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祭事

祭りを意識しだす時期があるというのは、田舎特有の季節感なのだろうか。

各町内で飾りを乗せたおしゃぎりを引いてまわる。「おしゃぎり」とは、他の地域で言う「山車」のこと。
直径約2mの車輪がふたつ。その間に子供が20人座れる板場。その上に町ごとの屋根付き飾り台。それを大人(中学三年生以上)が十数人で引いて歩く。

早朝四時には神主さんにお祓いしてもらい六時にはスタートするから、当然、小中学校は休みだし小学一年生も六時前には起床して着物を着て集合しなければならない。
そのまま、休憩はあるものの毎年同じルートを、同じタイムスケジュールで引き回す。近年は警察も常識的な時間で終わるようにと深夜十二時には終わるが、わたしが子供の頃の常識では、小学生でも家に帰るのは次の日の午前四時くらいだったものだ。
帰って湯船に浸かっていると、まだおしゃぎりに乗っているかのように周りの揺れを感じ、祭り囃子が耳鳴として寝て起きても聞こえるのが普通だった。
別に強制参加ではない。でも、参加が常識であり、深夜まで祭りに参加することがヒエラルキーの高い位置に在るのは間違い無いのだ。
家族だってそうだ、この地域に家を持ったなら参加する。おしゃぎりの引き手にお酒や料理を無償で振る舞い、知らない酔っ払いにトイレを貸し、疲れた子供にお菓子とジュースをあげる。祭りを見にきた親戚には、それなりのオードブルや料理を振る舞わなければいけない。毎年、一日で二、三十万はかかると両親は話していたのを覚えている。
それが田舎の祭りである。

外から楽しむ人にはフェスティバルとして、中のモノたちには儀式として成立しているから今の形が保たれている気がする。

祭りのすべてがビジネス的な催し物になってしまったら、主催か客か、どちらかが飽きてしまったらすぐに消えてしまうだろう。

だからこそ、犠牲が必要なのだ。
だって元来、儀式なのだから。

と、今読んでいる怪談小説に影響されて書いてみました。
秋の祭りも涼しくていいですよ。

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雨音ムッツ
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