていた。
ライブハウスでもそうだけど、先に入場しても”あえて”後方で観覧するって人も案外多いんですよね。

僕は無謀にもその最前列に座ることにした。
天井から「盆」を見下ろすならば、時計で言うところの「2時」くらいの位置に。

劇場内にはいくつもの注意書きが貼られていた。
劇場内は撮影録音録画は禁止。それだけでなく携帯電話は電源を切るかマナーモードに設定する。ここまでは普通だけど携帯電話を取り出すことも禁止。その他のルールもライブハウスなどよりも厳格に書かれていて、違反すると50万や100万の罰金が科せられると明記してある。
いづれも郷においては郷に従うことのできる範囲のルールだが。
しかし明文化しなきゃ守れない人も中にはいるのだろうし、それはどの世界にだっている。

しかしストリップという演目の特性上、”お上”にも目をつけられやすいだろうし、それを必要以上に厳格に明文化させておく必要があるのだろう。
そうやって昭和から続く文化を守ってきた劇場関係者さんたちの苦労の跡が伺える。

中でも衝撃だったのが「示威行為厳禁」の張り紙。(あえて誤字ってみた)
そりゃどこでも禁止だろうがよ!
とツッコミたくもなるが、此処が特殊な場所であることを改めて思い知らされた。

───そういえば以前、神戸の新世界を訪れたとき、駐車場に「立小便禁止」の張り紙を見つけたとき僕はカルチャーショックを受けた。
その後、西成のあいりん地区や新宿の路地裏でも見かけたけど。
それでも守れない人(もはや人じゃねえ)もいるんだけどね。

11:00に入場して開演の12:00まで、まだ一時間もあるのだが、劇場内ではケータイも触れない。慣れた人が文庫本を持ってきていたのはそういうことだったのか…!
しかしここ横浜ロック座では「外出券」という「この時刻(現在時刻の1時間後)まで戻ってください」と書かれた紙が配布されて、席を確保したお客さんがいったんそれぞれ近くの飲食店などへ散ってゆく。
ジョーブログが訪れた栗橋大一劇場でも同様に「外出券」を配布していた。
僕も開演前に腹ごしらえでもしておこう。

ロック座を出ると大通りを挟んで向かい側には光音座という成人映画専門の映画館もある。成人映画といえばかつて横須賀にも「金星劇場」という映画館があった。
当時中学生だったかな、僕はそこを通るたびに淫靡なポスターが目に飛び込んできたのだが、その当時から既にそれを「昭和の古い世界のもの」のように認識していた。
まだ「にっかつロマンポルノ」という言葉もかろうじて現役だった。
僕にとって「にっかつ」と聞くと咄嗟に出る言葉は「ロマンポルノ」であり、かつて任侠映画や青春映画などで数々の大スターを生み出した「日活」は親の世代のものという認識だった。

やはりこの光音座もネットやDVDなどに圧されるように昭和のままに佇んでいる雰囲気を醸し出している。一本裏に入るとソープランドもあったりして、さすがに福富町までは行かないことにしておこう。
話が違う(笑)

結局駅前の蕎麦屋で冷やしそばを食べた。
家系ラーメンで汗だくになってニンニクくさくなった状態で女の子に会いたくないわ。
そのくせライブ前に食べるカレーは好きだ。

ロック座に戻り、さっき確保した最前列の席に座る。
すぐ目の前には高さ90cmくらいかな、僕が座ったちょうど目線の約15cm下にステージの水平線が見える。丸いステージ上の円形の、おそらく強化アクリル板であろう、透き通った白い半透明の素材は下から発光するように出来てるものと見受けられ、その周囲はクッション材やゴム素材で保護されていたのでそれが回転するであろうことも想像できた。

僕の中でストリップといえば、ドリフの加トちゃんの「ちょっとだけよ〜」であり、沢田研二の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」であり、「ちょっとだけよ〜」で流れる曲ペレス・プラード楽団の「タブー」なのである。

余談だが(さっきから余談しかないが)、BUCK-TICKも「TABOO」という曲の間奏でこの「タブー」を引用しているのである。
しかしメロディーが同じとはいえ、プランジャーミュートしたトランペットの「ブァー」という独特な音があると無いとではずいぶん印象が異なりますよね。
そしてピンク色の照明に照らされて「あんたも好きねぇ~」となるのである。
当時は加トちゃんのそれがどういう意味なのか分からなかったが、なんとなく母親が気まずそうにしていたから、きっとそういうことなんだろうと。

僕はそんなオトナの世界に来てしまったのだろうか。
周りを見渡すと円形にせり出したステージの向こう側にも叡智なオトナが座っていて「今か今か」と待ちわびている。
白髪ロン毛になる以前の内田裕也風なおじさん、レイザーラモンRG風なおじさん、ひとつとんでチー牛、おじさん、おじさん、後方には女性優先席もあり、女性の姿も見受けられた。
きっと街中で彼らを見かけても「この人ストリップ観に行ってる人だ」と分かる人は居ない。
しかしよく見ると、本日の演者さんの名前の入ったTシャツを着ている人もいる。どこかのミュージシャンのツアーTシャツかと思ったら。FANZAのロゴの入ったシャツを着ている人もいた。おいおい(笑)
この中で僕みたいにロックロックこんにちは岸部シローです、みたいないでたちの者は他にいない。浮いている。
いつものライブハウスでも変わらんか(笑)

開演時刻が迫ってきた。
BGMが止まると劇場の照明が消え、真っ暗な劇場に開演のアナウンスが流れ続いてブー!と昔の映画館のようなブザー音が響き渡る。
「一人目は白石さやかさんの登場です!盛大な拍手でお迎えください!」

音楽が流れる中、水色のロングガウンのような衣装を身にまとって白石さやかさんは登場した。
これがこれから脱ぐための衣装なのか…
などと感慨に耽る。

客席からステージはとても近く、いわゆる地下アイドルを観に行ってるライブハウスと比べても、どこよりも距離は近い。しかもそのステージを着席して観ているのだから、ステージ上で立ち姿で舞う彼女をこの席から観ているとお顔よりも顎から首筋のラインしか見えなかったりもする程だ。後方の席を選ぶ人の気持ちも分かる気がした。
彼女は一曲目からさっそく腰帯を外したが中には襦袢も着ていた。
ああ、これからこれが一枚ずつ…

すると次の曲へと流れるまま舞台は暗転し、再び明るくなると今度は全く違う衣装に変わった。
あれっ?もっと嬲るように時間をかけて展開されるのかと思っていたら、次の曲は今井美樹の「Piece of my wish」かな、それにさしかかるときには舞台の端で後ろ向いてビキニの上も下も靴も脱いでしまい、その一糸まとわぬお姿の上にシースルーの振り袖を一枚羽織って戻ってきた。踊る動きの合間合間でお胸があらわになってしまった!
ええっ!?もうそんなに時間経ってる!?
今まで見たことのない光景に時間感覚バグってる!?
いやしかし、流れてる音楽の曲数からすればそんなはずはない。

すると彼女はその振り袖をはだけながら円形のステージで舞い踊る。
さっきよりもだいぶ至近距離になってしまったことに驚いてる間もなく、お胸どころか脚と脚の間まで見えてしまった。観客は音楽の拍に合わせた手拍子を取っているのだが、脚を開いたポーズになるとパチパチパチ…と激しい拍手に変わる。フィギュアスケートや新体操などでアクロバティックな技を決めた時にも似ている。
僕もそれに連られるように拍手をしてしまう。

