TOKYOてふてふ 17都市19公演対バン全国ツアー “act 5 tour 2022″ 20220625 @仙台Enn3rd w/KAQRIYOTERROR
本記事は通常のライブレポのように統一感をもって綴りたいところだが、数本のライブで経験したことなどが時系列も含めて行ったり来たり混在していることをご了承ください。
ここ数ヶ月の葛藤など、清濁併せ呑んで。
話は6月25日に遡る。
さて、いよいよ待ちに待ったツアー参戦!
と言いたいところだが、なかなかそういうテンションになりきれない自分がいる。
近頃は平日の仕事を終えて土日にも仕事してたので、帰ってくると休みの日は何もしたくないって気持ちを抱えながらライブ当日が近づいてきた。
ところが職場からまとまった休みが取れることになったので少し気持ちが楽になった。(有給とはいえその分の手当が来月まで先送りにされるのでそれは不安だが)
そんな僕の事情はさておき、昨今のコドメン界隈では、てふてふもぜん君もそしてKAQRIYOも、対バンライブで数を”こなす”ようなスケジュールも少なからず見られる。しかもそれらには平日のものも多く、急遽に解禁されたとしても僕はなかなか参戦できずにいるし、正直なところ「今週末行くのは誰(主催)のライブだっけ?」と思うほどに出演者が交互に入り組んでて把握すらできず、「今日はどのTシャツを着ていったらいいだろう」とクローゼットと睨めっこしている自分がいたりする。
とは言いつつ、この日はてふてふが主催ではあるのだが、昨年の僕の誕生日以来にKAQRIYOと仙台で再会できるという喜びに主軸を置いていた。
季の休養とマロの脱退───そもそも幽世テロルArchitectがのなめらと个喆の2人で始まったのだから、てっきり僕はしばらくの間は游ちゃんとロンドのふたりだけになっても頑張っていくものだと思ってた。
しかし現実問題、寝こもちが星歴13夜としてハロウィンやクリスマスなどにKAQRIYO・てふてふと共に一人でステージに上がってたのはさぞや大変だっただろうと思う。
それでも游ちゃんとロンドでKAQRIYOTERRORを走り続けることを選んだことを、僕は大いに尊重しようと思った。
ところがRЯとのなめらの加入には驚いた。と共に心強さも感じた。
とはいえ、あまりにも急な展開だったりソロ活動との両立だったり、Architect当時の脱退の経緯に関して・・・な気持ちもあって僕は正直脳みそがついてゆかなかった。
もちろんそれはお互い触れずに置くのもマナーだと思ってるつもりだし、暗黙の了解なところもあるし何しろメンバー自身こそが脳みそがついていってなかっただろう。
それを即座に「楽しみしかない!」と言えるのは盲目なファンか、何かの感情が欠落してるとすら僕は思っていた。綺麗事は抜きにして、今まで歩んできたKAQRIYOTERRORの軌跡に愛着があるからこその「青天の霹靂」だったのである。
それは游ちゃんもロンドちゃんもさぞや驚き、最初は戸惑ったことだろう。
しかしそれは、いつかやがて現体制でのKAQRIYOTERRORが何らかの形あるものを残せた時、たとえば新曲が出た時、あるいはKARIYOTERRORとしてのワンマンツアーをファイナルまで達成した時に「これでよかったね」と言い合えるようになれればそれでいいんじゃないかな。
今はそういう過渡期にあるからこそ、僕はKAQRIYOの味方でありたいし、ノア・ロンドの味方でありたいと思っている。
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ゆくえしれずつれづれが◎屋しだれという核を失って、メイユイメイをリーダーとして、まれ・A・小町、个喆、たかりたからの四人でUnethicalツアーで再び0チテンから歩き始めた頃と同じような気持ちで。
今にして思えば、あの頃のつれづれには数々の物語そしてドラマがあったなぁと。
TOKYOてふてふもまた、セツナウイネが脱退して5人で歩き始めた。あの日のアンコールのウイネがステージから去ったあとに用意されていた新曲「ash.」は、てふてふの今までのどの曲よりも僕の心に刺さった。
しかしそれはあらかじめこの日のこと、これからのてふてふのことを見据えた上で時間をかけて温めてきた曲だったからというのもあっただろう。
