子育てに専念しない
子どもを産んで1歳8ヶ月。ひよっこママである。
幸いにして子どもはよく育っている。
とにかく健康。38℃以上の熱を出したことは3回ほどで、いずれも1日で下がった。手足口病になったり、吐いたりしたこともあるけれど、鼻水くらいはいつも出ているけれど、基本的に健やかに生きている。
よく食べる。あまり好き嫌いもなくて、バランス良く、比較的行儀良く食べる。中肉中背。
先日、一時保育で利用している保育施設で「よく躾ができているお嬢さんですね。どこへ行っても可愛がられるでしょう。将来が楽しみですね」と保育士さんに絶賛された。
言葉がろくに出てこないが、「はい、どうぞ」「いただきます」「ごちそうさまでした」「いってらっしゃい」「ばいばい」などの挨拶がしっかりできるからかもしれない。出る時には深々とお辞儀をする。
できるように厳しく躾けたわけではなく、褒めていることと、そうするとどこでも褒められるので社会で生き抜いていくための彼女なりの技なのだと思う。
「よく気がききますね」「段取りをよく理解しています」と行動も褒められる。
「上手に育てていらっしゃるから安心だわ」と義母にも褒められる。
ここまで褒められて得意にならない母親もいないだろう。思わず子育てについて語ってしまいそうになって、うっと堪える。
たかだか1歳8ヶ月、たった1人を育てている途中なだけなのだ。
「すべての子育ては結果論である」と母の友人が言ったそうだ。皆、偶然うまくいったに過ぎないことを得意気に語るのが子育てなのかもしれない。
しかし、子育てに専念する「専業主婦」であると、子どもがどう育っているかこそが自分の結果となるような錯覚に陥りやすい気がする。
「子どもが成果物である」ような錯覚に。
当たり前だが、子育てに正解などない。
10年後にはグレるかもしれないし、親を裏切るかもしれないし、非行に走るかもしれない。または「いい子症候群」に陥ってしまい、ひそかに母を恨み「毒親」と罵るのかもしれない。
そこかしこに落とし穴と、油断してはいけない、見逃してはいけない瞬間もある。たった一言やちょっとした行動で傷ついたり、全てが変わることもある。
注意深くなくてはならないと思うと同時に、私は絶えず「子どもに集中しすぎない」ようにしている。
よく観察する、見守る、尊重するけれど、けしてコントロールしたり、強い思いを抱きすぎない、子ども中心で世の中を回さないようにしている。
そのこと自体が正解かどうかもわからないけれど、子どもはすでに一人の人間であって、私の分身でも成果物でもないからだ。
私が褒められることも、子どもが褒められるのも嬉しいけど、過信しすぎず、油断しすぎず、おおらかにでも丁寧に。そういう風に育てていきたい。