しかしそれは「見えた」「拝めた」ことへの拍手なのだろうかという疑問がつきまとう。

AVの世界でもモザイク処理を施している箇所がある。ネットが普及した今ではそのモザイク処理は国によっても異なるものだし、「見える/見えない」の価値基準ってなんなんだろうって思うし、それが「見えない」場面であってもたとえば脚線美が魅力的な瞬間だったり、その他のフェティシズムを刺激する瞬間も存在する。
僕個人としては、僕が刺激され魅了された瞬間に拍手を送りたいとは思ったりするものだが、しかし一方で演者と観客の間で「ここ見て!」「見えたよ!」といった暗黙の合意形成の間合いで以て盛り上がる、といった一面もまたあるのだろう。
アイドルなどのライブでも「クラップ!」って煽ったり「コール&レスポンス」する場面も確かにあるのだし。

そしてまた、社会の規範として「猥褻物頒布等罪」なども存在するのだし、この劇場においても「示威行為厳禁」(誤字)というルールも存在する。
そんな一定のルールの中で日常の世界では「見せてはならない」ものをこの世界で「魅せる」という、いわば逸脱行為と言ってもいいようなその瞬間のために日夜レッスンに励んでいる彼女の「全身全霊」に対して、おのずと拍手を送りたいと思えた。

彼女の肢体を眺めているといくつものアザも見受けられたが、それは決して痛々しいものではなく努力の勲章のように思えた。
本来ならば観てほしくない部分だろう。
アザの部分にコンシーラーでも塗ることだって出来るはずだが。
しかしそれをもすべてさらけ出すのがこの世界の流儀なのかな、とも思ったりもした。

舞台は再び暗転した。
劇場内は非常口の灯り以外ほとんど真っ暗になるのだけど、照明の設置位置などに蓄光テープが貼られている箇所がいくつか光っていて、その前を人影が過ぎてゆく気配がなんとなく分かってきたころに舞台は再び明るくなった。

見上げると直径1メートルくらいのフラフープのようなリングが天井から吊り下げられていた。いつの間に!?
すると、さやかさんはそれに縺れかかるように舞い踊る。まるで新体操を観ているかのようだが、レオタードは着ていない。
一糸まとわぬ姿でリングに乗って様々なポーズで回るのだ。しかもそれを回してるのはリングに乗る瞬間のさやかさん自身の足で助走をつけてを回転させているのだ。
これは「エアリアル」と呼ばれるステージングだそうだ。
目の前の上空ではサーカスのような光景が広がっている。まるで月の妖精にでもなったかのような幻想的な空間。
しかし子どもには見せられないといった、不思議な空間でもある。

そういえば昔、「おとこの遊艶地」って叡智な雑誌があったのを思い出した。
検索してみると古書店のホームページでその表紙が窺えるのだが、わざわざ「艶」の一文字を赤色で強調してあった「粋な計らい」に思わず笑ってしまった。
古き良き牧歌的エロスなベタ感だなーって。
それらに比べると「デラべっぴん」なんかは表紙のレイアウトが比較的ソフト路線で青少年が手に取るのに割と抵抗ないんですよ。
表紙の見出しの文字を読むとそれが叡智な雑誌なのは一目瞭然なんだけど。
ほんとに叡智な英知出版。
「URECCO」に至ってはヌードにならないメジャーな水着グラビアアイドルが表紙を飾っていてレイアウトもスタイリッシュ過ぎるので、逆に悶々とした人は見逃してしまうかもってくらいでした。

だからといってストリップの演目と同じような舞踊を、身体のラインがわかるレオタードでそれを再現しようとしても、それは全く別物なのであるし、アスリートが筋肉をサポートするテーピングも巻かれて無ければ、大胸筋矯正サポーターなるものももちろん無い。

先日のパリ五輪の「射撃」では”無駄な装備を一切せず”Tシャツ姿で銀メダルを獲得した「無課金おじさん」ことユスフ・ディケッチ選手の体幹の素晴らしさとも通づるものがある。ある意味においては、オリンピックなどよりもフェアなスポーツとも言っていいのかもしれない。

女性の身体と肌には神秘的なものが宿っていると僕は思う。
昨今では身も蓋もないこと言うような人が増えた気がするし、その性差というものに異言を呈する者も増えてきたし、手術によってなんとかしようということも増えてきた。
しかし文化的価値観や医療などがいくら進化して変わっていっても、それでも超えられないものって存在すると僕は思う。

中学生の頃だったかな、ある帰省した時、親戚の家の書棚に「女体(にょたい)」という題名の大判の書籍があった。
おそらくそれは写真集だったのだろう。
わざわざルビまで振ってあったので僕はその読み方を知った。
しかしそれが大学教授をしていた親戚の伯父さんの書斎の難しそうな書籍と一緒に置いてあったから、伯父さんにとってそれはベッドの下に隠すようなものではなかったのだろう。さすがにそれを手にとって見開くことなどできなかったが、それがいわゆるエロ本といった猥褻性のものとは異なるものであろうとは思った。

その後、樋口可南子さんや宮沢りえさんなどがヘアヌード写真集を出版して世間を賑わせた。
僕も最初はそのセンセーションに驚いた。しかし当人やカメラマンにとってそれが猥褻ではなくアートであるといくら意識していくら力説しようとも、それを「猥褻」としか解釈できない下世話な世間の脳みそというものに僕は呆れるようになっていた。
宮崎ますみさんの写真集は「かっこいい!」と溜息が出るほどだった。

その後、売れなくなった女優や歌手などがこぞってヌード写真集で話題を集め再起を図ろうようと二番煎じ三番煎じが雨後の筍の如く出現したし、下世話な世間(マスコミだけでなく読者も)それを囃し立てた。
「これはあくまでもアート」
そんな言葉までまるで言い訳であるかのように揶揄されるような下世話さに吐き気がする程だったし、そんな下心で出版社が動いていたのもまた事実だろう。

もちろん僕にだって性的衝動というものは存在するし、そういった好奇心だってある。
しかしだからといって、そういった世間の下世話なマスカキザルと同じ次元にはなりたくない。
思春期の頃はそういったものの分別が解らないゆえに、肌の露出しているもの全てにそういった性的衝動を直結しようと考えがちだ。
そういう分別が理解できる人たちの嗜み、それが「成人指定」の本来の精神なのだろう。

だけど世の中の大半って、そういうマスカキザルのままオトナになった連中が案外多く構成されてるから、、いわゆるアダルト産業もそういったニーズに応えるようになっているし、僕みたいな考え方は誤解されることも少なくない。
いつの頃からか、僕はいわゆるAVというものを観なくなっていった。
なんか男が出ていると気持ち悪いだとか、そういった安直でミソジニー的な暴力性すら感じる脚本に嫌悪感を抱くようになった。
しかし中にはきっと、僕と価値観を共有できる監督もいて、僕が観たいものを作品にしてくれてるものもきっとあるのだろう。これだけ市場の規模が大きいのならば。
しかしそこまでして探そうとも思えない。

