反面教師-1
ゲンさんが来て早1週間が経った所で、大迫の本業において早速成果が出始めていた。
「ゲンさんの言う通りにサイトの構成を変えたから、問い合わせの件数が増えて対応しきれねえよ」
朝から電話対応をしっぱなしの大迫が、昼過ぎに漸く一息つくタイミングで笑いながら呟いた。
「そりゃ良かった。でも困るなら元に戻すんでいつでも言ってくださいね」
ゲンさんはPCに向き合いながら、本気か冗談か分からないトーンで返すと、大迫も「そんなわけないだろ」とムキになって切り返した。
親子ほどに年が離れたこの二人のやり取りを、僕自身は楽しく見ていた。
と同時に、御年65歳のゲンさんが結果を出していて、刺激を受けないわけがない。
僕も自分の事業で成果を出さねば、と改めて気を引き締めた。
とは言え、介護事業の状況は期待していた通りの方向に進んでおり、特段テコ入れをする状況ではなく、本社の東田もこの事業の実績や展望については一定の満足を示しており、大迫曰く「タク君はうまくやっているようだね」と東田が大迫に話す事がしばしば増えているとのことだった。
良い学びになる出逢いがある一方で、悪い学びの出逢いもあるもの。
この頃、大迫のビジネスが傍目にもうまくいっているように見えていたが、同時に、親しくする経営者から色々な投資話や相談事が舞い込む事が多くなっていた。
その中で意外と多かったのが、影響力の大きい社長達からの「会社を潰した後輩の面倒を見てやってほしい」という相談だった。
成功している経営者は体育会の方が多いので、学生時代の後輩はもちろん、取引先の社長などを世話しつつ子分のように従えている光景や話はしょっちゅう見聞きしていた。その中で会社が倒産してしまったり、追放された元・経営者達の仕事の世話を、大迫に依頼してくるのだった。
大迫自身は東田の件もあって産業スパイを非常に警戒しており、また世話を依頼された対象のほとんどが僕や大迫の20~30歳上の方なので、この手の話を全て断っていた。
だがある時、大迫の顧客リスト(夜のビジネスの顧客)でも最上位の社長から、「どうしても世話して欲しい男がいるから、頼む」と泣きつかれ、止む無く話を聞くこととなった。
不動産系上場企業のトップで、一晩に数百万を稼がせてくれる相手なので、流石の大迫も折れざるを得なかったが、「タク。お前にもそいつがどんな奴か見極めて欲しいから、一緒に来てくれ」
そう大迫に請われ、平日の夜に東京ミッドタウン内にある高級ホテルのラウンジへ向かった。
エレベーターを上がりラグジュアリーな空間を進んだ先に、秘書らしき男性を従えた体躯の良い白髪交じりの男性と、細身で色白の50代と思しき男性が4人テーブルの窓側の席に腰掛け、我々を待ちわびていた。
「おお、大迫君。急に呼び出して悪かったね」
「とんでもございません、社長」
特に悪いとも思っていないトーンで呼び掛けた社長に対して、大迫は余所行きの声色で応対した。
社長と呼ばれた男には歴戦の勇士ともいうべきオーラと、相手を射抜くような強い眼力があった。大迫から聞く限り、この社長の会社は派閥争いが非常に激しく、トップにいるということは相当な人脈と政治力があることの証だとのことだった。
社長自身、蹴落としてきた相手が多すぎて、いつ後ろから刺されるか分からないと言って憚らない。
「話した通りだが、世話をして欲しいのはこの田宮という男なんだ。ひょろっとしているが、最近まで飲食業の社長をやっていた、やり手の男だ。な?」
紹介された田宮という男は、「はい」と頷いたが、落ち着きがなく目線は上の空といった感じで、とてもやり手の社長だった風情は微塵も感じ取れない。
「100人以上社員がいるそれなりに大きな会社を経営してたんだがな。クーデターにあって会社を追われちまったんだ。な?」
落ち着きなく上半身を揺らしながら、田宮は静かに頷いた。
とても、大迫が世話をしようと思えるような人間には見えなかったが、大迫は表情一つ変えず宮田を見据えていた。
「大迫君も若くして仕事がうまくいっている。これから本腰を入れて事業展開していくだろうから、こいつを右腕、いや、下働きで構わない。使ってやってくれ」
社長はテーブル腰に頭をさげたが、対称的に田宮は軽くペコっと頷いただけだ。
「なぜ田宮さんがクーデターにあわれたのか、経緯を伺えますか?」
大迫はいつも単刀直入だ。
「田宮、大迫社長にきちんと説明しろ」
「あ、はい…」社長の鋭い目線に促されて居直った田宮が語り始めるには、事業展開すべき取引先の買収するかどうかで役員間で一悶着あり、反対派のトップだった田宮の休暇中に全役員が賛成に回り、田宮の戻る場所はなくなってしまったとのことだった。
「分かりました」
大迫は田宮の話を一通り聞くと、出された紅茶を一口飲み、思考を張り巡らした。
「受けてくれるか、大迫君」
大口社長の頼みでも、聞けることと聞けないことがあるであろう。
その逡巡が、隣の自分には感じ取れたが、1分ほど考え込んでから大迫は口を開いた。
「私はこの場所にたどり着くまで、誰よりも努力をしてきた自負があります。これからもその姿勢を変えるつもりはありません。そして、自分の社員や関わる人間にも同じものを求めます」
一息ついて、大迫はハッキリとした口調で続けた。
「私の元で働きたいものは拒みません。但し、私は私に付いて来られる者だけを信じます」
大迫の堂々とした姿勢に対し、社長も姿勢を但し相対した。
「分かった。田宮が付いて来ないような男だと思ったら、その時は煮るなり焼くなり好きにして構わない」
僕自身隣りにいて、大者同士が共鳴し合うのを感じていた。
この自信と勇気が、今の僕にはまだ決定的に足りないものだと痛感した瞬間でもあった。
だが、当の田宮は当事者意識がないのか、大迫の言葉に対してさしたるリアクションもせず、出されたコーヒーをすすっていた。
この時点で、田宮は大迫の元で「下働き」として仕えることになった。
そして、大迫はこの打ち合わせが済んだ後に社長と“取引”があるとのことで、「田宮さんの雇用契約書を頼む、と僕に告げ、社長と共に去っていった。
「よろしくお願いします、田宮さん。タクと申します」
僕は立ち上がり、田宮さんに手を差し出した。
田宮は興味なさそうに頭をかき、立ち上がって弱々しい握手を交わした。
「あ、新しい仕事って20時までには終われますよね」
にこやかに言いながら呟かれた一言で、不穏な風が吹くのを感じた-。
続く