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変化を考える

 毎日noteに何かしらの投稿していたのを辞めてみた。
 このまま怠けていくのだろうと予想し、半分くらいは当たり、もう半分はハズレというか、新たな変化を少しづつ感じはじめている。
 どんな変化かというと、海外ドラマを久しぶりに楽しめていることだ。平日に夕食を食べながらドラマをみる。映画も好きだけど海外ドラマのほうがもっと好きだったことを思い出す。
 もう一つ変化をあげるなら、夢をよく見るようになったことだろうか。
 本当かどうかは知らないが、夢は見る、見ないじゃなくて、覚えているか忘れてしまうかだとどこかで読んだ。それに従うなら、夢を覚えているようになったというべきかもしれない。でもこれは良い変化なのか分からない。心配事があるほど夢を見るなんてのも聞いたことがある。でも夢を見るのが好きだから個人的には良いことである。夢を見るのは現実では味わえないことを体験した気になれて、リアルな心の動きを感じたまま生きて戻ってこれる唯一の現象だとわたしは思う。冷や汗ぐっしょりで目覚めたことも、幸せでにやけながら起きたこともある。どちらも興味深い朝だった。
 
 最近の夢で覚えているのは死んだ友人が出てくる夢だ。出てくると言ってもお化けみたいに姿が出てくるのではない。わたしは他の友人となにげなく小旅行や外食の予定を相談している。そこでわたしは当然のように「その友人にも連絡しておくよ」とか、「あいつの予定は大丈夫かな」みたいなこと言う。すると、「いや、あいつはもういないじゃん」といったツッコミがはいるといったような感じの夢だ。
 それは目覚めが悪いとか悲しいとかいった気持ちを味わうわけではなく、「もう4年くらいになるのか」と収まりの良い所に収まったような穏やかな感覚で目が覚めるのだ。やっと自分の気持ちに整理がついてきたという事なのかもしれない。
 その反面、こんなことを書いているのは、それだけ普通に流れていく日々の中で忘れてしまう危機感の裏返しなのかもと勘ぐってしまう自分もいる。
 
 あとは、そうですね。わたしの変化という訳ではないのですが、過去に書いたnote記事にスキをしてもらえることが増えたように思う。今までだと一番新しい物以外にスキがつくことはあまり無かったように思うのでうすが、何か関係があるのだろうか。まあ、なんにせよスキを付けてもらえるのは嬉しい。SNSに疎い自分は「これが承認欲求というやつか」という気分に勝手に浸ってみたりもしています。
 これからもマイペースでnote続けていきたいです。
 どうぞよろしく。

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