なんか話が脱線してしまったようだ。

兎に角、僕が言いたいのは、てめえの思春期以前には芽生えていなかったはずのそのマスカキザルという発想を一旦脱ぎ捨ててほしいということ。
たとえば西洋美術のヌードデッサンや裸婦像を鑑賞する時どんな気持ちで鑑賞する?
ものすごくざっくり言えばそういう話ですよ。
かつてストリップの原型が「額縁ショー」と呼ばれて進化・発展してきたことからも、この文化の根源はそういうところにあるのだと僕は思う。

ストリップという文化には地域性もあって猥雑さこそが正義、みたいに発展していった箱もあったそうだが、詳しいことはよくわからない。
「まな板ショー」で検索してみてください。

昨今の状況からすればそういう猥雑なものは淘汰されたんじゃないかな、と推測する。
これらの演者さんが「コース」と称して日本各地の劇場を行脚していく様子や彼女たちが公開しているSNSなどからもその雰囲気は伺える。

圧巻だった時間はあっという間に過ぎていった。
しかしその余韻は計りしれぬほど続いていた。

フロアの照明が開演前と同じように戻り、「ここからはポラ撮影タイムになります」とアナウンスされる。
再び衣装をまとったさやかさん自らが撮影道具一式とそのお代金を集めるカゴを用意して出てきた。
ポラと呼ぶけどそれは僕も見慣れた富士フイルムのinstax、いわゆるチェキである。
しかしそれをポラロイドの略である「ポラ」と呼び続けているのもこの世界独特の風習だ。それもそうだ、僕が思春期を迎えるよりもはるか昔から続いている文化なのだし。

それと面白いと思ったのが、いわゆるタイムテーブル(タイテ)のことをこの世界では「香盤」と呼んでいる。
なんだか艶めかしい響きだな、って調べたら中国から伝わるお香を並べて立てる盤が網の目状に仕切られていることが由来で、それは歌舞伎の出演表を掲示する頃から「香盤」と ようになったらしい。

そしてストリップの世界では先輩のことを「姐さん」と呼んだりする。この辺は噺家や芸人の世界にも通づるところがある。
その辺を鑑みると、かつて「ストリップ浜劇」と描かれてた看板だったり、現在ロック座の劇場内に貼られている各種注意書きなどに、江戸勘亭流フォントが用いられているのもなるほど合点のいく話だ。

僕は一応2番目の小春さんを観てみたいと思ったのがここへ来るきっかけだったし、何しろ今この場で繰り広げられてる状況を把握しきれていないので、さやかさんがポラ撮影している様子を座ったまま眺めていた。
並んでいる人の多くは、さやかさんを”ピン”で撮影する人がほとんどだったが、中にはツーショットで撮る人もいた。そしてその撮影はスタッフさんではなくお客さんがチェキを構えて自らシャッターを押していた。ツーショを撮る際はそのすぐ後ろに並んでいる人にシャッターをお願いしていた。
おそらく常連さんが多いのであろう。彼らの中では謎の連帯感のようなものさえ感じられた。

そしてさっきまで衣装を身にまとっていたさやかさんはそれを脱ぎ、パンティだけの姿になって撮影は続いた。
ポラ撮影は「衣装」と「脱ぎ」のどちらかを選べるのだが、主に前半「衣装」後半「脱ぎ」という流れになっていて、どのタイミングで「脱ぎ」に切り替わるかは、そこに並ぶお客さん次第なのである。
「どちらで撮りますか?」と前後のお客さん同士で話して「脱ぎ」を所望する人は後ろに並び直す、といった手筈である。

あっ、この世界に来たの初めてだし、やっぱりさやかさんに挨拶しておこう!

僕も席を立ち、その列に並ぶことにした。
いよいよ僕の出番が来た。
「はじめまして。僕こういうところ来たの、は、初めてなんです。なんか流れとかまだよく分からないけどよろしくです。」
そう告げると、さやかさんは驚いた様子で喜んでくれて「お兄さんストリップ初めてなんですって!みんな親切にしてあげてね!」と声をあげてくれた。
あっ、いや、恥ずかし…

って思う間もなく、「おっ、それはすごい!」などの歓声や拍手も聴こえフロア全体が優しい空気に包まれた、気がした。
これが通過儀礼なのかもしれない。
だけどもしも僕がたとえばライブハウスで逆の立場だったとしたら、その初見さんを歓迎していただろう。
震える手で”ポラ”のシャッターを切った。
「美しいです!ありがとうございました!」
「ありがとう。でもアザだらけだよ?」
それも含めて美しかったです。

ステージ脇では撮影を済ませたばかりのお客さんが撮影後のinstaxフィルムにマジックで何やら書いていた。
「2公演目も観ていってくれるのなら、ここにお名前書いてってね。楽屋でサイン書いてあとの出番の時にお渡しするから。」と、さやかさんが教えてくれた。
第二回公演が終わるのはおよそ夕方の5時半頃になる。
「あっ、じゃあサインお願いします。」
と告げてフィルム裏面のグレーの部分に「らぼ」と書いて預けることにした。

ちなみにだが、劇場内は撮影も録音・録画も厳禁で、撮ったポラの転売もSNS掲載も禁じられている。ホームページを見るとおおよその演者さんがプロフィールを掲載し、SNSを利用している人がほとんどだ。しかし中には”やんごとなき事情”によってこの舞台に立っている踊り子さんもいるのだろう。お顔を伏せられている人もいる。
そういう人たちの未来を守るためにもそういった配慮は守らなければならない。

ここで、僕が冒頭で述べた”盛大な勘違い”について。
てっきり僕は12:00から「1番目」のさやかさんが2時間くらいの演目を披露して、14:45から「2番目」の小春さんが登場するものだと思ってた。
なので、さやかさんお脱ぎになるの早っ!
て驚いたのであった(;´∀`)
よくよく考えると、さすがに2時間出ずっぱりはきつすぎるてw

第一回公演というおよそ2時間半の間に5名の演者さんが順番に出演する。それの繰り返し。
という流れだったのである。
アイドルの対バンライブ ✕ 4 みたいなボリュームの大きい構成なのだ。
昼から夜までずっと観てたらの話だけどね。

一人当たりおよそ20分のステージのあとにポラ撮影をして、撮影後に再びお脱ぎになられて上はTシャツ1枚になって、アンコール的にもうひと踊りしてエンディング。
といった流れで、ここではおひねりなどをステージ上の演者さんに手渡すことができる。
ここで流れていたのはカイリー・ミノーグの「I Should Be So Lucky」だった。

おひねりを渡されると投げキッスなどでお礼をしてくれる。
さやかさんが深く頭をさげると音楽はフェイドアウトしながら舞台は暗転した。
いったん座席を離れる間もなく「続いては2番目、小春さんの登場です!」とアナウンスが流れる。

────────────────

小春さん登場!
僕は事前にプロフィール画像を一通り眺めてそこからツイッターも見てみた。だいたいこういうプロフィール写真って、加工が…なところあるじゃん。もちろん人によるけどさ。

いざ本人を目の前にすると、さやかさんも小春さんも写真よりお美しいのだ。頑張って加工してる人には申し訳ないけど(笑)、本人が「盛れてる」と思ってるプリクラ写真も僕にとっては「???」なのである。
芸能人をテレビで見るよりもかわいい!
と思う感覚にも似ているのかもしれない。

