本を読むとき、そういえば・・
最近立て続けにちょっと重めの小説を読み終えて思ったことです。
私は読書は好きなのですが、読書家と言えるほど冊数は読んでいません。
そもそも読むこと自体に時間がかかり、読むのは一年を通しても数冊。10冊に行かないくらいだと思います。
しかも、読むのはほとんど小説。
論文のようなものだったり、ビジネス書のようなものは
読もうとして途中(割と早めに)投げ出してしまったり
最後まで読んだとしても、とても時間をかけないと終わりません。
読むには小説に比べると消費カロリーが高いというか、苦手。
これまでは ”小説以外は苦手” ということで済ませていたのですが
最近、ビジュアルシンカー(視覚思考者)という言葉を知って、
自分の読む本のこの偏りについて考えてみることにしました。
視覚思考者と言われているけど、軽く調べた感じだと
聴覚的思考というのと同じかな?
それと対するのが言語的思考。
この辺の、ちゃんとした定義についてははっきりとはわからなかったので
なんとなくさらっと、文字で考えて理解・表現するということと
文字では足りない・できないということの2パターンがあるようだ、という軽い感じで理解しました。ちゃんと知りたい方は調べてください。
個人的には人がどちらかにきっちり分類されるとは思っていなくて、どちらの傾向も持ちつつ、どちらかといえばこっちがちょっと強いかなと言えることがあるくらいのものだろうなだと思っています。
もしかしたら、体調や状況によっても違うかもしれません。
で、話を戻します。
私は本を読むときにどうしても頭の中で音読します。
音読しつつ、映像(画像)を頭の中で作り出す。
まず頭の中とはいえ音読していることで時間がかかり、
それを画像にしていることでさらに時間がかかっているようだなと。
そして、小説だとこの画像を作るのがどちらかといえば簡単にできるのですが、論文的な読み物だと難しい。このため、読む本に偏りがあるのかも。
そういうことで、私は文字を読むときに頭の中で音読することで聞いて、その後画像として理解していそうだなと思い至りました。
文字列→音?→画像
そしてもう一つ思い当たることが。
私の創作は写真に物語を見出そうとしている。
目の前の風景→写真→文字列? または
目の前の風景→画像(映像)→写真→文字列?
ということで、自分は文字よりは画像寄りの人間っぽいのかなと理解しました。
そういえば数年前、写真はあなたにとって何ですか?という質問をされ
とっさに「言葉です」と答えたことがあります。
反射的に出てきた回答だったのですが、割と私にとっては真理だったのかもしれません。
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