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第1 浦島太郎時代

オーストラリアから日本へ戻り、仕事を探そうと、派遣会社へ登録しに行ってみたけれど、その頃、EXCEL, WORDが出来ないと仕事がなかった。

私はまるで、浦島太郎になったような気持ちになった。

私が日本を離れている間に、世間のコンピューター化は凄まじく進んでいた。

ビルゲーツ最盛期時代である。

何社か派遣会社を回ったがどこも、コンピューター能力を要した。

とても良かったのは派遣会社の研修制度が整っていて、一からでも色々学べた事。

そして、興味を持ったのが貿易事務講座と言うものだった。

その昔子供の頃、どんな職業につきたい?という作文を書く学校の宿題で

どんな職業があるのか、本をペラペラめくっていると、バイヤーという名前に惹かれた。その時、バイヤーがどんな職業かも知らなかったけれど、

なんなくそのカタカナ職業と名前に憧れた

その時はバイヤーが何なのかよくわからなかったので作文には書かなかったけれど。

晴れて、エクセルもワードも貿易事務も覚えて仕事につく事ができた。

初めての外資系のロジスティック部は小さいけれど、海外から輸入して日本に卸していた。久しぶりのOLは結構楽しかったし、少人数だったけれど、社員の人にとってもよくしてもらった。

そこでの仕事はロジスティクスのアシスタントだったので、数ヶ月後、次へのステップアップを考えた。

他の営業の部署へおいでと誘って下さったけれど、その頃始めた貿易の知識を高めたかった。

派遣会社が凄いと思うのは、自分のステップアップのために仕事を簡単に変えられる事、会社を色々探して来てくれるし、その中から選べる事。

次に出会ったのは大手メーカーのロジスティック部

さすがに大手なので、フロアに100人以上いる活気のある部署だった。

そこで日本から輸出する出荷書類と、工場からの生産管理と顧客のオーダーを元に出荷手続きをしていく。大変だったけれど、物が回っていく仕組みが面白かった。

大手の良いところは、全てほとんど自動化されている所。もう、すでに前任者がやってきた事をやっていれば仕事が回る。

周りには、英語で会話をしていたり、危険物を輸出していたり、英語のL/C(信用状)を読む専門職の人もいたりした。

そこで色々刺激を受けたし、みんな深夜遅くまでよく働いていた。

日本人は本当によく働くなと感心した。

そして、私のモチベーションがまた上がった

自分の英語力が足りなさすぎる事に気づいた。

オーストラリアで一緒にハウスシェアをしていたイギリス人の女友達とはEmailで時々連絡をしていた。

イギリスに遊びに行ってみようかと思ったが、その時、仕事が忙しくてまとまった休みを取ることは不可能だった。

派遣という仕事ではあったが、ほとんど1人で仕事を任されて回していたので、出荷が止まってしまっては一大事。穴をあけれなかった。

悩んだ挙句、昔アメリカ人の友達が言っていた、

人生一度きりだからやれる時にやったほうが良いという言葉がまた蘇ってきた。

そうだ最後にイギリスに貿易を学びに行こう。

家庭に収まったら、もう海外なんていけないかもしれない。

今のうちに好きな事をやってみよう。これが最後だ!

