家具屋が恋した"小樽オーク"のハナシ
こんにちは。1925年(大正14年)創業、福島県郡山市にある家具屋の3代目、渡部信一郎です。おかげさまで2022年6月23日をもって創業97周年を迎えることとなりました。
そこで今回の「家具屋が恋した家具のハナシ」は、我が社と同じように大正から昭和にかけての激動の時代を歩んできた"ある木材"についてお話したいと思います。
日本の雑木が欧米では森の王様に
欧米でoak(オーク)と呼ばれる木は、ブナ科コナラ属の広葉樹一般を指し、落葉樹である「ナラ」と常緑樹である「カシ」が含まれます。欧州でオークと呼ばれる樹のほとんどは落葉樹です。
ミズナラは他のナラの木と比べ、幹に水分が多く含まれていることからその名がついたと言われています。水分量の多い木材は乾燥に手間と技術が必要ですが、きちんと乾燥したミズナラ材はオーク材の中でも反りや割れなどが起きにくいと言われ、古くから家具や棺(ひつぎ)、酒の仕込み樽に使うことができる木材として高く評価されてきました。英語の辞書(英英辞典)では【 King of forest 】の意味として【 The Oak tree(s) 】と記されるほど珍重されています。
日本ではナラもカシも長らく雑木(ぞうき)、つまり価値のない木として扱われてきました。しかし近年、特にミズナラの木材は、はっきりした木目と親しみやすい色が好まれ、家具や内装などによく使われるようになりました。
製材した際に表面にあらわれる木目には柾目(まさめ:直線的に並行に並ぶ模様)と板目(山型、タケノコ型に並ぶ模様)などがありますが、ミズナラの特徴のひとつに「虎斑(とらふ)」と呼ばれる柾目面に不規則にあらわれる虎の毛皮のような模様があります。
時代に翻弄された"小樽オーク"
オークの木は西欧でも各地に生育しており、1700年代にマホガニー材が登場するまでは高級家具の材料として人気を博しました。その後も加工のしやすさと質の高さで家具材として広く使われていました。ところが本来は害虫にも強いオークが、英国で1920年代(大正時代後期)に集団で病気にかかり、その数が激減してしまいました。そこで注目されたのが日本のミズナラでした。欧州産オークより良質だったことから「Japanese Oak 」として独自の価値を確立しました。なかでも品質が高く高級な木材として注目されたのが北海道産のミズナラ、通称"小樽オーク"でした。
明治政府により北海道の開拓が始まった当初、原野には多くの広葉樹が点在し、なかでも幹が太く重く堅いミズナラは邪魔者とされました。伐採しても切り株の周囲から芽を出し、薪にしても斧で割りにくいうえ着火性が悪く、炭にすれば火をはじくといわれ嫌われていました。
日清戦争(1894〜1895年:明治27〜28年)と日露戦争(1904年:明治37年)に勝利した明治政府は大陸に進出し、満洲鉄道をはじめ長大な鉄道路線を建設するようになります。ここで必要とされたのが大量の枕木でした。この頃北海道では炭鉱と鉄道網、そして石炭積出港として小樽港の整備が進んでいました。そこで、かつては厄介者だったミズナラを北海道の原生林から伐り出して、フリッチ(丸太を粗く挽いた角材、杣角:そまかく)に加工したものが小樽港から大陸に向け次々と運ばれるようになりました。
1931年(昭和6年)、中国で満州事変が勃発しました。この時に国際連盟から派遣されたリットン調査団が満洲鉄道の枕木を見て、その質の高さに驚いたという話があります。おりしも英国では大量枯死によりオーク材が不足しており、"小樽オーク"が日の目を見るきっかけとなったのかもしれません。
この間、輸出の主力が角材のフリッチから板材のインチ材へと移り、1937年(昭和12年)の小樽港の貿易統計よれば、輸出総額3,700万円のうち24%に当たる889万円をインチ材が占めたという記録が残っています。
戦争の激化とともに小樽港から輸出する木材の量は減少していきましたが、1945年(昭和20年)に第二次世界大戦が終結すると、外貨獲得の尖兵としてインチ材は復活を遂げました。林業各社が共同で北海道輸出検査規格を作り、特等級と1等級の高品質な"小樽オーク"だけを海外に向け出荷するようになり、ヨーロッパでのシェアを拡大していきました。
1945年といえば、家具好きにとっては忘れることのできない年です。北欧の椅子を語るうえで欠かすことのできないボーエ・モーエンセンとハンス J. ウェグナーが「スポークバック・ソファ」を発表しました。その後モーエンセンは「J-39 シェーカーチェア」を1947年に、 ウェグナーは「Yチェア」を1950年に発表しました。
※これらの椅子については前回記事「ウェグナー、モーエンセンと日本の新しいスタンダード」をご覧ください。
https://note.com/lavidafukushima/n/n7a28efb0cb01?magazine_key=m8e60b68e5f48
このような戦後の開放的な雰囲気の中で現在いわゆる"ビンテージもの"と言われる家具が次々と発表され、高級家具材としての"小樽オーク"もヨーロッパでの揺るぎない地位を確立したのです。
小樽港からのインチ材の輸出は1940年代後半から1950年代前半をピークに落ち込んでいきます。北海道の厳しい気候の中でゆっくり育った樹齢200年以上のミズナラの大木が乱伐により減少してしまったこと、価格の安い旧ソビエト産の広葉樹の出荷が増えたことなど原因はいくつかあるようです。
"小樽オーク"を使った家具もビンテージ商品として価格が高騰しており、"小樽オーク"じたいも今や幻の存在となってしまいました。
貴重な"小樽オーク"の端材からカッティングボードを制作
10年ほど前のことです。各地の木問屋さんを巡り歩いていた時に、とある倉庫の片隅でホコリに覆われたフリッチの山と出会いました。聞けばあの"小樽オーク"とのこと。推定樹齢は300年。その場で買い付け、自社の店内に大切に保管していた際の様子が冒頭の写真です。これらの"小樽オーク"は、ラ・ビーダ オリジナルのテーブルや椅子、あつらえ家具、住宅の材料へと姿を変え、現在はテーブル用の材が数台分と端材が残るのみとなりました。
創業97周年を迎えるにあたり、この貴重な"小樽オーク"の端材を使ってカッティングボードを制作しました。オイル仕上げでプレーンと穴あきタイプがあります。限定97台、通常は5,500円相当の商品となりますが、創立記念価格としてフェア期間中の2022年6月4日(土) 〜7月24日(日)に店頭にて2,200円で販売します。
※税込価格、おひとり様1台のみの販売となります
端材から手作りしているため、サイズや木目、斑の入り方などが1台1台異なる製品となります。ぜひ店頭で手に取ってお確かめください。
参考文献
『読みもののページ 木のはなし「ミズナラ」』旭川市経済部工芸センター
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/364/365/369/p004869.html
『雑木 -インチ材から銘木ヘ -北海道の広葉樹評価の移り変り-』宮島 寛
https://www.hro.or.jp/list/forest/research/fpri/rsdayo/20044016001.pdf
『おたる坂まち散歩 コッフさんと外人坂 前編』小樽市広報広聴課
https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2020102600760/
『広葉樹材についてのお話』北海林産株 式会社・清水啓雄
https://www.mokuzai-tonya.jp/geppou/1905/pdf/1905_09.pdf
『ミズナラ樽の、数奇な運命 シングルモルトウイスキー山崎』サントリー
https://www.suntory.co.jp/whisky/yamazaki/news/009_03.html
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