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優しく掬い上げてくれるような存在? / さくらMemory



"いつもと違うことを始めていこう"と決めた今年は、参加しているコミュニティの企画
「#表現者ルーティン」に乗っかって、
書くことに少しでも慣れていきたいと思いながら、とりあえず書いてみます。


お題は「さくらMemory」


早速ながら、
"さくら"で何か記憶があったかな?と思い出してみても、あの卒業式の時たしか桜が散っててキレイだったなぁ…とか、

お花見を理由に仲間を集めてピクニックみたいなこと毎年してたなぁとか、
そうゆうホワーッとした楽しい感覚の断片みたいなものしか、実は残ってない。



その時その時は、めっちゃ楽しかったはずなのに、今となっては"お花見''という1つのキーワードに紐付いた「楽しい思い出ゾーン」に毎年の記憶が一緒に振り分けられてしまってて、細かな記憶としてキープされてないのかもしれない…



そう。「さくらMemory」というと、
書けることが思いつかない…となってしまうけれど、

「桜の木」ということでいうと、
4月も桜も、もう終わってしまうけれど、書いておきたいトピックがある。


自分にとって親和性を感じる木
あったりしますか?


人生のなかで、あるいは幼少期でということでも良いし、いま住んでいる地域でも、通っているエリアでなんとなく気になってしまう木みたいなものでも。


そう考えた時に、
わたしの場合はじめに思い出すのは
出勤するとき使う最寄りの駅前に居る
サクラの木なんですよね。
(実は各所に気になる木があるんです)

たわわにぼってりと咲くんです。



それは、横に大きく広がった八重桜の木。
幹はちょっと斜めに伸びてるんです。


他のサクラが満開になる時期に色濃い蕾をつけ始めて、他のサクラが散り始めた頃から、ゆっくりゆっくりと開花…

サクラの時期の後半で他の木が散っていく中で感じる儚なさや余韻を、色濃い華やかさでどっしりと掬い上げてくれているような…

もう終わっちゃうなぁという喪失感に、
「まだまだこれからだよ〜」と、たくさんの花びらで分厚い低反発のクッションみたく存在してくれているような。

「ここからが私の時間よ!」と最後に現場に入ってくる大御所的な存在感とかもちょっとあるかも?

そんなサクラの木が気になって、
花が咲いていない季節も毎朝通るたびに、
この木の存在を確認してしまってる。

理想の存在とか、在りたい自分像みたいなものと、なんとなく重なってるのかも?

そう考えると、
自分が好きなものの”好きなところ”が、どんな所なのかを探してみる作業は、在りたい自分像と出会うためのヒントにもなる?かも。


#表現者ルーティン
#サクラ

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