小春さんはふわふわとした全体的にフリル感のある淡い黄色の衣装で登場した。妖艶さを演出していたさやかさんとは対照的にアイドル的な可憐さを感じた。
2曲目になるとその衣装の下に重ねて着ていた青系のパニエスカートに様変わりし、元旦の書き初めみたいな大きな筆をペンキ缶に浸し込んでステージをキャンバスのように塗りつぶすダンスを披露した。
(もちろん実際にペンキは使用していない)
そこで生歌は披露されないが、その傘よりも大きな筆をステッキのようにくるくるさせながら踊る姿は、まるでミュージカルを観ているような気分になった。

音楽が続く中、いったん暗転すると、さっきまでステージせり出しに敷いていた丸く白い絨毯が色とりどりの絨毯に変わっていた。
そして「どんな色が好き?」と書かれたスケッチブックを1ページずつめくってゆく。
そうだな、僕はやっぱり青かな…って考えていると、「そらいろ」と描かれたページを置いて、様々な色彩にいろどられた円形の絨毯の上で衣服を脱いでゆく。
ポーズは違えども、それはボッチチェリの「ヴィーナス誕生」を思い起こさせる光景だった。
先ほどのスレンダーで伸びやかな肢体のさやかさんとはまた違い、小春さんは流麗な曲線美を描いている。あどけなさの残る微笑みが眩しい。
同じ舞台で同じ持ち時間であるにもかかわらず全く別の世界観が表現されているのが面白いと思った。

小春さんのポラ撮影がはじまった。
「今日初めてストリップを観に来たんだけど、小春さんのプロフィール見てこの日にしようと決めました」と伝えるつもりでいたが、眼の前の小春さんが眩しくて言葉が出なかった。
が、小春さん雰囲気が猫っぽいなーと感じたので猫のポーズで撮ってもらった。

エンディングで小春さんは、明るいサテン地のハッピを身に纏って登場した。背中には大きく「小春」と名前とイラストがあしらわれてたりして。ファンの人がデザインして作ってくれたであろう、そういえば歌舞伎や大衆演劇や相撲の世界にも通づるところがあるな。
ブルーノ・マーズの「Runaway Baby」に乗せてノリノリに踊る小春さんもまた魅力的だった。

────────────────
間もなくして須王愛さんか登場した。
劇場入口にフラワースタンドが飾られてたように、愛さんはこの世界で9周年を迎えていて、いわばこの日の目玉というか愛さんお目当ての観客が多く集まっていたように思った。
舞台後方には錦の振り袖が衣桁(いこう)に吊るされるように飾られ、襦袢姿で無数の尻尾の狐の化身のように愛さんは登場した。

ステージのほぼ真下から見ていると、まるで競泳選手やバレーボール選手かのように均整の取れたプロポーションの愛さんが舞う姿がとても迫力あって美しくもあり、かっこよさも多めな印象だった。

ところが2曲目はウルフルズの「ガッツだぜ!!」に乗せてフロアーの観客と共に振り付けをしたり、今回の演目のテーマである九尾狐狸になるべくトレーニングに励むが、途中浮き輪のようなビニール素材を膨らませたかのような特大の鉄アレイを愛さんが重たそうに持ち上げる。と思ったらそれを客席めがけて投げてしまう。
お客さんの頭蓋骨が粉々に砕ける大事故にでもなりそうだが、お客さんはその鉄アレイをまるで浮き輪のようにステージに投げ返す。
そんな過酷なトレーニングを終えた愛さんだが、「あれぇ〜?(尻尾が)8本しかない!」とがっかりするオチがコミカルだったりする。

もはやここはライブハウスかという錯覚を覚えてしまうが、次の曲に進むにつれて肌の露出が増えてゆく。
円形のステージせり出し部分(それを「盆」や「でべそ」と呼んだりするらしい)でポーズを取りゆっくり時計回りに回転していると、僕のすぐ目の前に足の爪先が迫ってくるのだが、その足の指先を内側に丸めこんでいるのを見て、まさに全身で演技をしているのだと感心させられた。
僕はこのブログを書きながらベッドに横たわって足の指先を丸めてみたのだが、このポーズを持続するのって思っていた以上に難しい。

しかしこうして三者三様のステージは、ひとえにストリップと言っても全く雰囲気の異なるもので、いづれもクライマックスでは一糸まとわぬ姿になるのがセオリーなのだが、その表現法も違えばそのカタチもまた違っていて、それぞれの魅力がある。

また、愛さんのステージで印象的だったのが、楽曲のリズムが盛り上がるところで自前のタンバリンを鳴らして盛り上げたり、愛さんがポーズをキメる場面で客席から”銀テープ”を飛ばす「職人」とも呼べるファンがついていることだった。
おそらく愛さんに限らず踊り子さんたちにはそういった「職人」的なファンがついているのだろうけど、その銀テープは飛ばしても手元を離れずにすぐに巻き取れるやつで、「蜘蛛の糸」とも呼ばれている。あの「キレてないですよ」の長洲小力が使ってるやつといったら伝わるかな?
ジョーブログで言ってたけど、小力さんもストリップのファンで、その久喜市の劇場にも何度も通っていたそうで、その芸風はストリップショーからヒントを得たそうだ。

愛さんのステージもしっかり堪能したのでポラを撮ってそれを預けてもらうことにした。
今日初めて観に来たけどポラを預けて次の回も観てから帰ると告げると「みんな!今日初めてのこのお兄さんをどうか帰さないでね!」と声を上げて「このあとも楽しんでいってね、て〜んきゅ〜♪」と甘い声に変わるのである。会う人会う人に「て〜んきゅ〜♪」と挨拶する声が脳内に焼き付いてきてきた。

しかしこうして立て続けにステージ3本観ているとドキドキしっぱなしで少々疲れてくるなぁ。
「外出券」でいったん食事でもお茶でも行けるっちゃ行けるのだが。。。
かと言ってどの演者さんも結果として見逃せないものであるのは確かなようだ…

────────────────

すると今度は永澤ゆきのさんの出番になった。
ぎゃーお♪ぎゃーお♪という音楽が流れ、爪を立てる振り付けに乗せて、レッグウォーマーとアームウォーマーがモコモコして耳もついた猫をモチーフとした衣装で登場した。
んん??
正直、”アー写”ではあまり印象に残ってなかったんだけど、アー写よりも断然かわいかった。
場末のジャジーなリズムに乗せたゆきのさんのダンスもキレッキレで、まるでアイドルのライブを観に来たかのような感覚を覚えた。

続く曲たちもどれもベースラインがイカしてる曲ばかりで、どちらかといえば此処では男性ボーカルの曲は聴きたい気分ではないが、しかしそれを上回るほどにいい雰囲気の楽曲ばかりで、そこいらのDJイベントよりも選曲のセンスも僕好みで、気づけば僕はベースラインをなぞるように指をうねうねさせてリズムを取っていたり、このあと衣装を脱ぐというセオリーを忘れてしまいそうなくらいに”普通に”音楽のステージを楽しんでいる自分がいた。

そしてゆきのさんが纏っているアニマル柄にゴールドをあしらった猫衣装、アイドルライブを観に来たとしてもとてもかわいらしい衣装で「脱ぐのはもったいない」と思う程だった。

しかしやはり4曲目くらいになると、ゆきのさんはその肌をあらわにして楽曲のムードもまた艶めかしさを帯びてくるのだが、逆に僕は「見せちゃってもいいんですか?」と錯覚してしまうのであった。見せてくれたそれはもちろん有り難いことでしかなかったのだが。
というか見に来たんだろ?