ところがKAQRIYOTERRORの急展開は本当に現在進行形で起きている、まるでドキュメンタリーのようなジェットコースタームービーのような急展開をしている。明日のことなど誰にも分からない。
僕はモーニング娘。を好きだった時期もあったが、しかしそれの結成のきっかけとなった「ASAYAN」も見ていなかったし、クラスの班替えのようにメンバー入れ替えてグループとしての新陳代謝と話題作りをしながら存続する手法をメタ視点的に面白がるのが嫌いだった。「このメンバーで続けてゆく」と決めて絆を深めて共に歩んでゆくのが美しい姿だと思っていたから。しかしそれでも不可抗力というものは少なからずあって、それでも結果として応援し続けていて現在があるのだが。
一年余の前のこと、僕はヤマコマロが"戻ってきた"KAQRIYOTERRORを是非この目で見届けようと、Circus名古屋へ遠征した。その時の様子は 弊ブログ別記事 に記してあるが、それまで都内でのライブでしか観たこと無かったKAQRIYOを名古屋まで遠征して観に行ったのはそれが初めてだったし、メンバーもみんな驚いてくれて、そして喜んでくれた。
つれづれの解散を知ったとき、「もう遠征なんてすることはないだろうな。。。」と呟いていたあの自分がまさか…。
是非ともこの瞬間に立ち会っていたい、きっと心細くて不安な気持ちもあるだろうしそういう時こそ。百聞は一見に如かず。
あのCircus名古屋へKAQRIYOを観に行った時のような気持ちで、僕はRЯとのなめらの加入初ステージとなる武蔵野音楽祭でKAQRIYOのステージを観た。
加入して間もないRЯは実に威風堂々としていた第一印象を受けたし、KAQRIYOTERRORとしては初めてだったのなめらも、Architectの頃からの曲がまた新鮮に観られるように仕上がっていたし、のなめららしさも健在だった。
それまでの数日間抱えてた僕の中のもやもやはだいぶ晴れることができた。
一方、武蔵野音楽祭でのてふてふもまた5人になってから日が浅かったが、対外的な対バン自体にまだ慣れていない様子だった。しかし後半から勢いが乗ってきたように思えた。
極論を言ってしまえば、ライブは「終わり良ければ全て良し」みたいなところがある。
もしも演者側が最初からフルスロットルだとしても、観る側がそれについてこられない場合もある。これは自動車のギヤと同じであり、最初からトップにシフトしてもトルクが追いつかずにその車重を前へ推進させることができない。なのでローギアから駆け出してまずは重たい車体を動かすところから始める。
走行前にエンジンを暖機させてオイルを循環させることもまた同様に、マシンにとって大切なことなのである。
まして対バンといった、他のグループ目当てに来たファンにとって初めて観るグループのステージだったりすると尚更、そのシフトアップすなわちお互いのテンションと呼吸の高め方はますます難しいだろう。これが今のてふてふにとって必要な課題だと思う。
そしてKAQRIYOに関しては、まだ現体制になって一定水準の完成度に至ってない曲もあるのだろうし、今は無理して20曲近くを披露するフルサイズのワンマンライブをするよりも、対バンで徐々に鍛えていった方が順当だろう、というのも物凄くよく分かるし、僕自身も今の段階でカクリヨ奇想曲やOblivion、Persona_、Trigger atqを披露するのはまだ時期尚早かなと思う。いずれも僕の大好きな曲だが、大好きだからこそ、機が熟した時に観たいと思っている。
それを思えば、"0地点からの"再出発だったにもかかわらず、Unethicalツアーというワンマン形式で、たとえどんなに観客が少なくてもそこから這い上がってきたあの頃のつれづれの試練は本当に無謀で厳しいものだったと思う。
たとえつれづれの動員がどれだけ壊滅的で赤字続きだったとしても、ぜん君や星歴も幽世もまた頑張ってレーベル全体で支えてくれていたからこそ、かろうじてつれづれが継続できてたとすら思えたこともあった。
──と想いを馳せるのだ。
しかしそんな当時のつれづれにも、まだこの曲を歌うには早いでしょう、しだれが居るつれづれだからこそ醸し出せる世界だと思えるような曲もいくつもあった。
僕はずっと小町推しだったがもちろんメンバー全員を尊重していた。しかししだれ推しにとっては忸怩たるものがきっとあっただろう。
それまでつれづれのファンすなわち「群青」の間では、しだれ人気が抜きんでいた。なんせ、しだれのチェキ列はいつも一番長かった。
