見出し画像

全力な夏を感じる

毎日暑いという言葉しか出ないです。
毎年暑さがひどくなっている気がするんですが、たぶん気のせいじゃないですね。ということは今後もさらに暑くなるということに・・・?

夏休みが8/9から始まってこちら、
歯医者に行ったり髪を切りに行ったりする以外は毎日
写真を弄って本を読んで、散歩をしてついでに時々買い物をして寝るという
風に過ごしています。
誰にも会わず、特別なお出かけもないですが幸せです。
こんな感じでどのくらい長く過ごせるのか、できるなら試してみたいです。
いつ飽きるのか知りたい。

今月、数年かけて途中挫折しつつも読み終わった本があります。
「神聖喜劇」大西巨人 文庫全5巻 光文社文庫

戦争や軍隊を描いたものは、少し感情的になりすぎるものが多いなと感じていますが、この作品はひどく冷静な眼差しで、”フツウ”の視点で書いてあるのが印象的で引き込まれました。
”フツウ”というのは、とても日常的というか。

物語の主人公は我流の虚無主義、世捨て人であるべく、軍隊は世俗とは違うらしいと聞いて、ある意味で期待をして兵役にやってきます。
ですがそんなことはなく、世俗と変わらないことを徐々に理解します。
世間で見かけるのと変わらない理不尽を見て、当初の虚無主義は薄れ、軍隊内務書・陸軍刑法言論・六法全書等を読み解き、圧倒的な記憶力をもって、身の回りに起きる事柄に応対します。

考えてみれば、軍隊も戦争も、特別なものというわけではなく、この日常の延長線上に存在するものだと思います。それらが今まさに日常にあるかどうかということではなくて、存在するときには日常と同じ高さに日常の続きとして存在するんじゃないかと。
だって、それを構成するのは、日常を構成する私たちだから。

日常のこの世界では、私たち一人一人は人として尊重されその権利は固く守られています。
対して、戦争や軍隊ではそうではなさそうです。
なぜならそれは戦争や軍隊は”特別”だから、ということのようなのですが、
先ほど述べた通り、特別ではなく日常の延長と私は考えるので
これには納得ができない。

物語の中で登場人物が、”軍隊では世俗と違い生まれや学歴など関係なく誰もが平等に扱われると聞いたが、どうもそうでもなさそうだ。世俗と同じだ。” という趣旨の発言をします。
多くの登場人物が、言葉にしないまでも、自分が日常の世界に戻ることを心から願っている状況、という意味では戦争や軍隊は日常と違う”特別”なものといえるかもしれませんが、日常で良くないとされているもの、例えば生まれや職業での差別などは、戦争でも許されるものではないでしょう。同じように、特別なこと、軍隊や戦争であれば人の権利や尊厳を蔑ろにしていい ということはないはずだと思うのです。
ですが、日常でも非日常でも簡単に、許されないことは行われ、蔑ろにされることは起きるのです。
起きてもいい特別な状況を特別に規定しなくても、起きてしまうものなのでしょう。
そんな悲しい状況がなくなるには、長く時間をかけ学び考えていくのが一番早いことなのかもしれないと思いました。

『いいね!これからも頑張りたまえよ!』と思われましたら、100円から無理のない範囲でよろしくお願いします! ※いただいたサポートはフィルムの購入や現像費、作品の材料費などに使わせていただきます。