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『おもひでぽろぽろ』における「赤」:なぜタエ子はベニバナを摘むのか?

はじめに

 『おもひでぽろぽろ』は原作:岡本螢、作画:刀根夕子の同名漫画をもとにしたスタジオジブリ制作の劇場アニメである。

 原作漫画の連載は1987年から『週刊明星』でスタートし、現在、単行本として青林堂から全2巻にまとめられ、1988年に刊行されている。映画はこの原作をもとに高畑勲が監督・脚本を務め、1991年に公開された。
 舞台は主人公タエ子が小学校5年生だった昭和40年代東京、そして27歳になったタエ子が休暇を過ごす昭和50年代の山形である。以下、この映画の構造の一端を見てみよう。

1.タエ子と「赤」

 本作では小学校5年生のころのタエ子の服装が「赤」を基調として描かれている(以下、小学校5年生のころを「幼少期」とする)。
 たとえば、幼少期のタエ子を映すカットのすべてにおいて「赤い花型のヘアピン」を留めている。詳しくみると5枚の赤い花弁、中心部とピン本体は黄色のように見える。広田との初々しいやりとりのあった、その晩、布団のうえでパジャマ姿になっているときでさえ、このヘアピンを留めている。原作漫画でもこのヘアピンは見える。表紙のタエ子のヘアピンは暖色、はっきり赤いとはいえない。もっとも、原作漫画では寝起きの状態でもヘアピンを留めている。また、映画も原作漫画も同様に、大野屋で様々な温泉に入浴する際でもタエ子はヘアピンを外さない。
 他にも、タエ子の「赤いサスペンダーのスカート」は印象深い。5-3の教室をバックに27歳のタエ子と幼少期のタエ子が2ショットで映っている本作のティザービジュアル、本作ではじめて幼少期のタエ子が登場したとき、ラストシーンの幼少期のタエ子、いずれも、赤いサスペンダーのスカートである。つまり、本作のティザービジュアルとしての幼少期のタエ子、映画で初めてみせるタエ子、さらには、大人のタエ子と交錯させる「面影」としてのタエ子は、いずれも「赤いサスペンダーのスカート」で統一させている。
 本作で幼少期のタエ子がどのくらい赤い服装をしているのか、みてみよう。赤いもの、またそれに近いものを場面ごとに挙げてみる。便宜上、幼少期の回想シーンにそれぞれ通し番号と、原作漫画の原題を付すことにする。なお、回想3は映画独自の演出だと思われるため、丸カッコで独自の題を付す。

【回想1 田舎しらず】
〈放課後、夏休みの話を友だちとしているとき〉
・赤いサスペンダースカート・赤いヘアピン・赤い靴
〈田舎を母にねだるとき〉
・赤いサスペンダースカート・赤いヘアピン
〈ラジオ体操に行くとき〉
・赤い半ズボン・赤いヘアピン
〈熱海へ行く新幹線のなか〉
・暖色(赤色or桃色)のワンピース・赤いバッグ

【回想2 バナナとパイナップル】
・赤いスカート・赤いヘアピン

【回想3 (姉たちの紹介)】
・赤いスカート・赤いヘアピン

【回想4 給食】
〈読書感想文について嬉しそうに母に話すとき〉
・赤と白のジャンパー・赤いヘアピン・赤いランドセル
〈読書感想文を発表するとき〉〈牛乳を代わりに飲んであげるとき〉〈学級会〉
・赤いチェック柄のスカート・赤いヘアピン

【回想5 男女交際】
〈広田のことで他クラスの女子からかわれるシーン〉
・赤いサスペンダースカート・赤いヘアピン
〈クラス対抗 野球試合〉
・赤と白のジャンパー・赤い靴・赤いスカート・赤いランドセル・桃色の手袋・赤いヘアピン
〈就寝前〉
・赤いヘアピン

【回想6 生理のお話】
・赤いサスペンダースカート・赤いヘアピン

【回想7 ワガママ】
〈よそいきに着がえる前〉
・赤いVネックラインの入っている桃色のセーター・赤いスカート・赤いヘアピン
〈中華料理屋に行くよそいき〉
・赤い靴・赤いヘアピン

【回想8 25点】
・赤いスカート・赤いヘアピン・桃色のセーター(ひまわり柄)

【回想9 女優への道】
〈学芸会のリハーサル〉
・桃色のセーター・赤いスカート・赤いヘアピン
〈学芸会当日〉
・桃色の帯・赤いヘアピン
〈日大演劇部からのお誘い〉
・赤いヘアピン
〈ひょっこりひょうたん島を独唱〉
・赤いスカート・赤い靴・赤いヘアピン