ゆえに、しだれが抜けた直後のつれづれは観客動員が目に見えて落ち込んでいた。
KAQRIYOに話を戻すと、同様に季やマロがいたからこそここまで奥行きが深くなった曲もある。しかし現体制で再構築の途上にあるKAQRIYOの再進化を見届けていたい気持ちも勿論ある。
しかし一方で対バンという形で数多くの日程を追いかけるのには限度があるし、対バン側の都合に翻弄されつつも「でもお互いのファンが観にくるのなら、お互いにとってWin-winじゃない?」といった安直さを、感じないといったら嘘になる。それが本来の対バンのメリットとはいえ。
せっかくライブのスケジュール立てても、そのあとから急遽あれこれが平日などに決まっても…しかしそれでも欠かさず参戦できる人ってほんと凄いと思う。仕事とかどうしてるんだろうという疑問もありつつ。僕が職場の人間なら「退職しちゃいなよ」って思うかもしれない。
さて、そんな今となってはすっかり「アリとキリギリス」の「アリ」と化してしまったこの僕も、ここ仙台は行こうと決めていて、新幹線も夜行バスもようやく予約できたのでテンションも上がってきた。
ようやく6月25日に話が戻る。(苦笑)
今回も僕は今日遠征することを告げずに出かけることにした。メンバーの驚く姿を見たくて。
と言いたいところだが、日々の仕事でいつぶっ倒れるかも分からないし、どこで野垂れ死ぬかも分からないので、気安く「○○のライブ行くよ~」だなんて約束できないのが僕の近況なのである。明日の約束すらままならない。恥ずかしい限り。
久しぶりに秋田新幹線「こまち」に乗る。
車内で駅弁を食べているとようやく仙台まで行けそうな実感が沸いてきてテンションも上がってきた。これ以上内緒にして居られず食事やデザートをツイートしたくなるもので。なんだかんだ言ってメンバーに気づいてほしい気持ちの方が強いのかな。
初めて仙台城址も観に行った。
バスで青葉山へ登るとそこは東北大学のキャンパスが広がっていた。樹々に囲まれるように数多くの研究施設が建っている。
歳の離れた僕の従兄弟がそこで哲学を学び年次を過ぎたあとも大学院で研究を続け、やがて助教授になったと聞いていた。
しかし東日本大震災の翌年に、彼は自ら命を絶ってしまった。彼の研究によってどれほどの人々の命を救えるだろう──仙台で震災を目の当たりにした彼の中にそういった葛藤があったのだろうか──その真意は彼の中にしか分からない。
揺れるバスから流れる木漏れ日と、さとう宗幸の「青葉城恋唄」で「広瀬川 流れる岸辺~」と歌われている世界に、僕の記憶の中にあるアツシ兄さんの面影を思い浮かべていた。
2016年のこと、
話は再び5年ほど前まで遡る。
ゆくえしれずつれづれのMISS SINSツアーで僕が初めて遠征をしたのがここ仙台だった。
───僕にとっての初めてのゆくえしれずつれづれのワンマンライブ、コドメンのリリイベ以外のワンマンライブをここ仙台のEnn3rdまで観に来たのだった。
なぜ仙台だったのかというと、コドメンは当時名古屋を拠点としていて関東でライブを観られる機会は今ほど多くなく、時々都内近圏でライブなどあれば「東京に来てくれた」的な喜びもあった。
そんなつれづれを初めて観たのは横浜のタワレコでのリリイベだった。
あの日僕は軽い気持ちで小町ちゃんに「ポストカタストロフのギター練習してるんだ。」と話した。あの時の小町ちゃんのリアクションが今まで会ったアイドルのそれとは違っていた。僕は小町ちゃんのためにももっと真面目に練習に取り組もうと決心した。そして新しく買ったのが、YouTube投稿などでおなじみのSchecterの青いギターだった。
僕はそれを「群青くん」と名付けた。
(のちに小町ちゃんからサインをいただいて、それは「小町の青いギター」と改名された)
それから川崎、渋谷と何度かリリイベで会うたびにいつかワンマン行きたいなと思いが募るようになり、MISS SINSツアーファイナルが新宿LOFTで行われることになり、つれづれのおかげで引きこもりから抜け出して間もない僕はそれに向けてひとつひとつ準備をしていたのだが、その新宿の一週間前に仙台でライブがあるのも知ってはいたしチケットもすでに発売されていたが、そんな僕がまさか遠征だなんて─という気持ちだった。
しかしつれづれへの好きが高まり、そっか、これはつれづれにとっての初めて東北地方なのか……
