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新奇懐古周遊弐千弐壱真世界 北変 序章

5/30の新奇懐古UNK NLEWworldと、季とマロのbirthday BASH、配信変を経て、ツアー本編(本変?)である南変が始まった。
当初僕もそのうち何ヵ所を希望していて予約メールまで送っていたのだが、仕事の諸々の事情で行けなくなってしまった。その事情を挙げればキリが無いのだが、僕はそういった仕事の事情なんかに振り回されるのが嫌だから、いわゆる「人生のレール」からは脱線する道を選んだし、学生時代の仲間とまた遊ぼうと約束しても、彼らが仕事を理由に断ることの言葉の軽さを恨めしくも思ったりもした。それが「大人の振る舞い」だと思い知り、お互い嘘つきだと察した上で大人らしく振る舞うこと、そうなるくらいならば大人にならずにいよう。
そう自分に決めているから故に「次いつ来てくれるの?」「行けたら行くね」こういった切り返しができないのである。
「行けたら行く」は"If i can go.I will go."であり、すなわち「行けなかったら行かない」と理論的には全く間違っていないし嘘もついていない。
しかしレトリックとしての「イケタライク」となれば、そのニュアンスは慣習的に用いられてる異なった文脈になってしまうのである。
別に行く気などはなから無いけれど、そう言っておけば角が立たない。
待つ側が「来られたら来てくれるんだー」と無邪気に待ってたとしても梨のつぶてで終わるのは、いわば待つ側の自己責任である。

この文章を振り返ってみて、我ながらメンタルぼろぼろだなぁと苦笑する。
元々暑いのも苦手だし鼻呼吸も苦手なので今のご時世・この季節のマスクは非常につらい。おまけに労働で汗だくになるとマスクがびっしょりになり呼吸ができない。毎日死にそうになって帰ってくる。
一体なんでこんなことしてるのだろう…と我に返ると惨めにもなるのでなるべく考えないようにしている。

たとえば死にたいと思い詰めてる人がいて、その人が遺書をしたためているとしよう。僕が思うにその人はメンタルが死にそうでもまだフィジカルは元気であるのだと思う。しかしフィジカルがぼろぼろに痛めつけられると、たとえ良い食事をして栄養状態がいいとしても脳にそれが行き届かなくなる。死にたいとも生きたいとも考えるのを放棄してしまう。
すると死の誘惑というものが音を立てずに現れる。いわゆる「死神」ってやつだろう。しかしそれは杖をついた髑髏にイメージされるような宗教的に描かれたものではない。形のない真っ黒なものである。
そしてそいつが頭の中をもやもやして、「今ここで通過電車に飛び込んだら一瞬で消えられるよ」みたいな着想を与えてくるのだ。

屋上を歩き足元が震え堕ちてゆく
視界は閉じ意識が薄れる━━

きっとそれとも似ているのかもしれない。

しかしそれは現実世界に返ると、血まみれの肉片が飛び散り周囲の目撃者にトラウマを与え、何千何万の乗客たちに迷惑を与え、場合によっては損害賠償で遺された家族にも迷惑をかけることになる。

なんて言うまでもないことだが、人間は社会のそれを知ってるからこそ、理性で行動を抑制している。
「しぬのはこわい。いたそうだから。」
そんな本能ともとれる単純な思考でもいい、それで人間は生きている。生かされていると言った方が適切かもしれない。

