腕に刻むということ
僕の左手を知りませんか
行方不明になりました
指名手配のモンタージュ
街中に配るよ
ってそれは右手やないかーい!
ルネッサ〜ンス!
ってザ・ブルーハーツの「僕の右手」をかけてみたんだけど、この曲も名曲です。
事故で右手を失った仲間のパンクロッカーを思って甲本ヒロトが作った曲だそうです。
僕とライブを共にした人の中では見かけたことある人もいるだろう。僕の左腕に油性ペンで何やらごちゃごちゃとメモ書きのようなもの、メモにしては大きすぎる。時に「耳なし芳一」の般若心経みたいなものが書かれている文字列を。
いつだかの遠征の時、ライブを終えて宿泊先に向かう際、「暴力団や刺青の方お断り」の看板にハッと気付いて玄関の外でウエットティッシュで慌てて拭き拭きした時もありました。(笑)
一体いつの頃からだろうか。
ってだいたい記憶に残ってるんだよね、記憶というか記録というか。
記録が目的なんで。
それは遡ること2018年3月の”ゆくえしれずつれづれ”のBy The Avantguarde Tour(通称BTATツアー)でのことだった。
“つれづれ”を知って2年目になる春のことだった。
それまでも群青(つれづれのファンの呼称)の仲間でセトリを記録している人は居た。
しかし今回は仙台遠征ということもあり、おそらくその仲間は来ていないだろう、ならば僕が仙台でのセトリを記録しておこう。
──そういえば、僕が初めて”つれづれ”を”ライブハウス”で観たのは、ここ仙台Enn3rdが初めてだった。それまではタワレコなどのインストアのリリイベでしか観たことがなかったから。
今では信じられないかもしれないが、僕はチケットを購入してライブハウスでライブを観ることに、ある一定のハードルの高さを感じていた。
かつてはライブハウスで演奏する側としてステージに立ったこともあったのだが。
その後バンドも活動休止となり、仕事も何もかも嫌になって、楽器も触らずに音楽も聴けぬ年月をすごしてきた。
それをこじ開けてくれたのは、つれづれの音楽の楽しさだったり、つれづれメンバーのみんなの親しみやすさだったりした。
思えば僕は当時まだ塞ぎ込んで引きこもっていた生活から抜け出そうとしていた最中だった。
そんな思い出の 2017 MISS SINSツアーの仙台Enn3rdで、それは涙が止まらなくなるほど思い入れの深かった日であったにもかかわらず、一方で僕が覚えているその記憶は断片的で抽象的だったこともあったのを悔やんでいた。あれからおよそ一年後の 2018 BTATツアーではもっとしっかりとそれを心に焼き付けたいと思うようになった。───
そう思い立ってコンビニで油性ペン(ゼブラマッキーの細/極細)を買って、ライブ中に手のひらにメモし始めたのだがワンマンゆえに曲数も多く、それは腕にもはみ出すようになっていった。
しかもこのツアーでは、リリース前の新曲も披露されており、少しでも早くその楽曲を覚えたいと、その聴き取った歌詞の印象的なフレーズもメモしていた。
BTATツアーで広島BACKBEATでもセトリを腕に書いた。次に訪れたのは名古屋の上前津ClubZIONというライブハウスだったのだが、このザイオンは冷房の結露と観客の熱気による蒸気で床がツルツルと滑るというヤバい伝説の箱との評判だったので、セトリを腕に書いてたら汗で消えてしまうのではないかと、その日持ち合わせてたレシートの裏面に書くことにした。
しかし前方に押し寄せる群青たちの圧によって文字はぐちゃぐちゃになるし、そんな僕もライブ中も動き回りたいので、そのレシートもポケットの中でくしゃくしゃになってしまった。
また、腕に直接ペンで書いていると汗によってペン先までもがインク出づらくなってきたりして、やがて予備のペンも増えていくようになったし、四方八方から押し寄せるモッシュの波や頭上を駆け回るサーフの波からもこの左腕を守り、時には僕がその群青の群れへの攻撃側に回ったりもした。
それでも守り抜いてきたこの左腕は僕の誇りでもあったし、ライブでたびたびお目にかかる仲間からも「今日も書くんですね!」みたいに期待もされるようになった。
ちなみに僕がセトリの師と仰ぐ”もりさん”は、かつてはガラケーの物理キーボタンのブラインドタッチでセトリをメモしていたそうですが、スマホに移行して以降はポケットサイズのメモ帳にペンで記録しています。
それでもモッシュのぶつかり合いや自分の汗でパーフェクトに記録できない日もあったし、自分で書いた文字が自分で解読できないことも幾度とあった。そんな時は周囲の人の記憶力を借りたり、チェキの時メンバーに答え合わせを求めたり、スタッフさんに直接訊ねたり。
時にはバンドメンバーがドラムの傍らやモニタースピーカーに貼っていたセットリストを剥がしてこっそり僕に渡してくれたこともあった。
しかし、演者側がリハーサルをしながら決めて事前に印刷したセトリと、そのライブの観客として僕がステージから浴びた音楽の、イントロを聴いた瞬間の昂りだとか、この曲のこのパートのこのメンバーが良かっただとか、そんな心象の波というものが筆跡だとか筆圧から伝わってくるものがある。ライブに夢中になるので大抵は曲名を記すのみになるが、予習不足でそのタイトルが思い浮かばなかったり、それこそ新曲初披露のライブでは具体的に印象だった歌詞を書き起こす場合もある。
Reレコーディングの新アルバムをリリースする際のライブではアルバム通りの曲順でライブをすることを事前に知っていたが、それでも僕は腕にそれを刻むことにした。
そうやって僕なりの「儀式」とも呼べるようにななってきたセトリは、普段はそのグループのいわゆる”推しメン”と、つまり”ゆくえしれずつれづれ”の、まれ・A・小町とだけセトリチェキを撮っていたが、生誕ライブなどがあればその日の「主役」とセトリチェキを撮るようになった。
やがて他のグループでもセトリを記録するクセがついちゃったし、って単純な気持ちでそのグループのメンバーと撮ったら、周囲が「ラボさんどうしちゃったの!?!?」などとざわついちゃったり、同”つれづれ”メンバーのメイユイメイちゃんから「小町以外の人と撮るなんて信じられない!!!」って激しく叱られてしまったこともあった。
そんな小町も、つれづれ解散以降は音楽活動からは一切身を引いてしまったし、Not Secured, Loose Ends (NSLE)と名前を変えて英詞に変えて楽曲を受け継ぐようになってからはメイユイメイちゃんとセトリチェキを撮るようにしている。
が、TOKYOてふてふと並行して活動している楪おうひさんが「私も撮りたい〜」って無邪気に言ってくれば喜んでおうひさんとも撮っているし、対バンライブで多くのアイドルグループを観るようになってからは、そのグループの楽曲を知る限りは腕にメモするようにしている。
そんなわけで、僕のTwitterでのセトリツイートは「Twilog」でも記録されているし、グループ名や日付(アラビア数字8桁表記 例:20241020)ライブハウス名などで検索すれば過去のセトリを見つけることもできる。
先日、MEMORIというグループの”そえるん”こと副島美咲さんの生誕ライブが開催され、僕はまだMEMORIのライブに参戦して数えるほどだったので、彼女の昔のソロ曲だったり、MEMORIのサブスク未発表の曲名は、メンバーに直接教えてもらいながらどうにか形にした。
との旨のMCをしていたし、僕もそういった意味では気持ちは全く同じ。
だからこうして僕は腕に刻み続けている。
20241020
Лавочкин(らぼーちきん)