秋田出身の東北の血が騒ぐと共に、僕もひとつ脱皮しなくちゃなと決心して、新宿LOFTの予習も兼ねて仙台で観てみよう。
と前売り期間が終わりそうな頃にチケットを予約した。
何年ぶりだろう、ライブハウスに来ること自体。
自分たちのバンドが活動休止になって以来だったかな。
入場列に並んでる群青さんはみんな知らない人ばかり。チケットを渡してドリンクチケットとメンバー手作りの特典を受け取った。前物販のブースではメンバー自ら売り子に立っていてメンバー自ら会計も務めてる。ライブが始まる前にメンバーに会えてテンションが上がったが、それよりも驚きが大きかった。
どれ買おうかなと迷いながらつれづれメンバーと話ができるその距離感がとてもアットホームでいいなぁと思った。
あの狭いステージにバンドセットが設けられ、その前で所狭しとつれづれが踊ってたのが印象的だった。その日の特典会でようやく小町以外のしだれ・子子子・艶奴とも初めてちゃんと話したっけなぁ。
その夜僕はネカフェに泊まってスーパー銭湯で朝風呂を浴び、翌日のタワレコ仙台でのリリイベにも参加した。つれづれ初めての東北でのリリイベ、地元の群青さんたちの力でCDが完売した時、つれづれの皆は涙ぐんで喜んでいた。僕ももらい泣きした。
この仙台の二日間で僕はすっかりつれづれを好きになり、帰りの車でつれづれを流してたら、その歌声がさっきまで生声で聴いていた彼女たちだったと思うと、あまりにも愛しくて涙が溢れてきて目の前が霞んだので、車を停めてしばらく泣いていた。Doppelgangerのリズムと車のハザードランプの点滅音がシンクロしていた。
それ以来僕にとって仙台は特別な場所となった。
2019年のこと、
あれからおよそ2年の月日が経ち、子子子、艶奴が去り、しだれを失った頃のつれづれに話は戻る。
小町・メイ・个喆・たからで再出発したつれづれのUnethicalツアー、最初はそれはそれはボロボロだった。しかしライブを重ねるごとに目に見えるほどの成長と、たかりたからをはじめとするメンバーのキャラ開眼、ようやくこのメンバーで「Oddeye」というシングルが出せるようになった。そしてそのリリイベがここ仙台でも行われた。なんでわざわざリリイベのために仙台まで?それはこの2019年の4月30日が平成最後の日だったから。
────平成という時代が幕を開けた時、それは西暦で1989年の1月だった。
昭和天皇のご容体が芳しくなくなり、井上陽水が走行中の車のウインドゥを開けて「皆さんお元気ですか」と語りかける日産自動車のCMもセリフ部分が無音になって自粛されたり、「平成名物TVイカすバンド天国」、通称「イカ天」が始まったり…。
僕はといえばCDラジカセのCMで派手な色の髪を逆立てたBUCK-TICKというバンドに一目惚れし、彼らの出演する深夜の音楽番組を観たかったのだが、当時の我が家にはビデオデッキもなく、こういった風貌の人たちの音楽は不良の始まりだという偏見もあった時代だった。
僕は親に内緒で(CD機能のない小さなラジカセで)そのテレビ番組をカセットテープに「録音」して、それこそ擦り切れるほど聴いた。そんなBUCK-TICKの待望のアルバム「TABOO」がリリースされたのがこの1989年の1月だった。しかしCDラジカセも持ってなかったので僕は友達から「TABOO」をカセットテープにダビングしてもらった。CDラジカセのCMソング「JUST ONE MORE KISS」みたいなキャッチーな曲を期待しながら。
ところがそのアルバム1曲目の「ICONOCLASM」という、サイレンが鳴るようなギターのイントロから始まる不気味な曲に衝撃を受けた。
はっきりしたメロディもなくコード進行もEmのみでベースラインも機械的に同じフレーズを繰り返す。当時そんな音楽に関する知識など無かったが「とにかくすげぇ曲」に出会ってしまって、僕にとってのロックは平成の始まりと共に目覚めたと言っていいだろう。
その後ギターの今井寿さんが、その、LSDで捕まってしまってBUCK-TICKは翌年まで活動自粛を余儀なくされることになるのだが…。
ちょうどその頃、僕の中のロックにもうひとつの大きな事件が起こる。
X(エックス・当時はJAPAN表記無し)がメジャーデビューを果たした。
そう、あの「紅」である。
僕の中の派手髪信仰はその頃に形成されたと言っても過言ではない。
