【意外と知らない】ネパール・カトマンズの歴史を解説
ナマステ!
株式会社ラストパートナー取締役の宮田です。
弊社はネパール現地で日本語学校を運営しており、日本では登録支援機関としてネパール人材を日本の企業様にワンストップでご紹介しております。
弊社の代表と副代表の私はネパール現地での在住経験があり、私の父親はネパール人、母親は日本人のハーフです。
私は現在もネパールに駐在しており、現地で日本語学校の運営やネパール人社員のマネジメントを行なっております。
このnoteはこんな方に向けた記事となっております。
・ネパール人の採用を検討している採用担当、経営者の方
・ネパール人について理解を深めたい方
・ネパール現地の最新情報を知りたい方
◾️カトマンズの基本情報
1. 古代のカトマンズ
カトマンズの歴史は、古代にさかのぼります。紀元前3世紀頃には、インドからの影響を受けた小さな王国がこの地域に存在していました。特に、仏教の影響が強く、スワヤンブナートのストゥーパなどがこの時期に建設されたと考えられています。カトマンズは商業の中心地としても栄え、ヒマラヤ山脈を越える交易路が形成されていました。このため、様々な文化や宗教が交差し、ネパール独自の文化が育まれていきました。
2. 中世の発展
11世紀から14世紀にかけて、カトマンズはマッラ王朝によって統治され、文化と芸術が大きく発展しました。この時期、さまざまな寺院やパゴダが建設され、カトマンズは宗教的中心地としての地位を確立しました。特に、カトマンズ谷の都市(バクタプル、パタンなど)とともに、木彫りや金属細工が盛んになり、建築技術も高度に発展しました。また、この時代には、ヒンドゥー教と仏教が共存し、互いに影響を与え合う独特な文化が形成されました。
3. 近代の変化
18世紀後半、ネパール全土を統一したプリトビ・ナラヤン・シャハよって、カトマンズはネパール王国の首都となりました。これにより、政治的な重要性が増し、国際的な交流も活発化しました。しかし、19世紀にはイギリスとの関係が緊張し、1850年代には英ネパール戦争が勃発しました。戦争後、ネパールはイギリスの影響下に置かれることになり、カトマンズもその影響を受けつつ発展していきました。この時期には、インフラの整備が進み、都市の近代化が始まりました。
4. 20世紀の変革
20世紀に入ると、カトマンズはさらに変革の時代を迎えます。1951年には民主化運動が起こり、王政が変化します。その後、観光業が発展し、特に1960年代から1980年代にかけて、外国からの観光客が急増しました。これに伴い、経済も活性化し、多くのホテルや商業施設が建設されました。また、1960年代には教育機関も増加し、国際的な視野を持った世代が育成されるようになりました。しかし、同時に環境問題や都市の過密化といった課題も顕在化しました。
5. 現代のカトマンズ
21世紀に入ってからのカトマンズは、さらなる発展とともに、自然災害や政治的な不安定さに直面しています。特に、2015年の大地震は都市に大きな影響を及ぼし、多くの歴史的建物が損壊しました。その後、復興が進められているものの、依然として課題が残っています。しかし、カトマンズは依然として観光地としての魅力を保ち、国際的な交流の場としての役割を果たしています。文化的な多様性と自然環境の豊かさを背景に、カトマンズは未来に向けて新たな挑戦を続けています。
◾️まとめ
いかがだったでしょうか。
弊社は「日本とネパールの架け橋になる」をスローガンに、日々活動を行っております。今後も現地の生の情報をお届けできればと思っておりますので、ぜひフォローをお願いします。またネパール人の人材紹介も行っておりますので、外国人の採用を検討されている企業の担当者様はぜひご連絡をお待ちしております。
株式会社ラストパートナー
代表取締役:土岐 誠
設立年月日:2021年1月
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