二浪して謎大学に進学した話

はじめに

はじめまして、でぶぅと申します。
初投稿は自分自身の紹介兼ねて浪人失敗談を話そうと思います。
noteに投稿するのは初めてなのでどうなるか分かりませんが、これから浪人する人、やる気が出ない現役生にこうならないで欲しいという思いで書きます。構成は自分の紹介(高校受験まで)、高校生、一浪目、二浪目、まとめになります。
堕落していく様を見たい方は通して見てほしいですが、浪人生活の失敗を見たいなら一浪目からみて頂ければと思います。




自己紹介(高校受験まで)

名前:でぶぅ
出身地:福島県→東京都
学歴:私立幼稚園→私立小学校→公立小学校→公立中学校
家族の学歴:両親ともに高卒、弟は大東亜レベルの理系大学
部活:サッカー部
定期考査の点数と順位:9割前後で学年TOP5ぐらい
紹介すべきことはこれぐらいですが、思い出話を少しします(大学受験関連の話を聞きたい場合は飛ばして下さい)。中学校入学当時の私は勉強に対しての意欲もなく、定期考査もざっくり7割ぐらいで学年で半分ぐらい、このまま行けば偏差値50ぐらいの公立高校が妥当といった感じの平凡に近い学生でした。そんな中学生でしたが、転機が訪れます。アイドルにハマり、自分はこういったアイドルに近づきたいと思うようになりました。そういった思考になった時、身近なことを頑張ろうと思い、勉強と部活で頑張ろうと思いました。中学2年生1回目の定期考査、初めて勉強を頑張り上記のような成績に入るようになりました。英語以外の科目では学年一位を獲得したことがあり、中一のころから得意だった社会は15回中13回一位でした。また、部活であったサッカーも頑張りました。実は部員数がかなり少ないサッカー部でかなり適当なお遊び部でした。2年生の時の新人戦は2年生6人、1年生3人でした。チーム競技において割と致命的な人数不足に感じましたが、かなり向上心がある部員が集まっていたので地区大会でベスト8に入りました。3回大会があったうち、2回ベスト8に入りました(最高5位)。同期の部員の進路は、2人都内の強豪サッカー部、1人フットサルに転向、1人マイナースポーツに転向、で結果を残していました。
高校受験の話です。僕は全国大会に出場したサッカー強豪校等を偏差値関係なく受験しました。理由としてはサッカーが楽しかったのと、変に頭がよかったので自由に受けました。当時の一応受験校と結果を上げます。
実践高校:合格
杉並学院高校:合格
国学院久我山高校:合格
堀越高校:合格
東工大附属高校:不合格
都立高校:合格→進学
 
都立高は正直その高校の印象が悪くなるので、伏せさせて下さい。自分が例外だからです。受験結果から推測してください。かなり親身になって相談に乗ってくれたりしたとても良い高校です。

第一志望は東工大の附属高校でした。当時の記憶が正しければかなり設備面がよかったのと、駅から近く高校まで通いやすい、国公立で学費が安く済むといった感じです。今はそれなりに裕福な暮らしを送っているのですが、幼少期は親が交通事故に遭ったり、離婚したりで忙しかったのとお金がかなり無い印象があったので国公立に行きたかったのです。ここでの受験の成功兼失敗談は大学受験に対しても影響を与えています。

高校生

ここから先は勉強関連の話に絞って話していきます。
高校受験の開示を見たのですが、内申点がかなり高かったのもあり合格最低点+60点ぐらいでした。ここで、高校受験までの勉強は間違えていなかったという思いと第一志望に落ちてしまった絶望が共存していました。世間一般的にはまあまあいい高校でしたが、はじめての受験の失敗を経験し無力感を感じていました。高校生活は言い訳ばかりの学生生活でした。定期考査の勉強をさぼるために部活をやり、部活をさぼるために受験勉強をやり、受験勉強をさぼるために定期考査の勉強をやっていました。いわゆる逆張りでした。ざっくりとした成績は
 