それ以前からC-C-Bの派手髪に憧れたりさらに遡れば横浜銀蠅のリーゼントヘアーにも惹かれたりもしたが。なので氣志團がBOØWYやhideなどをリスペクトしてるのにとても共感をおぼえたりするのよね。そんな風にロックと共に生きてきて、高校生からベースを始めて、大学で知り合った仲間といっちょ前にバンド組んでアルバイトをしながら小さなライブハウスで活動し続けたりもしたが、やがて楽器も触れず音楽そのものも全く聴きたくなくなった。そんな日々が何年も続いた。
そんな平成の最後の日は、
僕の中に失われつつあったロックの心を取り戻してくれた恩人であるまれ・A・小町ちゃん、そしてゆくえしれずつれづれと過ごしたかった。
ちょうどその日、午後のつれづれリリイベのあと夕方からは仙台Enn3rdで「幽世テロルArchitect出張定期公演 Vol.5」も行われ、そのおかげもあって幽世目当てで仙台に集まってたヨミビトさんたちもつれづれのリリイベに"立ち寄って"くれた。
───
当時のリリイベは今みたいに購入者限定で入場整理券が配られるのではなく、誰でも気軽に立ち寄れるインストアライブが多かった。
通行人もその場で目を惹きつけられればファンになれる機会があるというこの形式こそがリリイベの醍醐味だと僕は思うのだが、昨今の感染対策の状況からそれもなかなか出来ないのは分かっている。
更に言えば配信ライブをするようになったのも、ライブハウスでライブができずこのままだとコドメン自体の存続が危ぶまれる。そんな状況から産まれた苦肉の策だった。
しかしそれが功を奏して、お互い会えない期間が続いてもコメント付きチェキや歌詞カードへのメッセージなどで絆を絶やさずに乗り越えてこられたんだと思う。
あの頃の配信ライブを通じてメンバーも配信ならではの魅せ方を模索したり、あれはあれで「怪我の功名」だったと言えるだろう。しかしやはり直接目と目を合わせられてお互いの呼吸を探りながら高めてゆけるライブに勝るものは無いと、改めてライブハウスの有難みを実感するようになった。そしてライブハウスでライブをできるように戻りつつある今も尚、マスク着用義務や声出しなどの制限もあるがいくらか自由を取り戻せるようになった。
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令和という時代がそんな風になってしまうとも全く予想できなかった平成の最後の日。
仙台のタワレコでは多くのヨミビトさんたちと共に「Oddeye」のインストアライブは大いに盛り上がった。ところがライブ後の特典会になるとそそくさと幽世のライブに向かってしまう人も多く、残った何人かの群青は(スタッフの)高木さんの”カモ”になった。僕も何枚かチェキ撮ったら幽世のライブを観に移動することもしようと思えばできた。
せっかく仙台まで来たのだしその方が合理的に決まっている。
しかし幽世を観に行ってそこでチェキも撮ったりするのならば、「平成最後の記憶」はつれづれではなく幽世になってしまうのである。
(もしも順序が逆だったならば行ってたかもしれない)
タワレコに残ってリリイベの機材を片付けている高木さんとそんな話をした。「俺はもう少ししたらあっちに合流するけど、らぼさん本当に来ないの?」「すいません、そういうことなので。」「…そっか、らぼさんらしいや。今日はありがとう。」
今になって思えばあの日の幽世も観ていたら…などとも思うが、あの時の僕はあれでよかったと思ってるし、ああすることしか出来なかっただろうな。
あの人は もういない~♪
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2022年に時は戻る。
そんなことを思い出しながら再びEnn3rdにやってきた。遠くからでも分かるスピーカーを積んだような真っ黒い建物、あれは実はEnn3rdではなくヒステリックグラマーだったり、向かいのベンチだけの小さな公園で既に酎ハイ飲んで"できあがってる"ファンが居たり、何度も見てきた光景。
雪が積もってた日もあった。
リハの合間にコンビニで買ったアイス食べながら雪道を歩いてくるメイちゃんに出くわしたこともあったっけな。
受付で「お目当ては?」と訊かれる。
「KAQRIYOです」と即答するが3年前の僕には信じられない。
受け取った特典はてふてふのカードだった。?
