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「お金は汚い」という先入観はどこから来た?
今日から1週間を振り返った時、お金を使わなかった日は何日あるでしょうか?ほとんどないはずです。
お金なんていらないと思った日は何日あったでしょうか?これもほとんどないはずです。正直、あるならあるに越したことは無いと思います。旅行に行っても良いし、プレゼントにだって使えます。
こんなにも生活に密着して必要としているのにも関わらず、なぜか私たちは「お金は汚いもの」「お金の話をすることは卑しいこと」という先入観を持っています。
これは便利な「ボールペン」を毎日使っているのに「ボールペンは汚い」「ボールペンの話をすることは卑しい」と言っているようなものです。非常に不思議です。
それも私たちは「考えて」その結論に至ったわけではないようです。「なんとなく」そう思っている。そう思わされている。これはなぜなのか?
調べてみると歴史が深く関わっていました。
きっかけは江戸時代
時は江戸時代まで遡り、朱子学という学問が深く根差したことがきっかけとなっています。
そもそも私たちの生活には商売とお金が密接に関わっているわけで、安土桃山時代には「楽市楽座」といって自由な商売を推進する経済政策も取られていたほどです。
歴史の授業で教わった江戸時代の「士農工商」という制度。小学生の頃には「ああ、そうだったんだな。」なんて聞き流していましたが、これはよく考えてみればおかしな話です。なぜ商人が一番下なのでしょうか?
それは江戸幕府が長く政権を保持するために考えた政策の1つでした。お金で争いごとが起きたり、お金に関する不満で幕府に不満を持つことが無いように「お金を欲しがらない国民を作る」という政策を考えたそうです。
士農工商という考えは朱子学を発端にしているそうで、商人への強い蔑視を含んでいます。
“人様の作ったものを横流しするだけで利益を上げる詐欺まがいの人間。”と言われることすらあったそうです。しかし商人がいることで世の中が便利であったことは疑いようがありません。
400年間も引きずる先入観
もしも私たちが何の先入観もなしに見ることができたら「お金は汚い」と思うでしょうか?むしろ楽しい、自由な生活のために「お金をどうやって増やせばいいのかな?」とか「あの人はどうやってお金を増やしたんだろう?」と興味関心を持っても良さそうです。
なのに私たちは400年以上も前の刷り込みに影響されています。
自分で考え直してもやはり「お金は汚いものだ」と思うのならばそれは良いでしょう。でも、意味不明な先入観であなたの人生観が左右されたり人生の自由が奪われるとすればどうでしょうか?
僕は約15年間、両親への仕送りを欠かさず行っています。5年ほど前には父が心臓病を患い、入院費用を支払いました。弟の学費を支払ったこともあります。これはお金があったからできたことで、そのお金を汚いものだとは全く思えません。
同様に、お金があることでできることが沢山あります。
そのことについて話すことも汚いこと、卑しいことなのでしょうか?学ぶこともおかしなことなのでしょうか?
そんなことは無いでしょう。
さいごに
今日は私たち日本人の「お金は汚い」「お金について話すことは卑しいこと」という先入観のもとを辿ってみました!
400年以上も前の刷り込みに影響されるのは現実的ではないですし、今の自分たちの社会を素直に見たいものですね!
私たちはお金の教育を受けずに社会に出ています。一度は基本的なことを学んでおくことをお勧めします!
今日はそんな感じです!
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