2/10 インターネットは自由でなきゃいけない
バイト三連勤最終日の夜、神田明神がすぐそこにあるのに、お参りに行く気力もないくらい疲れていた。
働くと休みのありがたみが自然に出てくる。東京ポッド許可局の「今年が一番早い論」の結論も、予定をこなす間は自分の実時間が流れていないから、家に帰ってからの数時間が実際の一日の時間であり、そのズレが積み重なった末の「今年は早かった」と感じるのは当然だろう、というものだった。
ただ、同じ仕事を数時間継続するのではなく、一日の流れに沿って業務を行う僕のバイトの場合、時間の流れをシャットアウトするのではなく、別の視点で時間を把握しながら身体を動かすから時間の体感におけるズレは曖昧だ。しっかりと時間を使った(自分が主体ではないのだけど)意識が鮮明だから、少し切ない。
連日のバイトでは常に数十分、数時間後の業務を意識して働いたから、気付いたら時間が経っている状態を楽しめる読書は最高の贅沢のように思う。贅沢だった。贅沢なのだけど、保坂和志『小説の誕生』を読んでいたら帰りの電車をの乗り過ごした。贅沢貧乏。
先週、森見登美彦『熱帯』を読んだとき、久々に小説に入り込んでしまったかのように夢中でページをめくったのだけど、あの感じがとても楽しくて、読みかけの本を一回端において小説を読むことにした。たまたま手にした藤井大洋の『ハロー・ワールド』が面白くて、今日は『アンダーグラウンド・マーケット』を読んだ。
『ハロー・ワールド』は、長いことITエンジニアとして働いてきた作者の実体験が多分に含まれた私小説の側面を持った作品らしい。
自作の広告ブロッカーが国家検閲の存在を暴いてしまったり、GPSを利用したドローンの自動配達機能における特異点に鉢合わせたり、ビットコインのインフレ策への参加を脅迫されたりと、近未来の世界で起こる変革に、何でも屋のITエンジニアが巻き込まれていく。
藤井作品で最初に手にした『東京の子』も、『アンダーグラウンド・マーケット』も、描かれる世界には共通性がある。
日本には労働者として大量の移民が生活していて、彼らの生活を保障できるだけの制度や法律、何より差別意識の消滅が成立していない。
その中で、ITスキルという武器で身近な問題に挑む存在が現れ、アクションを起こしているうちにより巨大な存在に突き当たる。それは、明らかな悪者の悪意ではなく、自然と既得権益に胡坐をかいてしまう制度や、マイノリティがサヴァイブできない仕組み、つまり格差や人種間問題なのだ。
仮想通貨、働き方、検閲などの切り口で近未来を書き始めた作者の信念が、との物語にも現れている。
『ハロー・ワールド』で、バンコクを訪れるのが二年ぶり三回目という主人公に、政府に対する学生デモを企てたプローイが尋ねる。
「どう思います?変わりましたか?」
プローイの表情は、安直な答えを許さない厳しさがあった。
「聞きたい?」
ぼくは膝に手をついて、プローイに身を乗り出した。
「この二年で驚くほど豊かになった。もともと外国人が多い街だけど、この二年で、外国人たちが自然に街に溶け込んでいるように感じることが増えた。街から犯罪の匂いが消えた。売春宿も減った。商売人たちも正直に、公正(フェア)になった」
プローイの厳しい表情が崩れた。僕は深呼吸してプローイの言葉に備えた。
「自由な発言ができなくても?」
僕は頷いた。
「ニュースが検閲されていても?」
頷いた。
「未来を話し合う場所がなくても?」
僕は頬を流れる涙を見つめた。プローイ、君はわかってるだろう?
豊かさと自由に関係がないから、こんなに難しいんじゃないか。
「五色革命」p.139
『アンダーグラウンド・マーケット』は仮想通貨”N円”が普及した日本が舞台になる。すべてが一律15%に設定された税金を払っていては暮らせない移民を中心とした人々が形成した独自の経済圏で用いる通貨で、三畳半の部屋が密集した蜂の巣のようなマンションを住所にした”フリービー”と呼ばれるエンジニアの1人である主人公も、日本円を使わない地下経済圏に生きている。
「経済圏や人種の多様性が異なる経済圏」という設定を用意することで、インフラや制度が現実とさほど変わらない東京という舞台をSF世界に変えてしまうのは『東京の子』でも共通した藤井作品の魅力だと思う。日本円を持たないから電車に乗れないというシーンが印象的だ。でも、この作品を単なるSF小説として楽しむだけではいられない。ここで描かれるのは、すでに存在する経済格差や人種問題の延長戦に存在している世界であることは明らかで、立場や肩書にこだわることで、日本人より多くの言語や教養、ITスキルを学んだ移民人材を、4つ葉のクローバーくらい珍しい「年功序列の終身雇用」的な大会社にいる人間のしきたりや知識で利用しようとする愚かさが際立って描かれる。その反対にある主人公たちが、個人のスキルで身の回りをハックし、新たな常識や利便性を乗りこなして戦うのだ。
インターネットの世界は国や境界の枠を取り払ったというのは知っているつもりだった。でも、だからこそ人間としての質が問われる。尊厳や権利を守るための知識や技術がないといけない。そして何より大切なものがある。仮想通貨のアカウントに紐づいた信頼等級の概念は作中に何度も出てくるが、データやテクノロジーで個人という単位がはっきりしていく時代だからこそ、人が常に守らなければいけないのは信頼性である。このことを藤井さんは訴えかけているように感じた。