23.5.4(4-1) 私の餃子はね、羊なの
そしてGW。
それからの生活とそれまでの問いよ、こんばんは。
疫病と就職が重なった2020年のフォルダからiPhoneの容量を減らすために写真を1000枚削除した夜は22時、石神井川から隅田川に引っ越して一年少し経った今しかない、むしろついにその時が来たとばかりに胸が高まる理由はなんなんだろう。シーズン1以来3年ぶり2回目、狙い目はやっぱり録音放送ということで2,3ぶっ飛ばしてシーズン4を透明の杖とともに家を出る。
聞きたいのはあの前口上、事前に用意された言葉のサーブ、チェイサーは無し。それを期待したのに初回はOPテーマを決める生放送、交通情報のサイトウユウコさん発するコボトケトンネルは平成バラエティのどのがなりよりも懐かしい会話のラリー。交通情報と天気の読み上げこそ生放送だなと11年前の夕方放送を聴きながら、今の町が信頼に足るのか心配と共に一歩ずつ踏み込む台東区、外国人観光客と下町を根白に酒の力で3時間後をどうにかしてやろうと企む男女とまあすれ違うことこの上ない。
坂に囲まれた住宅街からどこまでも平坦な道が続く今の街にきた実感、せっかくだから歩いてみようと思える自由と解放感はは嗜好品だったと知る。
何が変わって何が変わってないかを確かめるつもりで歩き出した自分のままならなさはきっと年齢から大幅な減点を食らっていいくらい現実によって貧弱にされている。
封じ込められた空間にこそ隙間風は新鮮なわけで、体育館に微風を流したところで怪談を照らす蝋燭の日が揺らぐことはない。力強く締めたコンビニの冷蔵扉、取り出した缶ビール、缶ビール、缶チューハイはあの頃のまま、缶のポカリはまだ見つからないけどドクターペッパーはあるそんな住所、区役所は上野。
取っ替え引っ替えのマイルスデイビス、冷蔵庫にワイン冷凍庫にCD。大切なものはいつだって冷凍庫に入れる、そんなこと村上春樹が書いててもおかしくなさそうだけど読んだことはない、テーマは思い出すことじゃない。
クオリティとクォンティティ、その両取りができるとしたら餃子のタネより缶ポカリだがあれはもっと暑くなってから、ガリガリくんリッチの写真はさっき消した。
選曲探偵ボブとの1時間半を聴きながらなんの匂いもしない道を手繰る、緑も海も無臭になってやいないか心配になる、見覚えのあるモチーフの前で22年のデータを遡れば確かに鼻歌歌いながら歩いた記録があって、缶酒片手に首を捻りなごら座ってるガードレールの反対側を想い出が通っていく、それを目線で追って寂しい気持ちになりかける。ランニングを始めて屋形船のスピードを知った、頑張れば追いつけるけどそのカードを切るタイミングは例えば何かを冷蔵するか冷凍するかより慎重にならなきゃいけないと自分の肺が教えてくれた、昨日のことだ。
高い建物が少ない、碁盤目状。地上階を駐車場にしたアパートや工場が多い、貫通できるそれらを片っ端から通り過ぎる、まち針になった気分。だが最初のたまむすびが甘かったから何も縫い付けられない、進むしかなく、話しかけることも話しかけられることもない、街頭も多い、碁盤目状。
これだけ人が歩いているとこれ見よがしに浸る感慨もなく、ただ平坦なGWを一人で歩くしかない、もちろんそれでいいのだけど。
現れては消えるスカイツリーの写真を撮る観光客と、見つかるまいと街灯が少ない方に潜るアンソーシャルな時間の密度は大概、あいつに決めるってことはしない宣言のもとマイルスは野に放たれて、ペルーのテクノは埋没する。
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