でもそんな負の感情をここにアウトプットできたということは、すこしメンタルが回復しつつあるのかな。と前向きに考える。

そして宿や交通手段の予約を確実なものとして得られたことの安心感でもって、ようやく正気に戻ってこられた気持ちでいる。

「イケタライク」だなんて軽々しく言えないし、どこへ遠征するかを告げずに当日メンバーの驚くお顔を見たい気持ちもあって、僕は当日まで内緒にしておくことが多かった。
しかしこの8月7日の仙台と8月8日の秋田は、僕の誕生日であり、僕の産まれた場所であることから、メンバーとは約束していた。
それだけに、それでも来られない可能性を考えたら気が気でない夜もあった。
今のご時世感染してしまって行けなくなることだってあるし、開催都市側の都合で公演自体が延期・中止になることだって少なくない。だってそれは仕方のないことだから。
しかしそれでも僕の誕生日当日にライブを迎えることは初めてだったしリリイベすら当たったことがなかった。
そして僕の両親が生まれ育ち、僕が産まれた秋田県でのライブというのも初めてだ。
秋田でライブを観るということは、つれづれの時からの僕の悲願であった。秋田にはライブハウスは少ないけれど、祖父母の家の近くには「こまちスタジアム」がある。その名の通り野球場だ。
いつかこんな大きな場所で僕の応援する人のライブが観たい━━━
そんな夢をずっと描いていた。

そして今でも描いている。
あれからいろいろありまして、今僕が応援しているのはKAQRIYOTERRORである。
果たせなかった夢をそこに重ね合わせるのは単純な感情ではないけれど、初めての地に期待と不安を感じているであろう彼女たちに、その土地を知ってる僕が".迎えにいきたい"、そして同じ時間を共有できたらこんなに素晴らしいことはない。

僕が初めてゆくえしれずつれづれのワンマンライブを体験したのは仙台だった。ゆくえしれずつれづれにとっては初めての東北地方だった。

僕は仙台で暮らしたことはないけれど、東北地方という大きな枠組みで初めて東北を訪れるつれづれを迎えたかった。しかし迎えるどころかそのMISS SINSツアーは僕にとって初めてづくしで胸いっぱいの体験だった。帰りの車内で彼女たちがいとおしすぎて涙が溢れて運転を休めながら帰ったことを思い出す。

そんな思い出の仙台で、何故かKAQRIYOを━なのだが。いつもつれづれのライブ前日や当日に髪を整えてくれた美容師さんとはもう長い付き合いになる。何故かたくさん持ってるCDを渡したり、つれづれが解散と知った時は共に悲しんでくれた。そんな美容師さんにはKAQRIYOのことを「同じレーベルの"妹的な"グループ」と説明している。もちろん音楽も世界も別物であるのだが。
しかし5月に披露された「trigger atq」を観て聴いて、それまで僕の中にあったもやもやが霧消して、今こうして僕の心の支えになっているKAQRIYOなんだと確信をしている。
このブログ冒頭ではさんざん負の感情を吐き出したが、そんな僕の惨状をよそに、いつも彼女たちは明るく前向きで陽気で、時にはそんな彼女たちをうらやむような、うらめしさすら発露しそうになった。
しかし彼女たちだって苦しいこと悲しいこと悔しいことだってあるはずだし、それを見せない健気さを大切にしたいと思った。かといって僕自身の負の感情を圧し殺してまで明るく振る舞うのは、彼女たちに対して嘘をつくことになると思っていたから、僕は沈黙していた。このブログでの感情も墓場まで持っていくべきなのかもしれないが。

しかしそういった苦しみや悲しみの上にあるからこそ、希望や喜びというものが尊いのだと、trigger atqのメロディをギターで爪弾きながら感じていた。
そんなKAQRIYOに恩返しをしたい、「ようこそ秋田へ」と歓迎したい。生きて生きて生き残りたい。
マクロスフロンティアの「ライオン」のような気持ちでいる、そう僕は8月7日の獅子座に産まれてきたのだから。たてがみの短い白い猫に宿る獅子の奮迅。
緯度が北上するごとにその野生の気持ちも昂っているのが自分でも分かる。

死に者狂いで綱渡りのようにSurviveしてきた日々、この日のために生きてきたんだな。
「死を意識して生きよ」
memento mori

游ちゃん、すもてゃん、マロ、
そしてロンドちゃん、
一生忘れられない最高の夏にしようね。

2021.08.07
Лавочкин(らぼーちきん)

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