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人生の折り返し地点

今更ながら自己紹介を書こうと思ったのは今日で30代最後の誕生日を迎えたからだ。
人生の半分を過ごしたような気がして、今振り返るとあっという間だったような長かったような。

そんな私は将来どんな仕事につくのだろうと学生時代はワクワクしたが(今はその期待感は息子に託されてしまっている)意外にも金融業という、今までの人生とはかけ離れた仕事に就いたのだから人生は分からない。

終わりの見えない就職活動

今まで定期考査やクラブの練習でツラい時期があっても、テスト当日や試合当日がやってくるから、出来が良くても悪くても終わりがあるから頑張れた。

でも就職活動に限っては「就きたい仕事に妥協はしたくない。」からスタートしたのでそもそも「短大卒は採用不可」「TOEIC800点以上」と受ける時点でエントリーできない現実にぶち当たる。
それでも英語を使う仕事に就けたのが「外為業務」の仕事だった。

安定の企業就職

新人の頃は全てが真新しくて必死になってついていこうとした。
担当は送金業務だったこともあり、他の部署に比べてあまり英語を使わなかったけれど毎日が忙しくヘトヘトになって帰ることが多かったが、それでも楽しかった。

社会人の基礎も教えていただき、今でも感謝している。ただ新人という若さで乗り切れていたことも多く、レートや為替を扱う仕事は向いていないと感じ始め、この頃から「他に一生できる仕事はないか?」と考え始めるきっかけにもなった。
これはのちのち家族や友達に「辞めたらもったいない」と連呼させる要因となる。

育休を経て転職

育休も含め13年間雇っていただいたが、最後は環境の変化や人間関係に疲れ
職場の最寄り駅に着くと涙が出てきたり、昼食が食べれず頬が痩けってきたりして、病気になる前にと思い退職となった。
これをきっかけにそれまで地道に資格取得を進めていた「ネイル」の道に進むことになる。

ネイルサロン勤務

いくらネイリスト検定2級を持っていてもネイルサロン勤務の経験がないと雇ってもらいにくいのは知っていたので退職した後は、どうしたものかと途方に暮れた。
しかも長年、完全土日祝休みの環境を家族との生活を壊したくなかったこともあり、土日祝がお休み貰えるサロンが希望という甘い考えが覚悟のないところ。

ところがこういうことにはいつもツイてるな。と自分で思うことが多く、数ヶ月探し、面接&技術チェックの上、採用をいただけることに。
お休みで融通をきいてもらっている分はGWと年末は出勤するようにし、恩返ししたいと思える恵まれたサロンで3年間の勤務。
そんなサロンもスタッフの人数が増えてきた頃、自宅サロンの準備をスタートしたものの、そう上手くはいかずで。今でも試行錯誤しながらの日々を悩みながら送っている状態を楽しんでいるのかもしれない。

自宅サロンを充実させる

今は来てくださるお客様に精一杯おもてなしをして、来てよかったと思ってもらうことを大切にしている。
家ではアイディアマンと呼ばれるほど、夏休みの工作材料や過ごし方をアレンジするママだが「仕事」となると型にハマったことしかできない傾向なので柔軟にやっていきたい。
それで今もこうしてブログを書いてみたりしている訳である。

人生残り半分

コロナで世界が変わってしまった今、悔いのないように、何をすべきか考えることが多くなった。
やっと自宅サロンにお客様が来てもらえても欲は尽きず、もっと充実した日々を求めてしまうのもたまにはお休みにして、今日くらいスマホから目を離し、子どもが「ママの誕生日に」と料理を振る舞ってくれているのを微笑ましく見ることができるなんて、とっても幸せだ。

来月はボランティアで始めた「マニキュア一色塗り」を障がい者支援センターまで行かせてもらえるのも今できる幸せなことだ。
明日はどうなるか分からない世の中になってしまったけれど、何かのせいにせず納得いく人生にしたい。



#自己紹介 #転職 #起業

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