本音本心をありのまま書いている人はいるのだろうか
ネガティブな言葉を添える時の悩み。
例えば私の文章の中に「私はドイツ人が苦手、嫌い」と書いたとして、その理由を書かないと読み手はしっくりこない。少なくとも私は、中国人がどうとかフランス人は英語話さないとか言ってる人に「お前どれだけ関わったことあるわけ?」って思ってしまう。
1つや2つの嫌な過去で苦手と思っているわけではないし、仲良しのドイツ人友達も何名かいる。ただ25年間の経験の中で他の外国人と比較すると、これまで出会った少人数のドイツ人にイラっとする頻度が高すぎるから敬遠している。場面ごとに説明するにしても、その情景を上手には表現できないし、「言い方」や「態度」の問題もある。うまく伝わらなければ読み手としては軽率な悪口に思えて不快だろうし、私自身も安易に判断する奴だと思われてしまう。じゃあ誰も不快にさせないために初めからそういうことを書くのを避けよう、となってしまうのがThe日本人。無難に書きまとめた旅行記なんて私は読んでて疑問しか沸かない。思いのまま書き続けているといつかどこかでつじつまの合わない場面がでてくる。単片的に読んでいる人にはわからなくても、書いてる自分はモヤモヤする。私の随筆なのに場面や理由を端折って書いているのはおかしい。
ポジティブなことを伝えるのは、感動の深さを伝えられなくてもとりあえず誰も悪い気はしないし、言葉少なめに写真を添えて伝える事さえできる。どこかよくわからないけど「おお~★」と思ってもらえればそれで両者は嬉しい。
でもネガティブな感情は多くの場合は伝わらない、とくに日本人が知り得る機会が少ないと不可能に近い。でも当たり前でしょう、旅行なんて8割くらい踏んだり蹴ったりですよ。知らない場所に行くってのはそういうことです。美しい写真なんてその1瞬でしかなくて、ガッカリ、不安、適当な労働態度、不便、気候、汚い、高い、言語、検索検索検索の繰り返しでストレスは常にMaxの状態。(汚い以外は日本も同じ)。それが嫌なら高額のツアーに参加して枠内のラグジュアリーな時間を過ごすしかない。
これを声やテキストで伝え合ったときに「好きな事より嫌いな事が共通する人の方が親近感がわく」のはそういうことだ。
SNSは顕著にそれを感じるからどんどん疎遠になってしまった。楽しいことや驚いたこと、綺麗な写真を投稿すれば反応はいいが、愚痴を書きなぐると見えないかのごとくスルーされる。政治の事を書くおじさんに反応がないのと同じように。田舎町に住んでいるとSNSは町民のプライベートを覗き見して噂のネタにされるツールとなっている。世間では感情のまま投稿することで炎上することがあるけれど、小さなコミュニティの中では表向き波風は立てずとも「あんなこと書いてた人、あんなふうに思っている人」としてチェックされる。さらにいいねなんてしてしまうと、同類としてチェックされてしまう。だから田舎にはリアルなことを書いているブログが少ない、移住したくても全く中が見えない。畑仕事やら季節の写真しか載せないのはそういうことだ。インターネット上の他人にどう思われようが大きな問題ではないが、リアルの小さな町で厄介を作りたくない。
ネガティブなことはメンタルや鬱のコミュニティやカテゴリの中で思いを書けば、同じ経験をしている人たちによって励ましが生まれるし、本人の気持ちの整理にも役立っている。だけど例えば登山SNSの中でプロフィールにつらつらと鬱とか●●病とか書かれると、「え、ここで主張しなきゃいけないことなの?」って私なんかはどこか思ってしまうんですよ。人見知りとかコミュ障で主張してくる人も同じです。でも好きなように表現できる個人ブログや、SNS、noteのような自由な場所で場の雰囲気や言葉を選ばなきゃいけないのは、じゃあどこに書けばいいの?って途方に暮れてしまう。
私が40も過ぎて8か月という時間と金を使ってでもヨーロッパを旅した理由が、「ずっと行きたかったから」の一言で済むだろうか。これまでも数か月~1年単位でたくさん旅をしたけれど、「見てみたかった、興味があった」だけで社会生活を投げてまで行くだろうか。ポジティブな理由だけが原動力になるだろうか。そこにはすべてを投げ出したかった、日本人との会話にうんざりした、刺激がほしかった、無知であることを肌で感じてリセットしたかった…などたくさんのネガティブな理由がある。
私の文才の問題もあるけれど、ドイツ人は最低よ関わらない方がいいよ!と言ってるわけじゃなくて、「私はどうも無理なのよ。次々と多くのものや人に巡り合う中でそれに悩む時間がもったいないから、私の中では嫌いでいいのよ」って言いたいだけなのだ。
私の旅日記を綴り、別ブログでは登山日記を綴る。Instagramを見れば世界の綺麗な写真が並び、別のアカウントには自宅で経営している宿で外国人らとワイワイ過ごす写真が並んでいる。でも肩書はフリーランスのWebデザイナー。おおよその人が私を自由人で成功者でキラキラした生活を勝手に想像する。
でも帰国して1か月、ほとんど家に引きこもっているし数分会話をしたのは3~4人。外食やコンビニ弁当を食べて朝になり、昼ごろ起きる廃人生活をしている。
それなのに、なんだか綺麗ごとだけ表に書き綴るというのは、すごく嘘をついてる気分になる。
旅行記を書き始めると必ずこの問題にぶち当たり、考え込んでしまうから手が止まってしまう。そうこうしているうちに現実で忙しくなったりすると放置となってしまう。ずーっとこのループ。