今回はてふてふとKAQRIYOの他にもう一組”EMP”というグループも出演予定だったがキャンセルとなった。より多くのグループを知りたいという気持ちもあったが、EMPのキャンセルによってKAQRIYOとてふてふの曲が増えたらラッキーという気持ちもあった。
今回の主催はてふてふなので、KAQRIYOの出番が先で、てふてふがトリだった。マロの復帰初ステージだったCircus名古屋とは立場が入れ替わっている。とはいうものの、KAQRIYOは現体制になって間もないのだし、てふてふだって5人になって間もない。両者間ではてふてふが「KAQRIYOさん」と呼ぶ先輩・後輩関係が一般的となっているが、お互い同じ高さのステージで切磋琢磨しているのが健全だと僕は思う。てふてふ目当ての蜃気楼さんがKAQRIYOの時間はYOMIBITOさんに最前列を譲り、てふてふの時間はKAQRIYO目当てのYOMIBITOさんが蜃気楼さんに譲る。そんな光景は微笑ましい。
初手はKAQRIYOで「かごめかごめ」から始まった。初めてKAQRIYO観る人にインパクトを与えるには充分な瞬発力のある曲。今回の音響は重低音もかなり攻めている感じだ。がしかし仙台のお客さんっておとなしい人が多いんですね。いつも仙台に来るたびに思う。それを他所から来た僕がそんなに激しく、はしゃいじゃ~って良いの・か・な?と戸惑うこともある。
落ちサビでのRЯのヘドバンは長い髪が激しく揺れてかっこいい。しかしまだフロアが温まりきれていないのに2曲目でさっそくオリサー演るのは早いんじゃ?まだフロア温まってないんじゃ?と思いつつ小島よしお~からの「鬼乃狗摩音頭」。僕もこの猛暑の中ようやくEnn3rdに辿り着いたのだが、もしかしてメンバーも疲れてる?そんな気がした。
鬼乃~は確かに「こっちの水も美味しいはずよ」と黄泉の国へ誘惑する歌詞なので対バンライブ、特にアウェーに於いてはうってつけの曲である。しかし一方で「端から端のリアル見極め」とフロアの端から端までを見渡す振り付けがどうもぼんやりしているように感じた。
今回僕は割とセンター寄りで観ていたが、Bipropagandaなどこれまで最前列の最下手や最上手でKAQRIYOを観てきたこともある。そんな時の「鬼乃~」で端の端っこに居る僕にまで意識が行き届いてるのがすごいなと感じたし嬉しかった。
そういうきめ細かいところって、季が突出して行き届いてたと思う。それだけに季の心労も多かったと思うが、それでも季はいつも楽しそうだった。immensetour業業のどこだかの公演で、そんな季に違和感を覚えたことがあって「大丈夫?疲れてない?」って訊ねたこともあった。
以前クリスマス頃のライブの時にスタッフさんに、「らぼさん、年越しライブも(もちろん)来ますよね?」と訊ねられ「いや、1月2日に大切なライブを控えているのに大晦日にオールなんかしてる場合ですか?」って答えたことがある。するとスタッフさんは「そこは気合で」。
いや、気合でなんとかならないこともあるんだよ。と僕は思う。年越しライブを(曲順は違うが)ゲネプロや景気づけの気持ちでと捉える考え方もあるかもしれない。しかしそれだってお客さんから入場料を取って演ってるものだし、出演時以外の拘束時間が長すぎる。
僕はいつも「一度きりしか無いライブ、一つ一つを大切にしてほしい」と思っている。
そうは心掛けていてもライブは毎回必ずうまくいくものではない。たとえ演者がレッスンを重ねて完璧に仕上げて臨んだとしてもいろんな条件が重なってしまう。メンバー同士お互いが真剣がゆえに意見がぶつかり合って険悪なムードになってしまう日もあるかもしれない。それがライブだし、それをどうやって挽回していくかが、それでもライブを続ける理由なんだと思う。
この記事の初盤で書いた「極論を言ってしまえば、ライブは「終わり良ければ全て良し」みたいなところがある。」の気持ちで、途中抜け出したりせずに終わりまで見守ろうと思った。さ
自らの身体で演奏するバンドと違って、オケというものは無情にも次の曲、また次の曲へと続く。どこで一呼吸を置いて挽回できるか。てふてふにもぜん君にもつれづれにも途中で「MC」という名の定型の口上を詠む場面が存在する(した)が、しかしKAQRIYOにはそれが無い。ターンテーブルでワンアクション起こして気分転換するのにも限りがある。ワンマンフルサイズのセトリになれば中盤にPersona_やLike a Fakeなどでクールダウンできる時間もあるが、今のサイズだとそれも難しいし、現メンバーでそれらの曲を歌うのはまだ早いかなと思っているし。