なんていうんだろう、この限られた時間と、最終的にヌードになるというセオリーだけを以てして、あとは全くの自由な世界なのかな、それこそ一切の呪縛から解き放たれるというか、それが「脱ぐ」ということなのかな。
などと一人禅問答のような思考を巡らせていた。
一方で観客という立場の自分が「脱いで」しまったら当然アウトなのは言うまでもないのだが(爆)
「心を裸にしろ」
そんなメッセージなのかな、などと僕は受け止めた。

気づいたら当然の如く、僕はゆきのさんのポラ列に並んでいた。
音楽とダンスがとてもよかったことを伝えると、ゆきのさんは喜んでくれた。
…あれっ?チェキ列に並んで撮ってる感覚と一緒に思えてきた。

そんなゆきのさんのエンディングテーマ曲は、きゃりーぱみゅぱみゅの「ファッションモンスター」で、ファッションモンスター♪のフレーズに合わせて「がおー!」と観客と一緒になって爪を立てるポーズをする。
「鉄の首飾りをはずしてただ自由にいきたいだけ」
という歌詞が目にしみた。

Perfumeもそうだけど、中田ヤスタカ氏ってエレクトロ・サウンドとボコーダー・ボイスで無機質なイメージを抱きがちだけど、ところどころにこういったメッセージを乗せてくるんだよな…

今日の「香盤」の4番目にして、永澤ゆきのさんという、いわばダークホースに出会ってしまった。
まさに弊ブログ当記事冒頭で述べた「百聞は一見に如かず」である。

────────────────

そしていよいよ”トリ”を務めるひなた鈴さんの出番がきた。
当初の予定ではこの八月下旬の香盤では赤西涼さんが出演の予定だった。
赤西さん…と聞いて思い浮かぶ人もいるだろう。
そう、彼女はKAT-TUNが人気ブレイクしたころにAVでデビューした女優さんなのだ。
本人からは聞いていないので真相は定かではないが、当時URECCOなどの雑誌で彼女のグラビアを見た時、その赤西君から赤西涼と芸名を付けたのかなと僕は思ってた。
あれからおよそ20年経つベテランさんである。
当時「ギリギリでいつも生きていたいから~ア~ハン♪」と、いやそうやって生きたいと思って生きてたわけではなかった僕だが、相も変わらずこうしてギリギリで生きているのである。
というか結果としてそうせざるを得ないのである。
これが僕のEternal────なのだろうか?
(誰がうまいこと…いやうまくもない)

しかし数日前から赤西さんは体調不良で出演を欠席なさってて、その代わりに、ひなた鈴(すず)さんが出演することになったのだ。
あの赤西さんにも会ってみたかった。

なので鈴さんのSNSなどは事前にチェックもできなかったが、ほどなくして鈴さんのステージが始まった。

鈴さんはブルーのタータンチェックのライダーズジャケット風の襟とミニスカートに白のフリルをアレンジした、もしそれが赤いチェックだったらAKBなどの”48系”アイドルを彷彿とさせるような衣装で登場した。
2曲めになるとオーロラのようなグラデーションのシースルーのジャンパーと黒いホットパンツ姿だったかな、そんな衣装に着替えて登場し、おそらくK-POPであろう音楽に合わせ、彼女はサッと持ち出してきた椅子に絡みつくように踊っていた。
普段はヒップホップ系のダンスでも踊っているのかな、僕はダンスのことよく知らないけど、なんとなくアディダスのだぼだぼジャージとかストリート系が似合いそうな雰囲気を感じた。

この世界に飛び込んでくるきっかけは人それぞれなんだろうけど、鈴さんはおそらく「ダンスが好き」を極めたら、たまたまこの世界だった──みたいなのを僕は感じた。

しかし徐々に肌があらわになってくると、プリンッと音が聴こえてきそうなくらいに健康的で綺麗な肌をしていた。
最初は激しめの曲調や激しいキレのダンスのせいもあってか、鈴さんに対しては”小悪魔っぽい”イメージを感じたのだが、円形ステージでスローな曲に乗せてゆっくりとポージングする鈴さんを眺めていると、穏やかな表情をした時の横顔がまたとても綺麗だなと思った。

5人それぞれ演目の魅せ方も違えば、そのプロポーションも形もみんな違う。
しかし甲乙なんてつけられないほど皆さんそれぞれ魅力的だった。

結局僕は本日の演者さん全員それぞれのポラを撮ったのだった。
こんな「人生で初めて」は一度きりだし。

鈴さんのポラタイムが終了すると、明るいライムグリーン色のサテンのハッピを羽織った鈴さんがエンディングを飾った。
この曲どっかで聴いたことあるな…
えっと、ジャズの定番「The Entertainer」のメロディを引用したJ-POP…
調べるとHalf time Oldの「みんな自由だ」って曲ですね。

ああ、そうか、これauのCMで流れていた曲か…
なんかこういうヒット曲だったりを勝手に「リア充向けの曲」として無意識に拒絶してしまいがちな自分だけど、そういった先入観を抜きに聴いてると、気分がいいものですね。
先ほどのゆきのさんの「ファッションモンスター」でも歌詞にあった「自由」というキーワードとこの曲の「自由」。
きっとこれは彼女たちがそれぞれ抱いている想いなんだろうな、それを抱えてこうして舞台に立っているんだな、そう思えたらなんだか胸が熱くなってきた。

今度は5人全員がステージに立って「横浜ロック座」のオリジナルテーマソングに乗せて円形の「盆」でフリーに踊るのだった。これは「フィナーレ」と呼ばれる横浜ロック座独自のスタイルだそうです。
そのテーマソングはハムバッカーで歪ませたようなギターリフが印象的なロックンロール・スタンダードのような曲調でCCガールズにでもいそうな「イカしたオンナ」といった雰囲気のボーカルが「おいでよロック座~♪」ってな感じに歌ってる曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=PW9tv5GjSEs

そのインストだけでも雰囲気を味わっていただけたらと思います。

調べると浅草や川崎のロック座には無い、横浜オリジナルの曲で、海外からジャズやロックが入ってきた港町・横浜を描いているかのようで、5人のステージを見終えた頃、すっかり僕はこの横浜ロック座という場所に愛着すら抱くようになっていた。

ちなみに横浜ロック座のテーマソングはロック調だけど、実はロック座という名前は「浅草六区」という劇場街区域が由来となっていて浅草ロック座のオープンは昭和22年(1947年)で、チャック・ベリーなどのロック音楽が流行り出したのは1950年代に入ってからである、つまりロック音楽とは直接関係ない、というのも数奇な話ですね。


そして横浜ロック座では5人全員揃ったポラ撮影もできます。
特にこの日は、この5人での香盤の最終日だったこともあり、おそらくこのビルの上階は楽屋と彼女たちの宿泊施設があるのだろう、10日間共に過ごしてきた彼女たちが深めた仲の良さがなんだか微笑ましかったです。

って、このブログが終わると思ったでしょ?
ずいぶん長文になってしまったものだと我ながら呆れているのだけど、今この香盤での「第一部」が終わったところです。
この後これといった用事も無かったし、ポラも預けたので第二部も続けて観ます。

