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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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2023年9月の記事一覧

しんどい

体調不良のため解熱剤を買いにでかけたら、外の陽気。 暖かいなと運転席で考え、薬屋へ。 今日はトライアスロン大会で、片側はランニングシャツを着た選手達が走り去る。 健康的で日に焼ける肌を見ると、明らかにバンパイアには不向きな競技を選んでいることが分かる。 手が冷たい人は、心が暖かいというのは本当だろう。 ぼくはこんなに人のことばかり気にしている。 アスリートはまっすぐ集中している。 寒気がひどくなってきたから、この後、僕の体は熱くなる。

ごめん、最高の相棒がいるから。

朝、フライパンでパスタを茹でる。 いつの間にか何でも省略して、これも解釈としては新しいアイディア。 技術とは呼びたくないから、アイディア。 フライパンで作るのは、ペペロンチーノ。 輪切りの唐辛子が赤と、それから焦げて変色しているからヴァレンタインの色に見える。 「男同士の週末は、最高だな」と、笑いあったのを急に思い出した。 わたしが人生で一度だけ、相談のつもりで宣言したのはあの人だけだから、余程信頼していたと自分でも驚いた。 同棲中の彼女をほったらかして見に行く映画館でも

ロビンの声も。

息抜きのような日々が続いている気がしている。こちとら覚醒したいんだと、ひとり意気込んでも仕方が無い。 鳥目になったのか夜の運転にストレスを覚え、世の中から「朝活せよ」と囃し立てられる。そして身体は、その活動に喜びさえ覚えてしまい、いつの間にか光の軍勢の中で行進していた。 年寄りの習性だったはずなのに、それを気持ちがいいとさえ思うのは、年寄りなのか。 大好きだったイエローモンキーの「パール」の歌詞を思い出す。 意義のある行進を。

青木真也さんのファンになる

「存在の奪い合いがしたいんですよ」 そう話す青木真也さんの話がが興味深かった。 VOICEという音声配信メディアをたまに聞くのだが、伊藤羊一さんと青木真也さんが対談していた。 二人について、わたしは何も知らない。青木真也さんが格闘技をしている方ということだけ、辛うじて知っているのだが、それでも面白く思える内容だった。 「命賭けてる」と言うことが嫌いだという。それはなぜか。格闘技は命なんて賭けてるないからと、話す彼の言葉には嘘がないように思える。 わたしも子供の頃、武道を習

毎年、旅行ってします?

オードリーの若林さんの動画を見て、帯広に行ってみたくなった。 帯広ぶた丼という名物があるらしく、「美味しい。この店が1番の美味しいんですよ」と嬉しそうに食べる若林さんの姿を見て、食べてみたくなった。 北海道へは一度行ったことがあるが、小さかったので殆ど記憶がない。 あとは、スープカレー。 ご存知、大泉洋さんがTVで紹介していたイメージがある。 「食べてみたいな」と旅行を考えるのは、食欲なのか、好奇心なのか。 好奇心に突き動かされて来ましたというと知識欲のように感じるけど、

祭事

祭りを意識しだす時期があるというのは、田舎特有の季節感なのだろうか。 各町内で飾りを乗せたおしゃぎりを引いてまわる。「おしゃぎり」とは、他の地域で言う「山車」のこと。 直径約2mの車輪がふたつ。その間に子供が20人座れる板場。その上に町ごとの屋根付き飾り台。それを大人(中学三年生以上)が十数人で引いて歩く。 早朝四時には神主さんにお祓いしてもらい六時にはスタートするから、当然、小中学校は休みだし小学一年生も六時前には起床して着物を着て集合しなければならない。 そのまま、休

間接的であり、拡大的解釈の幸せを。

玄関ドアを出て駐車場に向かう途中に、小さなバッタがいた。バッタの体の色は保護色だろうから、こいつの色がきれいな緑色のうちは自然が死んでいないということかと、勝手な納得をする。 新潟空港でNetflixのエキストラの募集をしていたらしい。 大根仁監督の作品らしい。 最近は新潟駅を改築したり駅前にアパリゾートができたりと、観光都市として前進したように思う。 昔、好きだった「テーマパーク」というテレビゲームを思い出した。 自分で自由に遊園地を作るゲームなのだが、環境が良いと評

妄想が楽しい時は、紙の上は白紙。

とりあえず、何かないかと保湿オイルを塗る。 大好きな柑橘系のニオイ。 朝食の準備も面倒くさいから、インスタント味噌汁。 水を一杯テーブルに用意する。 コーヒーも一杯。 なんにも出ないときはこんなもんかと、白かりんとうをつまみ食い。 コップの水が半分なくなって、コーヒーが空になった。 白かりんとうをつまみ食い。 歯にくっ付かないから、白かりんとうが最近スキ。 今日はカレーでもつくるか。 なにも沸かない。お湯でも沸かそう。

「寝ぼける」って、一番ファンタジーな状態かもしれない。

今日は朝から夢の世界について考える。 なぜ、理想のさらに向こうみたいなわがままの完成形と、一日の最期に「もしかしたら付いてくる」おまけみたいな不確かなものとを同じ名前なのか。 勝手なイメージだと、片方ずつしか持っていないような気もする。 理想を、夢を実現しようと覚醒した時間をフルに使いこなすことに長けた人たちは、夢を覚えているのか。もう少し続きを見たいからと、瞼をもう一度閉じたりするのだろうか。 もう一方は、眠りがすきだ。わたしは、こちらに属する。 毎日見たいと思っても