初任時代の映像を振り返る⑦「テンポ」
この世は、リズムで溢れている。
例えば、楽器。
例えば、ダンス。
音楽が鳴れば、そこにはリズムが生まれる。
そして、テンポ(速さ)がある。
授業にもリズム・テンポが存在する。
しかし、それはあれども見えず。
今日はまず、テンポについて述べていく。
リズムはまた次回に話す。
1.初任時代の遅すぎるテンポ
毎時間の授業を「耳」で聴き、時折映像で見返す。
毎回行っていたのは、録音した授業の傾聴だ。
家に帰り、机に向かって自分の授業音声を聴いていた。
帰りが遅くなりそうな時は、教室で丸つけをしながらでさえ自己分析を怠らなかった。
そんな私に身についたあるスキルがある。
それが話を聞くだけで、大体のテンポが把握できる技術だ。
これぐらいかな…?と予想をすると概ね当たっている。
さて、そんな私が初任時代の授業を視聴した際、テンポはどれぐらいだっただろうか。
予想してみてほしい。
70〜73だった。
このテンポは曲でいうと、
U2『Starting at the sun』の速さとほぼ同じだ。
人間で言えば、心地よい速さである。
しかし、授業に限定すると“遅すぎる”
このリズムでは、子どもたちはだれていく。
2.理想の授業テンポとは
では、テンポの理想はいくつだろうか。
いくつぐらい、と紙に書いてみてほしい。
いくつぐらいだっただろうか。
私が学んでいる教師団体ではBPM 128であった。
スマホのアプリでTENPOと検索し、どれぐらいの速さか聴いてみてほしい。
結構速い。
このテンポでの授業は実際にみてみないとわからない。
桃太郎の歌、冒頭の歌詞を歌ってみてほしい。
もも太郎さん、もも太郎さん。
この2つだけだ。
BPM 70だと6秒かかる。
一方、128だと3秒だ。
2倍の差である。
後者の速さでの授業は子どもたちに心地よい流れを与える。
子どもは自然とのめり込んでいく。
3.教師は伴奏者であり指揮者
私は教師の役割を合奏でたとえるならば、
1人で演奏をし、指揮をしている者だと考える。
伴奏は、授業行為でいうと声の強弱や大小、いわば教態だ。
指揮は、先に挙げた授業の速さ、緩急である。
それを同時に意識できる教師は技量が高い。
単調でもいけない。一定でもいけない。
強すぎても大衆(子ども)は魅力を感じない。
だから様々な工夫がいる。アレンジが必要となる。
区切れの良いテンポにしていく修業が不可欠になる。
では、どうしたら体得できるか。
答えは2つ。
シャドーウィング
そして、削る作業だ。
削る作業に関しては写真を参考にしてほしい。
これを100回続けるととんでもない変化が訪れる。
シャドーウィングは英語の勉強を思い出してみると良い。
講演家でも良い。とにかく自分が聴いていて、速いけど忙しくない!あっという間だったと思う方の声に続けて、追いかけるかたちで声を出してみてほしい。(声の高さ、強弱、声の大きさ全てを真似する)
簡単であるかどうか。体験してみてほしい。
私は相当難しかった。
何度も何度も繰り返す中で、そっくりそのまま言えるようになる。
それがようやく血肉となった証拠だ。
そして、また違う音声へと移る。
これを繰り返す。
地道ではあるが確実に向上できる方法だ。
ぜひ試してみてほしい。
当時私は、ただ早口で進めれば良い。
そう感じていた。
しかし、それは間違いであった。
ただの思い込みであった。
本質の理解が皆無だったのだ。
3年目。
ようやく垣間見えてきた。
実直に続け、成長する自分が真実にある。
そこに子どもたちの笑顔が生まれている。
「速さ」1つをとっても技術なのだ。
次回はリズムについて語る。
つづく…。
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