───────────────

フィナーレでは”1番目”のさやかさんは既に先ほどとは違った衣装を着てました。これが「第二部」での演目の衣装になるのかな?と思ったら、再び劇場内が暗転し、アナウンスが流れブザーが鳴り「第二部」の”1番目”のさやかさんが始まりました。
そのフィナーレで見た衣装で登場したのだけど、今度の演目は先ほどよりもモダンな印象だった。
さやかさん自身、「1年5ヶ月お客さんとして劇場に通い2020年2月念願叶って憧れのデビュー」とプロフィールに書いてあるように、数ある自身の演目の中で最初の演目は、あえて昭和から続いているような、いわばトラディショナルスタイルを演出していたのかな?って思った。
僕自身が観たまったく初めての演目がそれだったので最初は素朴に「(ストリップとは)こういうものなんだ」と思ったけど、5人それぞれの演目とさやかさんの別の演目を観て、僕は相対的に第一部の演目を「トラディショナル」だったんだなと感じた。

───────────────

続いて第二部の小春さんのステージが始まった。
今度はインドやアラビアなどの雰囲気の曲調と、きらびやかなピンクの衣装で登場してきた。モーニング娘。の「ハッピーサマーウェディング」の世界にも通づるものがある。こういった雰囲気の踊りとなるとどうしてもヨガの「ムドラー」なども用いられるので、その指先の美しさに目が行き届いてしまいますね。
僕は割と女性の指を見がち、指フェチの素質もあるのかもしれない。特にどんな指が好きとかこだわりがあるわけじゃないけど、細長くて綺麗な指も短くてかわいらしい指もそれぞれ好きです。

ステージ上手側の椅子の上にモザイクガラスのトルコランプを置き、それを亡き人の形見であるかのように愛でるシーンが印象的だった。
そしてクライマックスで身を仰け反らせる横顔の憂いを帯びた表情が美しかった。

第二部のさやかさんと小春さんが終わったら、舞台袖の下手側・上手側それぞれで同時に2人のポラタイムが始まった。先ほど預けたポラがステージ上にトランプの神経衰弱のように裏面を上にして並べられる。その中から先ほど自分で名前を書いたカードを、いやポラを一枚受け取るのだ。
その裏面にもメッセージが書かれてあったのだが、先ほど名前を告げぬまま黙って油性ペンで名前を書いて置いてっただけだったのに、さっきの撮影時にお話したことへの言葉が書かれていて驚いた。
いつの間に覚えてくれてたの?
それとも初見さんは僕くらいだったから見慣れぬ名前でそう判断した?いや、いずれにしろ彼女のそういった心配りが僕は嬉しかった。
そしてそのメッセージと共に、彼女らのオリジナルのプリクラサイズのシールも貼ってくれていた。それは神社や寄席の千社札シールみたいでもあった。

───────────────

第二部の須王愛さんは翼のついた真っ白い天使の姿で登場してピンク色の矢を放ちながら踊りを披露する。
二曲目になると今度は制帽をかぶったアメリカのウエスタンポリス風の衣装に変わり、Britney Spearsの「Womanizer」に合わせてピンク色の機関銃を乱射しながら踊るのである。

この曲はもう曲自体がセクシーそのものだし、あらためてMV観ると、もうドンピシャって感じですね。愛さんのグラマラスなプロポーションともマッチしているんですね。
続いてその衣装を脱ぎ捨てると今度は再び天使になり、首から胸元へホルターネック状に広がるタッセルのボディチェーンがより一層艶めかしく魅せるのだった。

───────────────

愛さんに続いてゆきのさんが再び登場した。
赤いタータンチェックの細身のスカート衣装で、やはり今度もダンスのキレの良さをまざまざと魅せられた。しかしゆきのさんの演目の楽曲はどれもかっこいいし、こういった薄暗い劇場の雰囲気にも合っていて、何と言ってもベースの音が心地良いのだ。この横浜ロック座は音楽に特化した箱というわけではないのだが、こうした気持ち良いベースの音は美味しいお酒にも似ていて、徐々に体が気持ち良くなってゆくのだ。
なとりの「Overdose」という曲の中盤のガラスが割れるSEに合わせて脱いだ衣装を舞台後方へ投げ捨てるシーンがとてもクールだった。

(1'46"~あたり)

すると空間系エフェクトが深くかかったスローな曲に様変わりして、さっきまでアップテンポに踊ってたゆきのさんが横たわる肢体を照明が灯し、背筋に光る汗に思わず息を吞んでしまう。

それでも君の世界とは離れがたい僕は
矛盾と理屈で君を締め付けてしまう

なんて歌詞が漠然と僕の心境と共鳴しちまって、得も知れぬ感情が沸き起こってしまう。
ここへきてこんなムードにさせてしまう君の方が罪ってものだぜ。
僕もそれを承知の上なのだけどね。
なんて戯れ言を囁いてしまいたくなる。

誰もが理解できないと笑うよ
僕の曲がった思想や彼女の姿勢も

などといった歌詞も琴線を刺激してくるし、情が移ってしまいそうでちょっぴり怖くなってくる。
素肌を見せるだとかそういった肉体的な次元を超えて僕の内側をえぐるような魅力的な瞬間を感じてしまった。
それを「芸術性」と呼んでしまうのはいささか短絡的とすら思う。
「芸術性」という概念がもたらす理性的な振る舞い。
勿論ここでは指先でさえも触れられない理性で以て着座しているのだが。
いろんな意味でこんな気分になったのも初めてかもしれない。
なんだろ、何事も経験が大切だな、今日ここへ来てよかったなと思った。

───────────────
続いて鈴さんの2度目の登場。
今度は真っ赤な衣装にポーチを提げて出てきたのだが、それはまるでコ〇・コーラのキャンペーンガールのようで、よく見ると「Suzu Cola」とおなじみの筆記体で書いてある。
鈴さんはボーチからコークやカナダドライなどのミニ缶を取り出し、最前列のお客さん何人かにランダムに配って回る。
何曲か進んでいくにつれ、どっか聴き覚えのある曲が流れてきた。
後で調べてみるとそれはBENIIE Kの「Dreamland」という曲のようだ。

これって〇カ・コーラのCMソングだったやつじゃん
って思ってると今度はもっと昔のコカ・〇ーラのCMソングが流れてきた、うわ懐かしい~
「さわやかテイスティ~I feel C○ke♪」って

華やかりしバブル絶頂期の頃に一世を風靡したソイヤソイヤなCMソングである。
横浜ロック座にいたおじさんたちはおそらく青春を謳歌していたことだろう。
───あの頃の僕は「いつか大人になったら僕もこんな青春を謳歌するのだろうか」などと漠然と考えていたが、結局こういったキラキラしたものとは縁遠い半生を過ごしてきたし、いつしかこういったキラキラしたものを恨めしくさえ思うようになっていった。

その「I FEEL COKE」という曲はのちにSing Like Talkingを結成する佐藤竹善氏のver.が有名だと思うが、鈴さんのステージで披露されたのはそれよりも若干おとなしめというか素朴な感じの井上大輔氏ver.だった。

竹善ver.のようなキラキラさが全開になるより以前の大輔ver.は、プロトタイプ然さえ感じるのだが、そこに流れるフレットレスベースがなんとも色っぽく、しかし”サビ”になると一転してドラムが軽快なエイトビートを刻み始めるのである。
幼心に、僕がエイトビート(という概念は知らずに)こういうリズムカッコいいなって、いわゆるロックに目覚めようとしていた頃のことを思い出す。
CMで流れるのはほんの15秒や30秒だったのでフレットレスベースとかよく分かんなかったけど。というかベースという概念すら知らなかった。

