音楽の思い出といえば、、、(その2)〜肩を張らずにフランス57
いや、一つだけあった。
楽譜を買い漁って初見弾きをしていたこと。聴いた曲をとにかくすぐ自分で鳴らしてみたい。これが15年後に仕事の役に立つことになって、その上永住までしてしまうなんて誰が予想しただろう?何しろフランスにはフランス語を学びに来ただけだったんだから。
地方で小レベルとはいえ曲がりなりにもコンセルヴァトワールに入れてもらえるだけのレベルと「何か」があったということだろう。ピアノはまだしもソルフェージュなんか習ったことはなかったし、音符を五線譜に書いたこともなかった。それでもいきなり中級クラスに入れられ、2年間でソルフェージュは最後までやりきってしまった。今教える立場になって、生徒がソルフェージュでやっさもっさやっているのを見ると、自分にはやっぱり適性があったんだと思う。
実はピアノに関しては4年間、2人の先生に就いただけ。子供の頃の5年間を足したところで9年間にしかならない。ここで「もしも小学校6年生で辞めずに続けていたら?」と考えるのはまるで意味がない。仮にあの時やめてなければ中学3年生で高等音楽院の足元にたどり着いていたことになるが、その後の15年があったからこそフランスに来るという離れ技もやったし、音楽をやり直す気にもなった。今の家にいてブリコラージュなんかをやって過ごしているんだから人生何が起こるかわからない。とにかく在籍していたコンセルヴァトワールを上り詰めた4年間だった。
いい歳になっていたのでそれ以上先生につくことは考えなかった。アルバイトで先生のアシスタントをやっているうちにディレクターから伴奏の仕事の誘いを受け、現在に至っている。その後国家試験も受け、正式に伴奏家として仕事をしている。海の物とも山の物ともわからない結構歳もとっている外国人生徒として入ったコンセルヴァトワール。そのまま教える側に回って居ついてしまった。今では最古参のひとりだ。
今、30年お世話になった古い « Pleyel »にさよならして、この先の30年(20年?)お世話になるための新しい(中古の)ピアノを親しいピアノ職人に探してもらっている。なんだかんだ言ってレベルも上がったし、好みのタッチとか音色とかもわかってきたので、変えるなら今!と相談したところ親身になって聞いてくれた。
いい物件があったら連絡をくれることになっている。
今のところまだない。
残りの人生の話だから急いても仕方ない。のんびり待つことにしよう。