〔ショートショート〕海が太陽を吸った日の色のような
誰しも、ターコイズ色の靴を履くべき日がある。それはブルーでもグリーンでも構わない。だけど、来たるべきその日の為に準備しておくに越したことはない。そして、それは突発的かつ直感的にやってくる。いわば天気雨のように。したがって、それを晴天の空の下でただじっと待っているだけのような非効率的なことは馬鹿げているから、そんなに神経質になる必要はない。直前になれば自ずと分かるから。それが、彼にとっては今日だったという訳だ。
彼は態々、他の人にこのことを確認したことは無かった。だって虹のかかった空を見上げない動物なんて居ないのと同じように、当たり前だと思って来たからだ。この世界の靴箱には、生きている人の数だけターコイズ色の靴が収まっていて、各々のタイミングでその靴を履く。彼は街角でそんな色の靴を履いた人を見るたびに、そう確信めいた高揚感に浸っていたのだった。
彼は靴箱からターコイズブルーの靴を出すと、そっと足を入れ、トントンとつま先を地面で鳴らす。準備ができたようだ。
初めて彼がターコイズブルーを好きになったのは6歳の頃で、姉の影響だった。彼には年の離れた姉が、ひとりいた。
姉は身体が弱かったため、いつも一緒の家にいるわけではなかったが、医者から外出許可がでると決まって弟と散歩にでかけるのだった。多分、自分に残された時間の使い方をそのときはもう決めていたのだろう。あとになって考えればそう思える日々を、そこときの彼は知る由もなく、姉と過ごす時間の嬉しさを身体全体で表現するように側について周っていた。
姉の服装は、爽やかなコバルトブルーのワンピース。陽射しが強いと車椅子に座った姉に、父が日傘をさしてあげていた光景を鮮明に憶えている。
姉曰く、「元気な日だからこの服を着るんじゃないの。この服を着るから、今日が特別になるの」ということだった。「難しかったかな?」と、笑う姉の顔を見上げ、彼は首を横に振る。
そんな特別嬉しい日のコバルトブルーは、彼にとっても心が弾む日の象徴であり、エネルギーが溢れるスイッチの位置を印した地図であったから、大人振りたいのと姉との共通点を示したかった思いから、「分かる」と返事をしたのだった。
姉との思い出は、3年だけだった。
色褪せないターコイズブルー。
靴箱のマスターキーは、彼だけが持っているから。
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