そんなリズムに乗せて鈴さんは、レインボーグラデーションの天衣をひらひらさせながら肢体をしなやかに揺らし舞うのである。

そして鈴さんの懐のポーチから、ガラス瓶が白く曇るほどキンキンに冷えたコークを取り出して最前列のお客さんに向けてコークを掲げる。お客さんは先ほど鈴さんから受け取った缶を手にして乾杯を交わす。この乾杯の艶かしさはもはや接吻同然である。連られて僕も”エア乾杯”を交わしてしまう。

思春期になるよりも前のあの頃おなじみだったあの曲がまさかこんな形で甦ってくるとは…
シュールでもあり幻想的な空間は幕を閉じた。

鈴さんのポラタイムのあとは再び鈴さんのエンディングとなり、5人集まって集合ポラタイムになり、第2回公演のフィナーレを迎える。

───────────────

時刻は夕方の5時半頃。
2公演それぞれ違う演目も堪能できたし、そろそろお腹も空いてきたし…
しかしなかなかみんな席を立とうとしない。
どうしよっかなーと思ってるうちに再びブザーが鳴り、さやかさんからの3公演めが始まった。
ああ、これは僕が初めて観た記念すべき演目だ…ってかつい5時間前の出来事なんですけどね…ごごご5時!?
しかし改めて落ち着いて観ると、さっきとは違う発見もあった。

と、なれば、小春さんももう一度観ておこう。
小春さんも愛さんもやはり第一部と同じ演目で登場した。
復習って大切ですね。

この流れでゆきのさんは「alley cat」という演目を演るはずだし、それも復習しておこう。
(ポラに演目名を書いてくれていた)

と身構えていたら、今度は激しい雷雨の夜の森のようなSEが流れる中、にゃー!にゃー!としっぽの毛を逆立てて威嚇しているような猫の鳴き声も聴こえてきた。
あれっ??猫は猫でもさっきの「alley cat」とは様相が違う?
すると真っ黒いレインコートを身に纏ったゆきのさんが登場した。
目深にフードを被り夜の森を徘徊しながら踊る姿はスプラッター映画のようでもあった。
耳を澄まして聴くとその曲はゲゲゲの鬼太郎?のようなメロディが引用されていた。

ゆきのさんはそのコート姿のまま激しく踊るのだが、これがストリップであるにもかかわらず肌をほとんど見せないという、なんともシュールな光景でもある。まだ演目は始まったばかりとはいえども。
しかしそのように激しく踊っていると、そのコートの”しわ”からも、ゆきのさんの手脚の長いプロポーションや曲線を窺い見られるようになるのである。「心眼」のような境地。おそるべしエロスパワー。
フードの形からゆきのさんが大きな三角耳をつけているのが窺えた。
もしや猫娘?

と思ったら次の曲で赤いワンビーススカートに着替えて出てきたのだが、それはまさしくゲゲゲの鬼太郎の猫娘をモチーフにしたものだった。
中でもクレイジーケンバンドの「猫」が流れたりもして、ここが横浜であるといったムードも盛り上がってくる。

そしてトドメは3連シャッフルのブギーなリズムのディストーションギターで「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲ〜♪」とワウをかましたリフをかき鳴らす「鬼太郎大激闘」がとてもかっこよくて、ゆきのさんがお脱ぎになられてるという状態を忘れるほど…

いや決して忘れてるわけではないのだが、エロスな欲求よりもメタルの血が騒いでしまった瞬間も確実にあったわけで…
思わず筋肉少女帯の大槻ケンヂがかつてオールナイトニッポンで「おヌードちょうだい!」って叫んでいたのを思い出した。
そう言われればこの「鬼太郎大激闘」のギターは筋少の橘高さんのギタープレイにも似ている。

───────────────

そういえば大槻ケンヂの著書「のほほん雑記帳」の中でオーケンがストリップ初体験したことを記述している段があったっけな。
読んだのはだいぶ昔だったな…
あらためて本棚からそれを取り出す。
ネタバレにもなってしまうがオーケンはかつてAVの世界で一世を風靡した”工藤ひとみ”さんの浅草ロック座のステージを観て、

「井の頭公園で過ごす時間やピンク・フロイドの音楽にも似た「適度な退屈さ」を感じた」

と記している。
「俺はおっぱい病〜♪」だとか「おヌードちょうだい!」だとか歌ってるテンションとは違って、それに興奮しつつもどこか穏やかな安息を過ごしている、みたいな。

「退屈にのまれることなく、無駄な時間の間で有意義ないろいろのことを考えることができる、ほど良い退屈なのだ」

とも記している。
たしかに僕もそういった「適度な退屈さ」をここ横浜ロック座で感じていたのかもしれない。
たとえばライブハウスでライブと特典会合わせて過ごす2時間の時の流れとは違った、ストリップには緩やかながらに流々と時間が過ぎているとさえ思えた。
それがこのブログ記事の長さでもあるのかもしれない。(笑)

───────────────
話は戻るが、ゆきのさんの次のひなた鈴さんも3公演目は1公演目と同じ演目だった。
基本的に踊り子さんはこの横浜での香盤では2つの演目を2回ずつ繰り返す流れのようだが、ゆきのさんが3つめの演目まで用意してくれたのはとても有難かった。
もしかして他の踊り子さんと比べてゆきのさんは衣装や小道具の量が少ないってのもあるのかな?皆さんスーツケース何個分でも収まりきれないほどの衣装や小道具をそれぞれ自前で用意しているようだし。裸の世界とは言えども。
そしてそれらの設置も撤去も踊り子さん自らステージ上でするんてすね。さやかさんのエアリアルのフラフープ状のリングだって、さやかさん自ら小さな懐中電灯を照らしながら懸吊フックを取り外していた。

しかしゆきのさんの演目はどれも楽曲が素晴らしい。
単に楽曲が僕好みであるだけでなく、楽曲が演目のムードを盛り上げていて、ストリップはダンスとヌードと音楽が融合した総合芸術なのだと思い知らしめるだけの説得力は持っている。
もちろん他の演者さんたちの選曲へのこだわりだとか世界観も感じられるのだが、ゆきのさんのが際立っていた印象だった。

エロスへの好奇心だけで収めてしまうにはあまりにも勿体無い、からこそこうやって文章で伝えたいのであって。
しかし一方でエロスへの好奇心、それもまた勿論のこと重要であって。が故に、ミュージカルでもコンサートでもない、ストリップたりえるものがそこに在る。

僕は思わず財布からまだピンピンの新札を、横方向に細長く折り曲げて、チップとしてゆきのさんに差し出した。医学の発展に貢献した北里柴三郎氏の肖像を、そもそも紙幣を(ポチ袋に入るよう縦方向に折り曲げたことはあったが)こんな形に折り曲げたこと自体が生まれて初めてだった。

そして鈴さんの3公演目もやはり1公演目と同じ演目だった。

もしかしてゆきのさん、4演目ともちがうの用意している?
などと淡い期待(限りなく透明に近い)をよせて、結局僕は4公演の最後まで観て帰ることにした。
「あんたも好きねぇ~」と言われたら、ぐうの音も出ない(笑)
お腹がすいてグウ~の音は鳴りそうだが。