と決めると情報を集め出して、家族の反対を押し切って飛び立った。

イギリス留学生活

私が初めて到着したイギリスは1月で寒くて暗かった。

北海道と同じくらい寒いのかと思って、中に何枚も重ね着をして、コートを2枚羽織って大きなスーツケースを押しながらロンドンの地下鉄に乗った。

乗り換えをする時に、背の高い若い男の人が"May I help You?"と言って重いスーツケースを階段の上まで持ち上げてくれた。

わ〜イギリスって本当に紳士の国だわと感動した。

その人の頭の上には目に見えない透明のシルクハットを被っているのではないかとさえ思えた。

オーストラリアでバックパッカー慣れをしていた私は、ホームステイではなく、バックパッカーの安宿を最初の宿に選んだ。

色々と情報をGETしたかったからだ。

ロンドンの治安や土地勘もなく、予約したバックパッカーは東南のあんまりよろしくない地域にあった。 

今思うと、チャレンジャーだったなとつくづく思う。

若いって怖いもの知らずだ。

スマホもないし、地図もよく分からなくて、地球の歩き方を片手にさまよっているとジャマイカンの男の人が迷っているのかい?と声をかけてきた。

最初は荷物が盗まれるんじゃないかと心配になったけれど、もう夜になっていて道もよくわからないし、壁の落書きからあまり良くない地域なのではという不安もあった。

いや、大丈夫です。1人で探しますと言うと、僕、日本人の友達がいるんだ。よくしてもらっているからヘルプするよ。

その日本人に感謝したくなった。

地図見せてごらん。僕のうちの近くだからと案内してくれる事になった。 

最初はビクビク怪しい人だと思っていたけれど、話していると陽気な面白い人。

彼の家の前まで来ると、「ここ、ぼくんち」君の宿はあそこだよと指をさして、

家の中に消えていった。

彼はジャマイカ人だったけれど、彼の頭の上にも透明のシルクハットが見えた気がした。

イギリスって紳士の国だわ、そんな事を思った瞬間だった。

たまたまラッキーだったのかもしれないが、イギリスは治安の良い国なんだと安心した初日だった。

最初に私が割り当てらた部屋は女の子の4人部屋。

フランス人と、オランダ人と、アフリカのおばさんと一緒だった。

みんな、昼間はアルバイトをしていた。私は学校へそこから通った。

そこで出会った、フランス人の子と仲良くなって色々な情報を得たり、一緒にロンドンの観光もした。

アフリカ人のおばちゃんは、私達の部屋のヌシで、消灯後、いつも寝る前に神様に大きな声でお祈りをしていた。

時々、私達のみんなの事も祈ってくれる熱心なクリスチャンだった。

それが、結構笑えてみんなでクスクス笑いながら寝静まったのを思い出す。

学校が忙しくなると、試験とかもあるから家で勉強をしなければならなかった。

そろそろ自分の部屋を探したいと思って、新聞で赤ペンで丸をしながら公衆電話で探し始めた。そう、まるで競馬のオヤジみたいに。

その頃、若い子はみんな、そうして宿を探していた。

色々なシェアハウスを経験したが、

結論から言うと、

個室の1人の空間というものの大切さやありがたみを感じた。

シェアハウスは結構大変だ。

その頃、学生は20時間アルバイトができた。そこでその当時のJob Centre(職業安定所のような所)へ行って仕事を聞いてみた。日経の旅行会社を紹介してもらい、面接に行ってラッキーにも雇ってもらうことができた。

1ポンド250円だったあの頃、3ポンド(750円)のサンドイッチを買うのさえ高くてためらった。日本だったら、コンビニで150円のおにぎりが買えるのに〜と。

イギリスってとっても物価が高い、今は1ポンド135円前後だから、だいぶましになった方だが、私の留学当初は本当に高かった。

もっと昔は1ポンド700円の時代もあったそうだ。

私がイギリスで学生を続けるには、職を探すのが必須だった。


アロマセラピーと恩師の出会い

一年もいると、イギリスが楽しくなって来ていた。日本へ帰りたくなくなっていたし、他のヨーロッパの旅も楽しかった。

色々な文化を吸収できる素晴らしさ、もっと長く滞在したかったと率直に思った。

周りは、学生かイギリス人と結婚しているが多くいて、仕事をしながらエンジョイしていた。

私も、その1人で、ガブリエル・モージェイ先生のスクールITHMAにて東洋医学とIFPA認定アロマセラピーを学び始めていた。

P.S.The Institute of Traditional Herbal Medicine and Aromatherapy (ITHMA) Gabriel Mojay 

ここで一応、ガブリエルの紹介をしておくと、日本でもよく知られるアロマセラピーの有名講師。私が習っていた時も、日本からわざわざ彼の講義を受けるために留学している人達がいた。

彼のアロマに対するパッションはとても情熱的で、とっても優しいソフトな人柄がみんなを虜にした。彼からアロマを学ぶ事ができて本当によかった。

東洋医学とのYIN and YANGもこの時に習い、体の不調和から起こる健康問題と、精神面が大きく関係している事がわかった。

その後から、私の健康への意識、ヒーリングセラピーの出会いが始まる。

リフクソロジーやレイキなど、あらゆるコースを受けていた。

その当時、仕事も空港に移り、新しい職種へと挑戦していく事になった。

最初は、エスコートの仕事をしていたのだけれど、チェックインや、ラウンジ、VIPのお世話などをすることに。

色々な出会いや、気づきのあった時期。ビザの期限がくるまで働けた事に感謝、そこで出会った素晴らしい友人とは今も家族ぐるみで続いている。

第2 浦島太郎時代

日本へ帰って、また派遣会社にお世話になる事になる。

本当に、派遣会社ってすごい。

あの頃はすぐにお仕事を紹介していただいた。

小さい日経の会社であったが、仕事的には自分の理想にとても近い仕事だった。 

小さい会社は、色々な事をいっぺんに掛け持ちするので、顧客との英語での対応、デリバリーのアレンジ、展示会など、任せられる事が多かったから飽きなかったし、やりがいがあった。

忙しかったけれど、仕事が苦痛だと思ったことはなかった。

4年間もの間、一度も日本へ一時帰国していなかったので日本での生活は新鮮で刺激的で楽しかった。

私の第2の浦島太郎時代は何もかも、日本が素晴らしく黄金の国ジパングに思えた。

イギリスって、古い歴史を重んじる国、そう、そのころは色々な物の老朽化が目立っていたから、日本の迅速なサービス、お洒落なカフェや和食レストランなど、私にとって、日本は楽しい事だらけだった。 

この頃、日本の和の文化や着物にも気を引かれた。

久しぶりに帰ってきた日本が大好きでヨーロッパへの興味が消えかけていた頃、心配した彼(旦那)が迎えにきて両親に紹介する事になった。

こんにちはドイツ そしてさようならドイツ!

