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夢の中の逃避と現実との狭間で

先日、初めて猪苗代の湖畔で開催された音楽とアートのフェスに参加しました。その前に参加した音楽フェスといえば、中国・昆明でのものが唯一の経験でしたが、その時の記憶はあまり良いものではありませんでした。男性にしつこく絡まれたり、さらにはセクハラに近い経験までしたため、音楽フェスというものに対して少し恐怖心が芽生えてしまったのです。

そんな中、日本でのフェスに大きな期待を抱いていました。たとえ天候が悪くても大丈夫だろうと、(実際、雲南省の天気を基準にして考えていたのは甘かったですが)。本当は最初、山中湖のフェスに行く予定だったんですが、台風の影響で断念しました。後日、現地の写真や動画を見て、心の底からホッとした反面、フェスの混乱ぶりに恐怖すら覚え、大規模イベントの意味について考え始めました。

しかし、9月の終わりに訪れた福島のフェスでは、その考えが大きく変わりました。湖畔でキャンプをしながら過ごしたその数日間は、思っていた以上に素晴らしいものでした。人々が行き交う中で気づいたのは、大規模イベントが単に一時的な消費や破壊だけを目的としているのではなく、幸福を生み出す場でもあるということでした。人々は、ただ無目的に集まるのではなく、強いつながりを感じるからこそ、遠方からでもわざわざ足を運ぶのです。

その後、私は「インターネット中毒」に関する研究を読みました。それによると、人々は他に集まる場所がないため、仮想空間に群がるとのこと。しかし、現実の「第三の場所」(家でも職場でもない場所)は、インターネットでは決して代替できないものであり、そのために人々はますます孤独になっている、という内容でした。私がフェスで体験したことも、その研究内容と深くリンクしました。フェス当日、私はほとんどスマホを触りませんでした。もちろん、インターネット接続が悪かったことも理由の一つでしたが、何よりもその場でのリアルなやりとりが、あまりにも複雑で濃密だったため、オンラインにアクセスする余裕すらなかったのです。その場に没頭することで、現実と向き合わざるを得なくなり、フェスの一瞬一瞬を感じ切るしかなかったのだと思います。

音楽フェスというのは、単に音楽を楽しむだけではなく、より深いレベルでの社会的なつながりを提供する場所なのだと気づかされました。インターネットでは得られない、リアルな交流や共感がそこにはあり、孤独な現代社会の中で、それはとても貴重な経験だと思います。フェスの場でこそ、人々は他者との直接的なつながりを感じ、ネットでは埋められない心の空白を満たしているのかもしれません。

2024/10/4

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