性同一性障害 性別適合手術と戸籍の性別変更と母の理解度(母へのカミングアウト~理解まで6)
こんばんは、縁(エン)です。
簡単な自己紹介👇
僕は性同一性障害(現在は性別違和)を抱えて生きてきました。
現在は既に戸籍変更を終え、生活や仕事は、完全に男として生きています。
僕は現在一人で社長業をしていますが、完全に埋没して生活をしています。
僕が運営しているサイト、是非遊びに来てください
現在は、FTM向けのCHANGEというサイトで主に手術情報を公開していますので、是非ご覧ください!
今日も、前回の続きから書きます。
前回、「性別適合手術(SRS)について」・・・の続きです。
胸オペから2年ほど経過し、次は性別適合手術の準備に入りました。
このころ、24,5歳ころです。
僕は19歳のころから、大学病院(GID認定されている病院)にて、ガイドラインに沿って治療をしていたので、病院はそこの先生に紹介してもらって国内の総合病院で手術をしました。
この病院は、GID専門というわけではなかったです。
総合病院の婦人科にて手術をしました。
入院は先生の考えにて、個室にしてもらいました。(個室料は無料で用意してくださいました。)
この病院は開腹手術でしたが、縦に切るか横に切るかを選択するように言われ、痛みの少ない縦切りにしました。そして膿みやすい体質のため、冬の年末年始付近、2週間ほど、会社はお休みを頂き、手術を行いました。
この病院は実家からも彼女と同棲していた家からも近かったので、母親も胸オペの時のようにはならず落ち着いて通院付き添いをしてくれました。
手術は、前日は食事なし、当日は浣腸をしたのち、手術を迎えました。
手術台に乗る際に手術台が小さかったことだけ記憶があります。
カウンセリングをしていた先生からも、担当医からもガン患者などに行う、子宮摘出手術と同様の手術であり、難しい手術でもないし、手術数もかなりの数をこなしているため、安心してくださいと言われていたので、リラックスして手術に臨めました。
手術は麻酔注射を打ってからは記憶がなく、目覚めた時には母親の顔が見えました。(笑)また眠気で眠ってしまいましたが、次起きた時には当時の彼女が居てくれました。
彼女は仕事もあったので、特段付き添って泊まるわけではなく、数日おきにお見舞いに来てくれました。手術後2、3日は、個室内のトイレに行くのもつらかったですが、1週間後にはすっかり痛みも引いて、退院が出来ました。
その後1週間で、仕事にも復帰し、体調面も特段問題なかったです。
現在は10年程度経過していますが、体調面は問題ありません。ただ、太りすぎたので、開腹した傷跡が伸びすぎてたまに痛いので、痩せるしかありませんね。
そして、16歳のカミングアウトから続いた母親の理解度ですが、この時点では多分50~70%くらいは分かってくれたと思います。
もうこのころには僕の生き方についても、何も言わなくなりましたね。
自分で自立して生活をし、仕事も出来てるなら問題ないと。そんな感じでしたね。
母親とのやり取りは書いては来ました。
書ききれないほど、言い合いも喧嘩もしました。
ただ、ここまで来て思ったことは、僕の生きる道、未来が見えなくて母親は心配だったんだろうなということです。
僕が覚悟を決めて命を懸けて手術に向かう姿、
自立して仕事も真面目に行う姿、
普段の言動など
色々な部分から僕を見て
「大丈夫だな」と少しは安心してくれたのは、
このころからかなと思います。
実は、性別適合手術が終わってから、数か月後、僕が戸籍変更が終わる1か月前に7年付き合った彼女には振られ、終わりました。
元カノとは色々ありましたが、ここまで支えてくれたこと。
結婚を目の前に、出来ないと判断して去って行ってしまいましたが、
これも今の奥さんに出会うための縁なんだろうな、と今は思えます。
この性別適合手術が終わってから、2か月後には、戸籍の性別変更(女性→男性)を無事完了し、僕の人生の再スタートを切れました。
次回は、性別適合手術が終わった後について話したいと思います。
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読んで頂きありがとうございます。
また書きますね!!
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