───────────────

4公演目はやはりみんな2公演目と同じ演目だった。
ゆきのさんも2公演目と同じ「スーパーガール」だった。4つ目の演目も──などとも淡く期待はしていたがさすがにそれは欲張りってものかな、しかしこの「スーパーガール」をもう一度観られてよかったという気持ちの方が大きかった。

君はスーパーガール未だ僕の心や眼を狂わせて
スーパーガール 今や僕を支配しているんだぜ
知らなかったろ

この歌詞の通りの気分にさせられちまったんだぜ

そしてトリは鈴さんの「Suzu Cola」だったのだが、なんと鈴さんは僕の目の前でやってきて、さっき最前列のお客さんランダムに配られていた缶ジュースを、僕に差しだしてくれたのだ。それはとてもキンキンに冷えたカナダドライだった。
しかも2公演目の流れを観ていたお客さんはそれぞれ劇場内の自販機でPETのコカコーラを買ってふところに忍ばせている人もいて、鈴さんはこの日最前列に居たお客さんと全員と乾杯を交わせたことをとても喜んでいた。僕はそういうところまで気が回っていなかったのだが、鈴さんが僕にそれを渡してくれたことはとても嬉しかったし、この客席の謎の一体感に包まれる感じ、悪くないなと思った。
鈴さんがひとしきり舞い踊るとステージ後方でポーズをとって演目は幕を閉じた。

ステージ前方に置かれたコークの瓶。
アメ車(アメリカの車)などの世界では前後フェンダーが盛り上がって中央のドア付近が曲線を描いて絞り込まれているデザインを、その形状から「コークボトルデザイン」と呼ばれている。
そしてその「コークボトル」のデザインは女性のウエストラインのくびれに似ているとも言われている。

シボレー C3 コルベット・スティングレイ


そんな缶コーラではなく瓶コーラを使った演出を観て、鈴さんのシルエットが「コカコーラの化身」(もはや伏字を忘れてる)に見えてきた。
なるほど、Suzu Cola か。
この演目も2回観ることができてよかったな。


こういう場所って、怖い人とか危ない人もいるんじゃないかって内心不安に思っていた所も正直あった。もっと規模の大きな他の劇場だといろんな人もいるかもしれないが。
しかしこのキャパ40名(立ち見含む)で座席は実質30人分くらいの、この横浜ロック座の距離感というか、この人数ならではのアットホーム感?っていうか、お互いがお互いを「あんたも好きねぇ」と自嘲し合っている「共犯者意識」にも似た感覚、顔見知りになるほど通っているわけではないのにどこかライブハウスにも似た居心地のよささえ感じていた。

ポラ列に並んでいると、「ああ、この人は毎回”脱ぎ”で撮ってる人だ」とか認識もするようになったし、ツーショで撮りたい人の後ろに並んで僕がシャッターを押す担当にもなったし、僕もまた後ろの人におねがいしてツーショを撮ってもらったりした。

最後にゆきのさんと撮るとき、「”どっちで”撮る?」と訊かれ、思わず僕は「あっ、その、いいんですか?」と肩をはだけるジェスチャーで伝えると「いいよ~!」とお脱ぎになられて「あっ、あっ、もうほんとありがとうござます!」ってなってしまった。
中には手練れた様子でインリン・オブ・ジョイトイもびっくりなポーズで撮ってる人もいたのだが、僕にはそんな芸当などとてもじゃないけどできないし、ゆきのさんがそのお脱ぎになられた衣装で半分だけお胸を隠していた仕草、それこそが至高である!
そう思えた。

ステージ上ではあんなにも大胆に堂々とお脱ぎになられるのに、ここへきてそういった恥じらいの仕草を見せられて僕は不思議な気持ちになったし、そんなゆきのさんをかわいいと思った。
それが「スイッチが入る」ということなのかもしれない。
それはストリップに限ったことではない。

いわゆるラウド系なロックアイドルのステージだって、人を喰らうようなシャウトやスクリーム、デスボイスなどで咆哮したかと思えばチェキ撮るときは普通のかわいい子だったりもするし、そこまで極端じゃないにしてもステージという非日常空間を観たあとの余韻って気持ちがいいな、そう改めて思えたのであった。

結局お昼から夜まで、横浜ロック座で過ごしてしまった。
トリの鈴さんとのポラを撮り終えて劇場を後にし、それぞれが帰路へ向かう。

───東映のヤクザ映画を観終えた観客は、劇場を出るとオラオラと風を切るように歩くの法則があるそうだが、───それともある意味共通した「賢者モード」にも近い感覚で、僕はカツカツとヒールを鳴らすような気分で日ノ出町駅へ向かった。

そういえば折り畳み傘を持ってきたが結局使わずに済んだのだけど、もしも傘を差さなきゃいけなかったならば、「I'm singing in the rain Just singin' in the rain~♪」などと傘をくるくる回しながら帰ったかもしれない。

帰りの電車に揺られながらサブスクで「スーパーガール」という曲を探してみる。
あいみょんの曲?あっ、これだ。
スナッピーなスネアと全体的にスプリングリバーブ効かせた場末のジャズっぽいサウンドが印象的なこの曲に間違いない。
しかしあれっ?テレビなんかでチラッと見かけたことがあるあいみょんのイメージとは違うぞ?

僕は相も変わらず、「ヒット曲」という「世間様」が持て囃しているのに抗う傾向がある。いまだにうっせぇわだとかドルチェ&ガッバーナがどうだらとか、まともに聴いたことがない。だけど”こんな形で”出会ってしまったあいみょんの曲を素直にいい曲だと思ったし、素晴らしい歌手だなって思えた。最近は「僕の好きな人が好きな曲」という動機で、今までちゃんと聴いてこなかった曲も改めて聴いていたりするが、なるほど彼女が好きになるのも分かる気がするなぁ、などと少しずつ音楽の扉を解放している自分がいる。

元々ジャンルにこだわらず色々聴いてきたつもりだけど、僕は何しろ「世間様」ってのが嫌いで、たとえば今でもあるのかな?映画の宣伝で「全米が泣いた!」「めっちゃ感動しました!」とか、どこの馬の骨かも分からん観客が絶賛してる系のやつ、ああいうの見せられると「観るもんか!ジャップが!」とか思ってしまうんですよ。

そんな僕だけどさー、つまり何が言いたいかって
「いいものもある、悪いものもある。」なんだよねー

この日は初めて観るものばかりで果たしてこれは夢だったのかそれとも幻だったのだろうか。
夢というものは眠りから覚めてしまたら案外忘れてしまうものだ。その続きを見たいと思ってもなかなかうまくゆかないもので、それはきっと神様か誰かが「うつつを生きろ」と告げてるからではないか、そんな気がするんだ。

しかし僕はそれに抗うように、余韻のさめぬうちにこうして文章に残したいし、ストリップを観劇したことのない人、この僅か1日前の僕に対しても、どうか先入観などを無くして、いちど観てみてほしいという気持ちで書きました。

香盤が終わり席を立とうとした僕の足元のカバンの上にひとひら落ちていた。
これが夢でも幻でもなかった出来事だった、天女の落とし物。

この日の僕を楽しませてくれた本日の楽曲たち、そして本日の演者さん、白石さやかさん、小春さん、須王愛さん、永澤ゆきのさん、ひなた鈴さん、

「ありがとうございました」。

2024.09.16
Лавочкин(らぼーちきん)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?