【回想10 あべくん】
・赤いサスペンダースカート(柄あり)・赤い靴・赤いヘアピン

 そして、これら回想のほか前述の通り、現代と交錯する「面影」としてのタエ子の服装は「赤いサスペンダースカート・白い靴・赤いヘアピン」である。

 なぜこれほどまでに、幼少期のタエ子は「赤」を身にまとうのか。ここで思い出されることは原作漫画の表紙である。タエ子はサスペンダースカートではあるが、その色は深い緑である。靴と縄跳びの縄は赤色に見え、上半身のパフスリーブブラウスは桃色にみえる。つまり、「赤い」サスペンダースカートは映画版のみの演出である可能性が高い。

 「赤いもの」を意識してこの映画を観てみると「タエ子の赤い服装」のほかにも、いたるところに「赤い」要素がちりばめられていることに気がつく。

【回想1 田舎しらず】
大野屋に行くことがスイカを食べているシーンで決定した。そして、友だちがラジオ体操に行かないことが判明したシーンでは背景に、赤い地に白の横線の描かれた「進入禁止」の標識がある。大野屋へ到着したタエ子は、スワン風呂、グリム風呂、レモン風呂、人魚風呂、3色スミレ風呂とお風呂のはしごをした挙句、大浴場ローマ風呂につかるころには真っ赤にのぼせて倒れてしまった。

【回想2 バナナとパイナップル】
パイナップルとバナナが並んでいる八百屋を27歳のタエ子が通り過ぎるシーンから始まるのだが、それらの横には赤い精肉が並べてあった。

【回想3 (姉たちの紹介)】
姉たちの説明には赤が見当たらないように思えるかもしれない。しかし長姉のナナ子がエレベーターをミニスカであがる際に、白い紙でパンツを隠すシーンは少々エロティックであり、また、二姉のヤエ子は「宝塚のなんとかさんにすっかりお熱」というタエ子の説明の通り、愛の芽生えがみられるのである。これらは桃色または赤色で連想してもいいかもしれない。

【回想4 給食】
映画版では赤に関するものは特に見られないように思う。しかし原作漫画、映画いずれにも共通している点として学級会での「ベトナム戦争」というワードがある。漫画版ではこのあと給食を絶対に残してはいけないことになったが、苦手な食べ物をわざと落として踏んづける生徒や、壁の隙間に埋めこむ生徒、吐いてしまう生徒などが続出した。この状況を指してタエ子は「さながら戦場と化した」と評し「給食との戦いに勝った者だけが校庭で遊べた」という。つまり回想4では「戦争」というワードが重要な意味を持ち、しいていうならば流血や火炎などの赤が連想される。

【回想5 男女交際】
他クラスの女子にからかわれるシーン、広田とたどたどしい会話を交わすシーンなど、赤面するタエ子が何度も見られる。小学生の淡い恋愛が動き出したとき、夜空に浮かぶ大きなハートマークは鮮やかな桃色である。

【回想6 生理のお話】
生理は赤で表現できるし、夏風邪をひいて顔をほてらせるシーンもあった。男子に生理のことでからかわれると、タエ子は顔を真っ赤にして羞恥とも怒りともとれる言動をみせる。

【回想7 ワガママ】
父親に平手打ちをされ、タエ子の頬は赤く腫れる。

【回想8 25点】
25点という点数が赤点である。漫画版の14話「なわとび」のなかで、学校を休んだタエ子のために、トコちゃんという友人がタエ子の算数のテストを渡しにくるというシーンがある。トコちゃんは母親にタエ子の答案を手渡し「あの…見てませんから」と苦笑いする。母親はにこやかに笑顔で「いいのよ。また赤点でしょ。トコちゃん、お勉強できるからタエ子に教えてやってね」と返す。つまり、タエ子の算数のテストはいつも「赤点」であることが分かる。
また、分数の割り算を考える際に、タエ子がたとえとして挙げたものはリンゴである。その晩、タエ子と祖母がテレビを見ながらリンゴを食べていると、その隣室でなにやら話が聞こえる。母、ナナ子、ヤエ子が小声でタエ子の算数テストについて、あれやこれやと邪推しているのだ。「でも算数だけとびぬけてできないのよ」「タエ子IQ調べてもらったほうがいいんじゃない?」「ちゃんと聞いてれば分数の割り算なんて簡単だもの。バカだってできるわよ」こんな会話が、タエ子の耳にも入ってきた。タエ子は手元のリンゴを怒りのはけ口にしながらフォークで細切れにしていく。「だって…3分の2個のリンゴを4分の1で割るなんて…どういうことかぜーんぜん想像できないんだもの。だってそうでしょ。3分の2個のリンゴを…」赤いリンゴと不甲斐なさからくる怒りは、不覚にも赤を連想させる。

