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「ロスジェネが見た風景」
私は、気が強いのにセクハラされやすい。
最初に就職した会社のT社長も、そうだった。
きょうだい経営で、景気のいい会社で、当時は社内でセクハラし放題だった。
クリスマスイブの夜に個人的に誘われ、それを断ると、翌日、なぜか私の残業代だけカットされることになった。まじか、やってらんない。
だけど周囲の男性社員たちは、「それくらいうまくいなせなかったのは、お前が悪い」と言った。
「社会って、怖い……」。そう思いながら退職届を出した。
その後も、Tの会社はどんどん規模を拡大していった。
雑誌などのメディアでTを見かけることもあった。私はなんとなくもやもやしたまま、だけど、うまくその気持ちを言語化することができなかった。
「Tが亡くなった」という知らせを受けたのは、それからしばらく経ったある日のことだった。
私は結婚し、娘の世話と仕事に追われてバタバタとした日常を送っていた。
実家の母から、「そういえば、知ってる?……」と、ちょっと言いにくそうに電話口で告げられ、久しぶりに、Tの顔を思い出した。
怒りとか憎しみとか、悲しみの感情はなかった。ただ、「ああ、そうか」と思っただけだった。
けれども、その後も、Tが亡くなったことは、私の中からなかなか消えなかった。
心の奥底に追いやっていた記憶が、感情が、少しずつよみがえってくるのだ。Tだけではない。Tの弟であるY(当時、副社長)にされたこと。例えば、飲み会会場のエレベーターで口にキスをされたり、耳元でずっと「パンスト破らせて」と囁かれていたことなどを。
あの頃、いわゆる社内で「勝ち組」とされていたのは、セクハラを笑って受け流すことのできていた女性たちだった。
Yから「パンスト破らせて」と言われても、彼女たちはしかめっつらなどしなかった。「だったらお金入れてね」と笑顔で返し、破れたパンストの穴に千円札のおひねりを入れてもらっていた。
私は、その様子を、冷ややかに見ていた。
少し前のバブル期であれば、パンストに挟まっていたのは、おそらく千円札ではなく1万円札だったに違いない。自分の価値をお金と交換しても、所詮は安売りにすぎないではないか。
「あーなったらおしまいだ」。私は、心底、彼女たちを見下していた。
けれども、時代は流れる。#me too運動などが世界中で巻き起こり、多くの女性たちが「自分は被害者である」と堂々と名乗りでるようになった。
私は驚き、打ちのめされた。
自分を「被害者」と線引きするなんて、本当にできるのか。そんな、疑いの気持ちさえあった。
被害者となって、Tのセクハラを責めることもできず、かといって、抗えない現状を笑顔でごまかしていた彼女たちとは一線を引いていた。
なぜなら、私は、後ろめたかったのだ。
不思議なことに、私はTのセクハラに対し、被害者というよりも、奇妙な共犯意識を持っていた。
Tは、芸能人並みに忙しいスケジュールの合間をぬって、私には絶対ない仕事のノウハウや、視点を与えてくれていた。少なくとも当時の私には、Tの指導に対して「期待に応えたい」という気持ちが、強くあった。
その事実が、後ろめたかった。
「自分にも落ち度があったのではないか?」「もし、一瞬でも権力に流されたら、むしろ私は、不倫相手としてバッシングの対象になるのではないか?」。
それらを怖れた私の行動が、隙となって、Tのセクハラを助長させていたように思えた。
私は、自分を「被害者」と線引きするには、弱くて、ずるすぎた。
負けた、負けた。
今日も、SNSなどで、被害者となった女性が心ない声をかけられている。
「そんな格好をしているほうが悪い」
「される側にも落ち度はある」
「売名行為ではないか?」
けれども、それでもなお、古き時代に立ち向かう女性たちの、ピンと伸びた背中が、私には眩しい。
何もできなくて、ごめんなさい。だけど、ありがとう。ごめんなさい。ありがとう、ごめんなさい。
Tはもういない。Yはさらに、多くのメディアに出て活躍している。
私は負けた。時代に、自分に、負けた。だけど、これはいいことだ。小さな娘たちの寝顔を見ながら思う。
この娘たちの進んでいく道は、明るい。