定期考査:学年下から50番前後(高3では上位100番前後)
部活:初戦負け
受験勉強:東北大最高C判定
 
でした。当時は生命理学、農学、環境学に興味があったので理系で農学部か理学部を受験しました。ここで、一つ目の失敗があります。もともと東北大学農学部に行きたかったのですが、両親との認識の違いで東北大学に受験する事を断念せざるを得ないことを知りました。両親は通える範囲の国公立大学を受験すると思っていたのに対し、僕は東北大学に行きたいと思っていました。この話を受験勉強が本格化する前に話していればよかったものの、私達が話したのは10月の頭でした。前述してあるように両親は高卒で受験のシステムや方針をほとんど知らないので、認識の差が生じてしまったのだと思います。ボーダーすれすれで頑張っていたのに今まで目指してきた目標を達成することが不可能になったことに対しての無力感から、それ以降は勉強を適当にやっていました。ここでひとつ言っておきたいことは、反抗心からやめたのではありません。東北大学すれすれぐらいのレベルなら、きっとその辺の大学にはいけるだろうと思っていました。結局、筑波大学を第一志望にしました。国公立の理系を目指していた理由は学費です。大学以降の学費は自分で払うように言われていました。なので、なるべく安い国公立を目指していました。 
 
まあまあ行けるだろうと調子に乗っていましたが、共通テストを迎え一変します。2022年、共通テスト。悪魔の数学、生物に挑戦することになりました。平均点を調べれば分かるように、以上の二科目は難化しました。私は元々この二科目で高得点を取ることを目標にしていました。

共通テストの結果残します(ざっくりしか覚えていません)
国語4割
数学5割
英語7割
生物5割
化学7割
地理7割
 
まあ、筑波大学に突っ込めるほど高くはありません()。元々共通テスト自体苦手だったのですが数学8割、生物8割で二次試験で取り返そうと思っていたのでもう二日目の受験後の空気は地獄でした。一日目の国語でかなりマイナスだと感じていたので、2日目で取り返したかったのですが、無理でした。ネタ抜きで電車に飛び込みたいと思っていました。金銭的にも浪人は無理だと思っていましたし、就職なのかなぁと思っていました。次の日、親と話して浪人するか否かを話し、地獄の浪人生活が開幕しました。ちなみに、部活をイヤイヤ続けていたことで親が許してくれたようです。

一応受験結果を示します 
筑波大学総合学域理系:不合格
千葉大学理学部:不合格
元々、浪人は共通テストの翌日に覚悟していたので滑り止めは無く爆死覚悟で突っ込みました。レベル的にはきっと地方にある国公立大学を前期で受けるべきだと思いますが、プライドと両親からの首都圏の大学に通うというルールなどがあり突っ込みました。結果としてはどちらも不合格。ただ、二次試験はかなり得意だったので筑波大学は上位不合格でした。筑波大学受験後、モバイルゲームを解禁しました。実はゲームを禁止されて育ってきたので、解禁されてからは狂ったようにゲームをやっていました。ここも正直失敗の原因の一つですが、浪人生活で詳細を書きます。


一浪目

ここから一浪目です。個人的にここからが本編です。

浪人開始まで

ここからを語るために、共通テスト後から4月までについて少し記します。筑波大学受験後、来年も理系で受験する事を断念しました。来年も国公立の理系に落ちた場合、私立の理系に進学すると学費を払いきれるのか不安だったので文転しました。受験は一応真剣に挑んではいたので、2月25日までは理系でしたが、予備校を決める際に文転しました。生物が得意だった(学年1位)のと担任が生物の先生だったので止められましたが、辞めました。一部の偏差値が高かったので、予備校のコースは色々認定されました。ただ、国語が苦手だったりしたので基礎から学べる上位国公立向けのコースに行きました。志望校は一橋大学でした。

4月から夏休みまで

一橋大学を目指し心機一転勉強を頑張ろうと思い、浪人生活をスタートしました。通っていたのは河合塾新宿校です。現役のころは塾に行っていなかったので、新鮮でした。ほぼ毎日空いている自習室、質問をしに行けば答えてくれる時に厳しく時に優しい講師、チューター。環境としては文句無しでした。来年はここではなく、大学に通っていたいと思い、頑張っていました。
正直、ここはミスはありませんでした。国語が苦手だったのですが、数学は元理系ということもありかなり得意でした。偏差値は国語と英語は55付近、数学は70付近でした。数学一強だったので、横浜国立大学の経営学部も視野に入れていました。