【回想9 女優への道】
学芸会にて、タエ子は「村の子1」という役を演じた。空を赤く染める夕焼けのセットで演じたのである。
そしてタエ子の演技が評判になり、日大の演劇部から声がかかる。盛り上がる母、姉たちをそっちのけで、父は頑として許可を出さなかった。「芸能界なんてダメだ」結局、タエ子の代わりに別の同級生が子役として起用される。深く沈んだタエ子の心だったが、商店街の電気屋さんのテレビから流れてきた「ひょっこりひょうたん島」に元気づけられ立ち直る。母との買い物の帰り道、赤い夕焼けに向かって雄々しく高らかに、足を踏み鳴らして吟ずるのである。タエ子の心の火は消えないのであった。不屈の闘志を「燃え上がる」と表現することに不自然はない。おのずとタエ子のなかに「赤」をみてしまう。

【回想10 あべくん】
 偽善を見透かされていたという恥としての出来事である。「赤っ恥」ということばの存在など、恥は赤色と関連づけられるだろう。

 このように幼少期のタエ子と、その周囲には明らかに「赤色」が配置されている。しかし27歳のタエ子の服装には、強いて赤色を用いることはなかった。赤の反復は、じつは27歳のタエ子の言動と深いかかわりがあり、この映画の根幹をなすといっても過言ではない。

2.なぜタエ子はベニバナを摘むのか

 「赤」がこの映画のキーワードとして反復されることを、別の視点から見てみよう。
 タエ子は去年も山形に行っている。これは、冒頭のシーンでのナナ子長姉との会話から判かる。山形の義兄家でタエ子は稲刈りを手伝ったようで、そのときの記念写真がタエ子の部屋に飾られている。そして電話は続く「今度はベニバナ摘むの!」
 ちなみに、27歳のタエ子が過去を回想する形で進むのは映画独自の演出で、原作漫画では幼少期のタエ子を主人公に据え、その日常を描いている。つまり、27歳のタエ子が田舎で農作業を手伝うといった設定は脚本家の高畑勲によるものである。
 さて、電話でタエ子のいう通り、映画ではベニバナ摘みを手伝うシーンが印象的に描かれる。ベニバナを摘んでいるシーンにて、タエ子は以下のように独白している。このナレーションこそが「赤の反復」の謎を解くカギである。なお、句読点や鍵括弧は私が付したが、基本的には映画字幕をもとに書き起こした。

【タエ子 ナレーション】
 この黄色い花から、どうしてあんなに鮮やかな紅色が生まれるのだろう。キヨ子義姉さんが悲しい言い伝えを教えてくれた。
 昔はゴム手袋のようなものはない。娘たちは素手で花を摘み、トゲに指さされて血を流す。その血がくれないの色をいっそう深くしたというのだ。一生唇に紅をさすことのなかった娘たちの、華やかな京女に対するうらみの声が聞こえて来るような気がした。
 ひと握りの紅をとるには、この花びら60貫が必要で、玉虫色に輝く純粋の紅は当時でさえ金と同じ値段だったという。水洗いした花を踏んだりもんだりして、水と空気に充分ふれさせると、黄色い花びらは酸化して、しだいしだいに赤味を増す。さらに2~3日ねかせれば、花は発酵してすっかり赤くなり、粘り気を帯びてくる。これを臼でついてしぼったあとダンゴに丸めて押しつぶし、天日で乾燥させればやっと紅の原料となる花餅ができあがる。
しぼりだした廃液も昔はムダにしなかった。黄色い廃液の中にふくまれる紅の色素をそのまま布にしみこませるのが紅花染めで。
「染まれー 染まれっ! 紅花染めなら 色よく 染まれ 色がよければ 気がいさむ」
 紅(べに)白粉(おしろい)や派手な着物に縁のなかった村の女たちは、この紅花染めをしてつつましい暮らしに彩りをそえたという。黄色い色素は水に溶け去り、木綿や麻は美しい薄紅色に染まる。
「わあ きれい!」
 今では機械を入れたり、いくぶん手間を省いてはいるけれども、こうした作業のすべてを毎日、花摘みをしながらくり返す。花餅はカビやすく、花は摘みどきがあって待ってはくれない。やっと摘み終えてふりかえってみると、いつの間にか、また新しい花が咲いている。
「フゥッ」
 梅雨の雨は容赦なく降り注ぎ、時には仕事が深夜に及ぶこともある。あっという間に一日一日がたち、私は快く疲れ、遠い昔の花摘み乙女の身の上を思った。もし子供の時、こんな手伝いをやる機会があったら読書感想文なんかじゃなくて、もっと生き生きした作文が書けたのに…。

 なぜ紅花摘みなのか。この映画にて「赤」は「小5のタエ子」のモチーフとして描かれている。ナレーションのなかにあった「振り返るといつの間にか、また新しい花が咲いている」という「ベニバナ」の特徴と合わせて捉えると、「タエ子のおもひで」が次々と思い浮かんでいく様子を表現しているといえる。「赤」で印象づけられたタエ子は、「ベニバナ」を摘んでいく。「おもひで」を一つ一つ解きほぐしていくのである。

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