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無色透明人間

君は「無色透明人間」を知っているか。

自分の意志が無く、他人の顔色を常に伺い生きている。

他人の評価に一喜一憂し、他人に「いい人」と思われる事で安心し

少しでも他人の顔色や声色が変わると敏感に反応し

「あの人は怒っているのではないか?」

「私の事を嫌いになったのではないか?」

などと被害妄想に囚われ、それ挽回する為にさらに自分を削り、
他人の為に尽くす。

気が付くと自分の判断というものは無くなり、

「あの人ならどう思うだろうか?」

「あの人はこの判断をしたら怒るかな?」

など、すべての基準が他人がどう思うか?になる。

さらに、一人の人ではなく色んな他人の顔色が気になり。

あの人とこの人の時では、真逆な対応まで平気でする。

何が正しく、何が間違っているのか?ではなく。

「あの人に対してはこう」と「この人に対してはこう」

それが無色透明人間の中では正義なのだ。

そんな無色透明人間はとても疲れる。。

気が付くと都合の良い、どうでもいい扱いをされる。

初めの頃は「ありがとう」なんて感謝されていたのに

今では、やるのが当り前になる。

逆にそれをしないと「え?なんでやらないの?」と、しかめっ面をされる。

そのしかめっ面が怖いから、またやる。

感謝されたい。「ありがとう」って言われたい。

私を必要と思われたい!なんて欲求が強まり、さらに余分な事までする。

すると、初めは「ありがとう!そこまでしてくれるなんて!」

と称賛される。

しかし、またしばらくすると「それ」をするのが当り前になる。

また「それ」をしなければ、しかめっ面をされる。

これの繰り返し。

気付けば、自分の仕事はおざなりになり、他人の仕事で一日が終わる。

そしてその手つかずの「自分の仕事」は誰も手伝ってくれない。

あなたは、散々他人の仕事を手伝ったのに


それなのに


他人はあなたの仕事を手伝ってくれない。




ふと






自分が透けて見える






無色透明になる






周りから自分は見えていない。




私は必死になって声をあげる。






私はここにいる!









けど




誰も見てくれない。



誰の瞳にも私の姿がない。




焦って、鏡見る。





あれ?





自分でも自分が見えない。




鏡の前に立っているのに。



立っているはずなのに。




鏡には何も映っていない。





あれ?




私はどこ?









ねぇ、







私って何色?





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