アイデンティティークライシスのイントロではロンドが煽るのが恒例となっている。こういう時こそレッスンやリハーサルで無かったような突き抜けた「何か」を聴かせてくれればそれが空気を一変させて挽回のチャンスと成り得る。
僕も仙台まで車で遠征したことあるので、前日も横浜でライブをし早朝から長時間の車移動することがどれほど過酷なことなのは身を以て知っている。運転手はもちろんのこと同乗者にとってもこれは大変なことだと思う。しかし何か月ぶりに地元仙台でライブを待ってた人にとっては前日までどれだけハードだったかなど関係ないし、むしろ日頃の仕事や学校などの疲れをライブの気持ちのいい疲れで吹き飛ばしたい。という気持ちだったり、地元に来てくれて嬉しいという気持ちの方が大きいだろう。僕自身も地元横浜や故郷秋田でライブしてくれた時は感慨ひとしおだった。
しかしもう一方で、慣れぬ地方まで遠征してくたびれ切った身体にこそ沁み渡る音楽ってのも味わったこともある。「もう明日どうなってもいい」って思えるような。
しかしこの仙台は───ライブ終了と共に彼女たちは深夜に車で戻って翌日再び昼間から下北沢でライブが控えているのだし、この中日(なかび)が”守り”に入ってしまってるのではないだろうか────そう思ってしまう瞬間がいくつかあった。
摩訶不思議ズムのイントロが流れたので、たぶんこれが今日のKAQRIYOの最後の曲だろうな…って思った。
案の定これが最後の曲だった。
まだまだ物足りない時、もっと観たい時、そのためにアンコールはあるはずなのだが。
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次はTOKYOてふてふの出番だ。
僕はKAQRIYOを観てた同じ場所に立っている。メロディアスなピアノとラジオのチューニングノイズとパルス信号の交差するSEが流れるとメンバーが一人ずつ登場する。1曲目のeffect pain spiralで横に一列に並んだシルエットが、この日僕が初めて生で見た新衣装を一層際立たせる始まりだった。2列目で最前列の人の頭と頭のだからステージを観ていた僕の目の前にはのんのがいた。照明が明るくなった瞬間「見つけたよ~」みたいな顔をしてくる。のんのはシリアスな曲においてもニコニコしたところを見せるので「あれっ?」って思うことも時々あるのだが、「愛嬌だねー」で乗り切れちゃう、それもてふてふらしさなんだと思えるようになった。
てふてふの曲は同条件の音響環境で聴くとKAQRIYOよりも低音が細いと感じる。しかしその分、音数も多くタイトに微細に刻んでくる感じもまた悪くない。cry more againなんかそれが細かすぎて、まったく初めて聴く人にとってはそのスピードについてゆけないんじゃないかな。PAのバランスが良くないハコではリズムを見失いそうになることもある。
しかし以前よりも各ヴォーカルによるメロディーラインが明確になってきて聴きやすくなったと思う。
そして3曲目にはてふてふのどの曲よりも聴き慣れたイントロが。
MISS SINS、そう、ゆくえしれずつれづれのカヴァー曲である。僕はこの曲は7月のおうひ生誕まで取っておくものだと僕流の解釈で思ってたので、この日聴けたのには驚いたし、以前おうひさんへ「仙台Enn3rdはMISS SINSツアーで僕が初めてワンマン観に行った思い出の場所だよ。」と伝えてたので、まさか、まさかね、米倉斉加年…ジャンッッッ!!!───
はさておき、そのイントロ流れた瞬間、後ろにいる高木さんにガッツポーズ送りたかったし、よく一緒にモッシュし合ってたつかっちーもこのフロアの後ろにいるので謎の安心感がある。しかしそれより僕はこのMISS SINSのステージを一瞬たりとも見逃したくない気持ちだった。
