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20.4.28〜5.2 自宅4週目

4月の終わりくらいからの記憶がない。食事のたびに少しずつ体に肉がついている喜びみたいなものを繰り返し感じていた。

何冊か本を買って、読んで、ラジオを聴いて動画を見ていたら岡村隆史がやってきた。それ以降、いらない服を捨てて、掃除機をかけて、いま本棚を整理しようとしている。ジッとしていられなくなっているのか。

それまでのこと。
11時から14時までを1日のゴールデンタイムだと設定したものの、その時間に少しでも陽の光を浴びようという気概を裏切る自分に嫌気がさしながら布団なり椅子なりでぼんやり過ごしていた。何もしないことで及第点をつけていいはずの時期に勝手な減点制度を設けた自分が悪いのだけど、そううまくは1日を終わらせられない。

今日こそはとゴールデンタイムにコンビニに出かけたら夏だった。嘘だろ。
ジャージを脱いでジャージを着るような生活は暑さによって矯正された。セブンでボスシリーズのアイスコーヒーとレモンティーを交互に買う毎日は継続していて、久しぶりにアララへ下手くそな文章を書いたら頭が熱くなって寝付けなかった。途中でやめた記事は結論も角度も曖昧なまま3000字を超えて下書きにしばらく寝かせることにした。

「整理しよう整理しよう!」
いいともグランドフィナーレで豪華メンツが揃ったステージに上がった中居くんが叫んだ言葉を反芻する。
掃除機をかけて、本棚を整理して、Twitterのリストをつくろう。

昨日の金スマ2時間特番は、扱う話題も編集も素晴らしかった。ラジオリスナーといつもの視聴者両方を納得させるネタだったし、何が一番焼き付いてるって少年若林の剣道と、薄い涙と、みちょぱの顔だ。
(.それを全て振り返ったオールナイトニッポンも面白かったな)
若林が父親を見舞う生活について振り返った言葉を聴いて深夜にハッとしたからには、自分の今日と明日と明後日に自信を持たなければ。
「死ぬ間際に食べたいと思うものがコンビニで手に入るということが衝撃でしたね。そんなに楽しいことで溢れてるんだなあみたいに思っちゃうと、自分が一応細々と積み上げてきたキャラがもうおじゃんになりましたよ。モノを斜めに見る、みたいな」

岡村隆史のオールナイトニッポンを二回聞いた次の日、矢作のテレワーク、小木のテレワークと続いたメガネびいきが今週はリスナーのテレワークを行っている奔放さにホッとした。
RN一蘭食ってまた一蘭との通話にキュンキュンふる。『バックトゥーザ・フューチャー』ってこんな面白いんだ!ってなるよなあ。「代弁してほしいこと」のラストメールで「ラジオは聴いてる間はいろんなことを忘れられる。やっぱりラジオは、最高だ!!!」というネタで締まった。冒頭でaikoの『ラジオ』もかかった放送だったけど、そういう繋がりが魅力にもなってきた深夜ラジオだけど、ただひたすらに鼓舞する気持ちにはまだなれない。
矢作「やっぱラジオは最高だからね、なんと!また、来週もやろうと思います笑」

部屋で過ごしている。おぎやはぎとバナナマンの『epoch square TV』はすべてマンションの一室で広がるコントだったな。あんな楽しい部屋ならいつでも帰りたいと思うんだけど、最近の夜更かしが非日常な「楽しい夜更かし」ではないぶん、いまのことを考えながら毎晩散歩して静かに部屋に戻る。

各話に毎回少しずつ登場する"お決まりの場所"での会話が、物語全体をひっくり返す伏線となる構造そのものは特に新しくない。そう思ったのが早見和真『店長がバカすぎて』本屋大賞9位に入ったらしく、徒歩圏内の小さな書店が面出ししていたから買ってみた。店長、作家、営業、社長、お客さん。"バカすぎ"るそれぞれが登場する連載をまとめた作品は、わかりやすい伏線をくどくはない程度に回収して終わりを迎える。でも、作品全体の収めかたよりも本屋店員の実情が描かれる各エピソードの方が面白かった。
作中でも登場する「本屋大賞」をとりに来た作品と僕はとる。いつかドラマ化するとしたら、おそらく筧美和子が出演する。