夏休み

一橋大学を目指していたので、一橋対策用の講座を取りました。
勉強は順調で、一橋の対策講座の講師からは数学はもう十分だといわれるぐらいでした。自分で言うのもあれですが、この時期はかなり頑張っていました。ここで、学費のためにバイトを始めました。勉強に支障が出ないように週2ぐらいだけ入っていました。


9月から10月

この時期、もちろん一橋大学を目指して頑張っていました。ただ、夏休みの現役生の伸びは想像以上で自分の偏差値も伸びがストップしました。E判定からB判定に上がる現役生、一方で浪人生の私はDからC判定をウロウロしていました。普通に焦っていました。自分の中では頑張っていたのに結果が出ない。もっと頑張らねば、そう思い冠模試に向けて頑張っていました。

11月

ここだけ一か月でまとめます。なぜなら、問題が起こったからです。アレルギーを発症し、この月はまともに勉強できませんでした。10種類前後の薬を服用し、ほとんどの時間寝ていました。喉がふさがっていて声も出ないのと、ご飯もゼリー以外は何も食べられませんでした。ゼリーですらきつかったくらいです。自分自身の体調もありますが、このコンディションで予備校に行くのはどうなのかと思っていました。移らないものだとしても、周りは真剣に受験に挑もうとしている。そんな中で具合が悪そうなやつがきたら自分だったら怒ると思います。
実は色々な観点でこのアレルギーは本当に時期が悪かったのです。一度しかない冠模試の受験時期も11月、また大切な最後の模試も11月に集中しています。私はまともではない体調で受験するしかなく、無論過去最悪でした。
今まで頑張ってきたものは何だったのか。努力を全否定されたような気がしました。もう頑張る理由がないのならば、諦めよう。そう思いました。
この時期にモバイルゲームにのめり込みました。

冬休み

塾の自習室と家の往復生活でした。一か月のブランクもあり、基礎から勉強しなおしていました。情けないという思いのみでした。自分は一年間なにを頑張ってきたのだろうか、そう思うと毎日吐きそうでした。一橋志望を辞めて横浜国立大学志望になりました。

共通テスト

何だかんだ頑張ってはいましたが、無理なムードが流れていました。
共通テストの結果は
国語 6割
数学 7割
英語 6割
社会 5割
生物 5割
でした。生物は去年難化したので今年は易化するだろうと思い勉強していましたが、解いてみると頭の中が?で埋め尽くされていました。英語が少し下がりましたが、許容範囲ではありました。

私立受験

共通テストは微妙でしたが、二次試験の数学に頼れる横浜国立大学ならワンチャンと思い、私立は安定を取りに行ったつもりでした。

受験校と結果を記します
嘉悦大学経済学部:合格
東洋大学経済学部:不合格
成蹊大学経済学部:合格
中央大学経済学部:不合格
慶応義塾大学環境情報学部:不合格
 
受験順番は覚えていませんが、嘉悦大学だけ三月受験で受けました。
成蹊大学に合格しましたが、横浜国立大学には受かると思い合格手続きはしませんでした。
親はまあまあ喜んでいましたが、僕は絶対に行きたくなかったので辞退しました。親は今年で受験を終えてほしいと言っていたので、国立に落ちた時点で日東駒専レベルを三月受験で受けてほしかったそうですが、知り合いがいないFラン大学でテキトーに生きていこうと思い嘉悦大学に行こうと思っていました。プライドで成蹊大学<嘉悦大学、となっていました。
恥をさらすなら下で密かに生きていたいと思ったからです。