僕がてふてふのMISS SINSを観たのは恵比寿リキッドルームでの「insane soar」以来だった。リキッドルームではおうひさんの憂いを帯びた歌が群を抜いていたのだが、この日のMISS SINSは小さな身体を仰け反らせるちむちゃんのシャウトもかっこよかったし、のんのの指先までに渡る繊細な振りもよかったし、神狩ちゃんの哀しみの表現にも深みが出てきたし、「いつかの未来で会いたい─」と歌うエンディングのらすちゃんには艶奴の最大瞬間風速を想起させるような儚さがあって、五人が五様に素晴らしく、act pentagon tourの名に相応しい五角形を描けていたと思った。
僕自身のMISS SINSに対する思い出補正もあるのかもしれないが、思い入れが深いからこそ生半可なものは観たくない。もしもMISS SINSを演るなら中盤のエモタイムや終盤にくるかなと仄かに期待してたが、いい意味でその期待を裏切ってくれた。もしかしたらてふてふの音源は網羅しててもこの曲知らないって蜃気楼さんもいたかもしれない。ゆくえしれずつれづれ自体を知らない人もいるだろう。
以前の僕だったら、「そう気安くカバーして欲しくない」という気持ちの方が大きかった。てふてふがワンマンの時にMISS SINSをカバーしたとは話では聞いていた。なかなか良かったよとは聞いていたが僕自身で聴いてみなきゃそれはなんとも言えない。
星歴13夜が新宿ReNYでワンマンライブをおこなった。あの日僕は全く予期していなかったがミニマルロンドのイントロが流れ、その星歴のカバーを目の当たりにしてから、それを受け入れられるようになった。
あの星歴のミニマルロンドがあって、てふてふのMISS SINSがあって、今ではこうしてつれづれの曲を知ってもらったり、新しいファンの人たちにゆくえしれずつれづれを知ってもらえることが有難いと思っている。うちにある大量のCD持って配ればよかったw
そんなわけで僕はこのMISS SINSのおかげで、この日のてふてふへのテンションは数段シフトアップしてしまった。となると、以降の曲たちもより一層鮮やかに響いてくるわけなんですね。お酒がおいしいと食事も箸が進むように。とは言いつつも泥酔せずにセトリも記録する理性は保ったまま。
普段の通勤中なんかはテンション上げたいのでfrom lostはそれほど多くは聴いてない。しかし聴く時はたいてい音源の曲順通りに聴いてるのでfrom lostのしっとりした余韻からash.のイントロ(音源ではinstrumental)が流れた瞬間はキタ━(゚∀゚)━!ってなった。CDの構成としてはash.が表題曲になるのでash.が一曲目になるのだが、詞世界のドラマとしてはfrom lost→ash.が僕の中では正解だと思ってる。ash.のwoh woh~というシンガロングを声にしてフロアの天井に響かせる日を待ち侘びながら。
TOKYOてふてふ 17都市19公演対バン全国ツアー “act 5 tour 2022″ 20220625 @仙台Enn3rd
w/ #KAQRIYOTERROR
DJ;ロンド
游 Я の
1.かごめかごめ
2.Original Satire
→鬼乃狗摩音頭
4.だいいんぐあかさたな
5.うすうす
6.Drying Party?
7.Full Time Dive
8.ユビキリゲンマン
9.Avant-gardE
10.アイデンティティークライシス
11.lilithpride
12.摩訶不思議ズム
#TOKYOてふてふ
世 の ち ら お
1.effect pain spiral
2.cry more again
3.MISS SINS
4. tokyo tragedy
5.double
6.phantom pain
7.blind paranoid faith
8.from lost
9.ash.
(MC)
10.daybreak
11.innocence soar
この日の終演後は、この仙台でMISS SINSを観られた喜びなどをてふてふちゃんたちと共有して胸一杯になったが、KAQRIYOのみんなに対しては「おつかれさまでした」としか言葉をかけられなかった。
帰りの夜行バスでもさっきのMISS SINSを思い浮かべながら眠りについた。翌日KAQRIYOはさっそくお昼からサーキットライブ形式のイベントに出演していたが、僕は朝帰りした自宅でぶっ倒れて眠っていた。
2022.06.25.
Лавочкин(らぼーちきん)