それにしても、午前中のラジオ番組のオープニングで流れる音楽を聴くとなんでこんな元気になるのか。生活は踊る、たまむすび、そして何より安住紳一郎の日曜天国。昨日の『ぴったんこカンカン』岡江さん追悼放送は少し泣いた。過去に放送された『はなまるマーケット』15周年に合わせた花丸・岡江・安住のロケは全員キャッキャとフラフープを回したりモンジャを焼いたりしている様子が微笑ましくて、随分昔にあの番組を見ていた経験はきっといまの自分が求める「穏やかさ」の源流にあるような気がした。
ここ数年聴いている午前中のラジオに共通する上品と奔放さを楽しめる気分は『はなまるマーケット』によぅてチューニングされていたのかもしれない。
好きな番組が終わることはもうそろそろで慣れていくのかもしれないけど、生活は踊る、たまむすび、日天は、番組のパーソナリティへの愛着以上に番組に漂う空気感への安心が大きいぶん、終わる日を考えたくない。陽性反応が出た赤江さんの無事と復帰を心から願います。

時代のせいか自分の生活のせいか。数年前から辛いこと続きのひとまとまりな時間に『粋な夜電波』があったらどれくらい救われたのだろう。
病に伏せったリスナーが、放送の届かない地域の病院へ毎週欠かさず番組を録音したCDを送ってもらっていたことが、悲しい結果を指す過去形として、CDを送る側だったリスナーのメールで明かされた回がある。確か放送終了が発表されてからだ。
3.11直後に番組が開始した因果を菊地成孔がひとりでに背負った背景があるからか、『粋な夜電波』は放送時間を変えながらも、日本を襲う災害や社会的な喪失を音楽で乗り換え、誰かの死を音楽で追悼する放送が多かった。
あの番組に集まるリスナーが果たしてどんな人たちかは知らない(TABOOレーベルのフェスに行ったときの印象だとやはり中年以上が多い)けど、どこか喪失感を抱えたり、音楽でやりすごそうとする人が集まる番組だと勝手に僕は感じていた。(SNSで読み書き覚えた我々を救いに飛行艇が飛んでくるあの前口上は今なお一位)
新型コロナに侵されている時代を、褪せることなく背負ってくれる場所は生まれているだろうか。いや、そもそもいらないのかもしれない。場所に甘えないことを学んでいる気もする。長い時間をかけて衰退したのか、ダラダラ主義の蓄積か、いまの状況からの回復は現場復帰以上として毅然としていたい。そのために勉強。
歯を食い縛って。一生懸命。神様は乗り越えられない試練を与えない。そう繰り返してきたあの人も一緒に。

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』
6年のパリ生活を辞めて東京に戻ってくるまでをパリと東京の前後編に分けて記したエッセイ。パリから逃れたくなった気持ちも、戻ってきた東京で絶望する気持ちも収められていて好きだった。

どうしたって、理想や意見は個人の生活の上にしか存在できないことを忘れられない。でもだから、人は色々なものと折り合いをつけたり戦ったり、音楽を聴いたり酒を飲んだりするんだと思う。
生活というのは記録でもあるし、物語でもある。日記やエッセイを読むと、自分が触れる全方位に満点の姿勢で取り組むことができない無情さから逃れられない証にも感じる。
しかし無情さを感じたくないからと手の届く範囲のスクリーンやボタンを連打して貴重な時間を消費することには、生活の一部に留めておく一手間を加えたい。

紙媒体での『bros』最終号(?)を買った。創刊当時はなんと150円。テレビ欄が付いているだけで元を取れるその価格に豊富なコラムが付いているんだからさぞや素晴らしい雑誌だっただろう。
ヨネちゃんが書いたブロスに関する記事があまりによくて「ブロスを読んでいれば俺もこんな考え方ができていたのでは?!」と短絡的な思いつきのままに買ってきた。
しかし名場面集的な要素や寄せ書き的な内容が目立ち(そりゃ当然だろうよ)継続は力なり、得てこなかったものが返ってくるはずはないとしみじみした。ナンシー関も創刊時は書いていたのか!とか、こんな人が面白い文章を書くなんて!という発見があって、これまでブロスでコラムを執筆した人の名鑑から勉強しなおそうと思った。個人的「ブックオフで見つけたら買うべき雑誌」のリストが増えた。

じゃあ今は何を買うべきだ?よくわからないので『オドぜひ』が特集されていた今月号のQJを掴んだ。ロロの劇評や気になるフォロワーの初投稿も載っていたので満足。アイドルとか、新人俳優、番組プロデューサー、人気漫画などとにかく疎いものだらけだなあと落ち込む。ライブハウスや劇場が多く、流行のスピードがハナから諦めたくなるくらいには早かった東京に暮らしてきた自分が東京に甘えてきた反動でしかなかった。

4月28日から5月2日くらいまでのこと。

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