My STORY 3
ドイツから転勤族として再度イギリスでの生活が始まった。
イギリスの生活が落ちつた頃、また仕事を探し始めた。
貿易営業系の仕事で決まり、東から西へロンドンを横断しながら長い通勤をTUBE(地下鉄)に乗ってしていた。
仕事はこじんまりとした支店ではあったけれど、
自分でやる事が多い分、やりがいがあると思う、改善や管理も任せられたり、責任感が出てきてとっても働きやすかった。
定時の5時にほぼ終わるし、日本での残業時代には考えられない業務体系を維持できるのは、さすが海外勤務。
最初は日本人の上司だったけれど、寛大であんまり小言をいう人でなかったけれどきちんと成果は認めてくれてすごく良好であった。
次のイギリス人上司も子供が三人いらしたので、病気や怪我の時に仕事を抜けなければならない時の対応が日本人とは違ったのでとってもありがたかった。
通勤のために日本人が多いエリアEALINGに移り住んでいたが、子供が出来るまではこんなに日本人が住んでいるとは思いもしなかった。
そこは、It is a small Japanese world!
日本人の学校はあるし、不動産、お店。レストラン。
まるで日本みたい。
すっごく便利で7年も住んでいたけれど、
子育てするには色々な情報や幼稚園があったり小学校があったりと、
とっても良い環境だった。
子供がレセプションに上がる頃、子供の学校の為に
南西のロンドン郊外へ引っ越したけれど、この周辺にも日本人が
結構いたり。
イギリスには本当に沢山の日本人が住んでいる事に驚かせられます。
子育てをしながら、1年間の産休後仕事に復帰して、
イギリスの法律で産休後の仕事の時間を変更できる制度を申請してみた。
これってすごい制度で、
会社はこの申請に拒否できないのです。
イギリスの雇用法律で働く母親の雇用制度が守られているのです。
もう、WEBサイトで色々政府の情報を集めましたよ。
まー私がいたオフィスは小さいオフィスだったので、
上司の理解度もあって、時間短縮などにも応じてくれてとても助かりました。だから13年という歳月を続けてこれたのだと思う。
そんな時にBREXIT(ブレクジット)問題。
これが、なかなかイギリスとEUの間で解決されず、
貿易関係の会社は本当に何年も関税はどうなるんだ。
とか色々な課題が山積みで、
毎日のように政治家の言っている事は変わるし、
ドキドキの数年をイギリス国民は味わったわけですよ。
多くのイギリス人がBREXITに投票した事を後々後悔し始めたり。
やり直しをする声が多く発せられたり。。。。
そん中、イギリスの顧客はE Uまたは違う国に工場を建設したりして、
ブレクジットに対応して移管してましたね。
そんなわけで、ロンドンオフィスの閉鎖が決まったわけです。
その時、ちょうど子供の11+という受験の準備で忙しく、
仕事から離れて、まもなく世間はコロナ騒ぎで
ロックダウン時代へ。
そろそろ仕事を探そうと思っていたのに。。。
途方に迷う頃。
ネットビジネスでの起業のアイデアを学び始めました。
イギリスにいても日本の方と繋がれるビジネス。
秋からは英語コーチとして活躍していきたいと思います。
もし、ご興味のある方がいらしたら、DMくださいね。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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