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Photo by
tanao_she
死生観
ここ数年で、死生観が変わった気がする。
いや変わったののではなくて、フワッとしていたのが固まったというほうが近いのかもしれない。
わたしはのんびり者で人嫌いなところがある。
これは自分なりに多少折り合いをつけて、ストレスを感じながらもそれなりに楽しもうとしている。
コロナ渦で数年経つうちに、やっぱり自分の周りの状況も変化した。それだけではなく、当然のように年齢も重ねる訳だから、またいつか会えるのが当たり前だと思っていた人たちが、二度と会えなくなる、そんなことも経験した。
自分にどこかで期待しているし、自分の数少ない友人たち会えたことも誰にも負けない強運のもと生まれてきたのだと思っている。この根拠のない自信がこの年になっても消えないことは、とても幸せで嬉しい事だ。
そして、この感覚にプラスして「そうありたい」と思うことが一つ増えた。
全てが終わったときに、「つまらなかったんではなかろうか」と思われない人になりたい。最近は、そう考えている。
なかなかニュアンスが伝わらない気がするけど、心の中にこの気持ちを配置しておきたいのだ。
性格上、安らかに見守られてなんてことにはならないだろうとは思う。それでも、「つまらない」時間のなかで終わるのは、嫌だな。それだけの事。
そう思うにしても思われるにしても、結局は知り得ないことなのだけれども、「つまらない」でいいとあきらめるのは癪にさわる。
マンガのキャラクターのように大声で叫びながらでも、往生際の悪い悪役がゾンビや化け物として復活してショットガンで頭を吹っ飛ばされる、そんな最後でもいい。
あいつは「つまらない」とは思ってほしくない。
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