何にどう使うか
夜中に山道を車で走っていて ふとコンビニの明るい看板に出くわすと、なんだかほっとして、ありがたい。
おかげでトイレも済ませることができて、明るい店内で飲み物も買える。
ほっとするのは、そこに安全だとか、人との関りだとか、そんなものを感じ取っているからなのだけど。
暗い場所での明かりは、ほんとうにありがたい。
少し停電しただけで、ものすごく不便だし、夜には不安になる。
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で、この看板って、とてもありがたいのけど、
都心に限らず、過剰すぎるんじゃないかと思う。
明るくて綺麗で目を引いて力を誇示しているようで、立派であればある程素晴らしいみたいなところがないだろうか。
電力が足りないといわれるのに。
空まで明るくなるほどの明かりが、日々の生活に必要なのだろうか。
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なにかを誇示する為だけのものに電力を分配する前に、本当に必要な所への供給を優先する。
今の電力生産量で補えるようにしてはいけないのだろうか。
そんなことを考える。
昔あった映画の看板。
きっと私の世代でギリギリ見た事あるものだけど、全て手書きで大きな面積に描かれ、芸術だった。
その大きな絵にライトを当てて。
それが看板だった。
商店も、百貨店も、社名看板も、もっとシンプルだった。
いったい何を競っているのだろう。
なんのためにもっともっとと明るくと...電気を消費しなきゃいけないのだろう。
認知する側、購買する側、つまりわたしがしっかりと見る目がないといけないんだな。
惑わされないように。
踊らされないように。
そんなことを思った。
yumiko yuri