そして、ドイツへ行くことになった。

こんにちはドイツと言いたい所だが、実は私の胸の心境は違った。

ドイツ語が好きで、ドイツ留学する訳ではないし、特に、ドイツカルチャーが好きなわけでもなく、質素なドイツで、できればドイツ語を喋りたくなかった。

英語で通じるだろうと思って、最初の数ヶ月はドイツ語も習っていなかったけれど、日常必要なショップで働く人はほとんど英語を喋らなかった。

最初のドイツでの生活は実は私のどん底の一ページだった。

市役所へ行くにも、どこへ行くにも、いつも旦那についてきてもらわなければならなかった。 まるで子供の付き添いみたいに。

そういう自立できない自分が嫌だったし、かなり葛藤していた。

ある時スーパーで、ドイツ人のおばさんに英語で話しかけられた。

わー優しい、いい人もいるんだわと思っていると、最後に

ドイツで生活しているならドイツ語喋らないとねと嫌味を言われた。

悔しくて帰り道、涙が溢れ出てきた。

来たくてきた国じゃないし、ドイツ語嫌いだもの。

頭の中がぐるぐるして何度も日本へ帰ろうかと思った。

まーそれが、きっかけでドイツ語の学校へ通うことになったのだが、同じような環境の子達が沢山いて、実はとっても楽しい時間になった。

もっと早く行っておけばよかった。

ラテン系の子達が多くて、皆、ドイツ人の彼か、旦那さんがいた。

それからは、生きたドイツ語を使うために個人店に行って

ドイツ語で買い物の練習した。

例えば、イタリアショップに行って、100gのハムを買うとか、チーズを買うとか。今日は200gにしてみようとか。

ドイツ語って思ってた以上に文法が複雑で難しい。

でも、ドイツ人以外の外国人に話すのはハードルが少し下がった。

ドイツ人に話すには、文法がパーフェクトでないと嫌な顔をされるが、それ以外の国の人はちょとぐらい間違っていてもあんまり気にしない。

ラテン系の友達は、お国柄かよく喋る。文法とか適当でも。

だから、言語習得が早い。

これって言語を学ぶ上で、っごく重要な事。

会話が通じれば、パーフェクトでなくても全然大丈夫!

ドイツ語の先生からは、とりあえず、テレビをよく見なさいと言われた。

聞くことができないと、何について話しているかわからないから、返答ができない。

そう、実は喋る前に、聞く力の方がとっても大切

最初は全くわからなくても、ある日突然理解できるようになる。

これ、本当です! 英語もそうだった。

パーフェクトに喋るのは難しい。

通じればいいという軽い気持ちでいる方が良い。

義理父様は文法を間違えると、英語で言ってと、とってもドイツ語に厳しい方だったけれど、義理母さんはいつも褒めてくれた。

よく、子供に褒めなさいって言うじゃないですか。

大人も褒められると嬉しいんですよね。 

とっても勇気づけられます。

ヨーロッパ人はこの、褒めるのがとっても上手。 

イギリス人もよく子供達の事をスポーツの練習中とかに励まして褒めるし、私のイギリス人のテニスのコーチも、よく褒めてくれる。それがたとえそんなに上手くなくても。

レベルは人それぞれ違うから、30分前の、昨日の、先週の自分よりも少し良くできたら、それは Well Done! よくやった!なんですよね。

小さな階段を少しづつ登っていく感じ。

何回、同じ階段で足踏みしていてもいいんですよ。

それは自分との闘いだから。

同じ階段で一歩上がれるまで練習すればいい。

他の人とはゴールの違う階段を登っているわけだから、比べる必要もないし、自分のゴールだけに集中した方がいい。

褒められると、嬉しいですよね。自分にも褒めてあげる癖をつける。

100gのハムがドイツ語で買えた時はすっごく嬉しかったし、そんな小さな目標でいいんです。ガッツポーズでしたよ、心の中でね。

ドイツで生活して2年半ぐらい経った頃、フランクフルトで仕事を探し始めたと思ったら、旦那のロンドンへの転勤が決まった。

それまでは、イギリスへ移住したくてたまらなかったのだけれど、

いざ、ドイツを離れるとなると、色々築き上げてきた友人とかの関係がなくなるのが寂しくなった。

だけれど、さらばドイツ! またね。


My Story 3へづづく。



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