国公立受験

前期後期ともに横浜国立大学を受験しました。
合否はもちろん不合格。
前期は数学の大問3つ中2つ完答、1つが半分でした。
まあ、これなら行けるだろう。そう思ってウキウキで横浜駅まで歩いていました。ようやく浪人生活が終わる、良かった。そう思い道中で問題を見ていると確率の問題で(1)からミスをしていたことに気付き、絶望しました。これで良くて半分、共通テストでマイナスだから無理かぁ…となりました。後期も無論無理でした。
成蹊大学を蹴ったので、進学先もない。専門学校行くかぁと思っていましたが、両親に大学に行くように言われ、上記のようになりました。

春休み

もう何も頑張りたくありませんでした。
本当に嘉悦大学に行く予定でした。身の丈に合った大学に行けば偏差値や受験から離れられる。そう思う入学金まで納めましたが、両親は二浪目を勧めてきました。頑張る気はありませんでしたが、これで二浪目に突入しました。

二浪目

ここからはただのニートになります。予備校に通いたくないからです。区分もほぼないです。理由はニートに夏休みも冬休みもありません。まあ、大きな区分に分けて説明します。

春休み

毎日マンションの屋上に行ってここから飛び降りれば全てゼロになると思っていました。ただ、理由があって勉強を頑張ろうと思いました。それは浪人仲間だった人にいろいろな噂を吹聴されました。これにより高校での友人は一部を除き失いました。彼はその後も噓に噓を重ね、私を信じる一部の友人も被害に逢っています。彼は医学部志望を語っていましたが、夜間のよく分からない大学しか受からなかったのです。そいつより絶対にいい大学に行き、幸せな生活を送ろうと思い勉強を始めました。

冬休みまで

基本的に勉強をそれなりに頑張っていました。志望校は原点回帰で筑波大学総合学域文系でした。模試はほとんど受けずにスマホも捨てました。図書館に入り浸り、勉強をするか本を読む生活を送りました。友人も連絡を遮断していました。

共通テスト

スマホがなかったので、手応えを確かめられなかったのですが良くも悪くも自分のペースで解けました。
結果ですが
国語:8割
数学:8割
英語:7割
社会:6割
理科:6割
大分改善されました。一番うれしかったのは国語なのですが、古文満点、漢文1ミスでかなり上振れました。これなら筑波大学いけるかと思い出願しました。

私立受験

今回は絞りました。
成蹊大学:不合格
明治大学:不合格
三月受験で
帝京大学:不合格
國學院大學:不合格
でした。成蹊大学を落ちた理由は受験方式の変更です。なぜ受かった方式で受けないのかは聞かないでください。明治大学は受験したのですが、出願をミスして理系学部に出願しました。無論落ちました。三月受験の帝京なのですが、落ちました。ただ会場に行っただけです。理由は中期で受けた公立大学の合格を確証したからです。本当に何も考えずに受験させられました。お金の無駄ですね。恐らく共通テスト利用をしっかり活用すべきだったと思います。

国公立受験

結局受けたのは
筑波大学総合学域文系:不合格
謎大学:合格
東京海洋大学海洋工学部:不合格(?)
筑波大学は落ちました。国語は共通テストで実力があると過信しました。英語に注力しましたが、共通テストも低かったように無理でした。謎大学なのですが、共通テストの科目が絞って受けられたため、かなり余裕を持って合格できました。初めて中期を受けて受かったのでよく現役でも行けたのではといわれますが、共通テストが壊滅的なので、恐らく一浪目でギリギリだったでしょう。東京海洋大学ののですが、そもそも正規は不合格ですが恐らく追加合格の点数は超えていたと思います。ただ、間違えていなければ後期の追加合格は中期を蹴っていなければ出ないはずなので、不合格(?)とさせてください。シュレーディンガーの猫です。

まとめ

私が受験で踏み外したのは大きくまとめて
・体調管理
・休憩を入れられなかった
・悲観的で諦めてしまった
・スケジュール管理と親との意見のすり合わせ不足
でした。
みなさんはこうならないでください。
もし質問や相談があれば僕がこたえられる範囲で答えます。

現在の私

今は謎大学に通っています。学歴コンプレックスに苛まれることもありますが、案外楽しめています。ただ、怠惰なのでギリギリまで休んでフル単は逃しました。後期ももう三回休んでいます(アホ)。ゲーム依存症引き続き、スマホ依存性にもなっています。






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