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ヤシの実

世の中には人知を超えた理解し難い超常現象が数多あり、ナスカの地上絵、ミステリーサークルなどは誰もがその存在を知る最たるものだろう。

先日、日本時間13:00頃に発見されたこのコーヒーとストローにもそれらと同様に、現在の科学では解明できない未知の力が働いているものと思われ、現場では昼夜を問わず検証作業が続けられてい...

ない。

小さい冷蔵庫にものを詰め込み過ぎた結果、気付かないうちになぜか底の角に穴が空いていて、冷蔵庫内がコーヒー牛乳まみれになっていて、体調は悪いもののこんなことでナースコールをするなど末代までの恥なので、1人何事も無かったかのように粛々と大惨事を処理し、残りを飲めるようにストロー刺して落ち着いた時の写真です。

後から思うと100円ちょっとで南国気分を味わえる気もするので(ヤシの実

図らずも外出自粛傾向の昨今におすすめできるライフハックを生み出してしまったようです(ヤシの実

紙パックが完全に覆われるヤシの実ケースがあると尚良さそうなので(ヤシの実

変な商品作れる企業の方がいらっしゃいましたら御一考ください。


そんなヤシの実を看護師さんに鼻で笑われながら

頭の中ではなぜか

「神のものは神にぃい!カエサルのものはカエサルにぃぃぃいいい!!」

と滝藤賢一さんが叫ばれているのがリピート再生されるようになり

これも病気の症状の1つだろうかと思いつつ


当たり前の話ですが

最近は白血病という病気について考える時間が多くなり

その治療過程で必要な骨髄移植、輸血、医療スタッフの方々の労力、治療費、治療期間などを考えると

特に骨髄移植や輸血はドナー側への負担があった上でのものなので

元々自己肯定感の薄い自分などでは、果たしてそこまで低い確率の治療に時間と労力をかけるだけの価値が、自分にあるのだろうかと思ったりします。

ニュースなどで見かける池江璃花子さんや古賀稔彦さんのような人間的に素晴らしい方だといくら労力がかかったとしても助けなければならない。

しかし自分の場合はどうだろうかと思うのは自分に限った話でもないと思います。


そんなことをこの前夜中に延々考えていたのですが、自分を一旦他人の位置に置いて、他人の中に混ぜて、離れたとこから見てる感じで考えると

例えば池江さんにも泳げない人にも、古賀さんにも柔道できない人にも、誰の命にも等しく同じ価値があり、どちらの命にも優先順位など無いと思えるので

そういう思考で病んでしまう時はそう考えるようにしたりと

それだけのドナーや他者への負担、諸々の労力、コストが必要な治療を受けた上で、それに見合う人間になれるようにと思いながら生きることが

「神のものは神にぃい!カエサルのものはカエサルにぃぃぃいいい!!」とか

コーヒーとストローの位置関係のように

本来あるべき場所に戻すということなのかもと思ったりします。

ひねくれたり斜に構えたりせず真っ直ぐな位置で受け入れることが、若い時期や冷蔵庫が狭い時は難しいですが

例えば病気だったり不慮の事故、事件、災害など、災いとしか思えないような出来事からも、人間関係とか色んな経験を積んで生きていく

そんな中でだんだん角が取れて丸くなって人間が出来てきて、七十にして心の欲する所に従って矩を踰えずみたいなところに行き着くんだろうかと思います。


それはそれで

人間としては真っ当な成長で正しい進歩に間違い無いのですが

創作の領域にまでそれが食い込んでくると

それまでの制作物の良さを殺すことにもなりかねず

丸くなった後の作品は丸いものの良さが理解できる年代、価値観になった人にしかわからなくなってしまうのではないかと思うことも昔から良くあり

逆も然りなのでどっちが良いという話でも無いのかもしれませんが

丸すぎて刺さらない

そんなものにはなりたくないとも思うので

結局いつまでも成熟と未熟の間で揺れているんだろうと、未熟な血液細胞に埋もれながら尚思います。











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