もっと東京で消耗しない?

東京と言っても名ばかりの、自転車で通える距離にスーパーすらないただの田舎で育ったためか東京で消耗することも知らずに大人になってしまった。そしてお嫁に行ってしまった。
東京、東京、東京って食べ慣れない異国の果物を転がすような響き。
超クールなガールズバンド「赤い公園」がおいらの地元は西東京~って歌っていたな。
だいたい赤坂とか汐留で写真撮ってるのって西東京の人間なんだって。そしてだいたいおいらの友だち。
確かに、きっと、それはある。

というのも昨日、文学フリマ東京の帰りに秋葉原に寄ってみて、二、三年ぶりに見る萌えキャラのビルとか、ソフマップに展示されたウメハラさんのサイン色紙とか、みんな死ぬしかないじゃないって言ってるマミさんのフィギュアとかの写真撮ってた。
ほとんど無意識に、自覚のあるフリして衝動的にわたしはお上りさんだった。
秋葉原のちょっとアングラっぽい雑居ビルの地下にグッズ販売の店があって、側にいた腐女子の皆さんの後について恐々入ってみたものの置いてあるのが「ワンピース」のフィギュアばかりだと知っていきなり強気になったりして、結局わたしは何も知らない。

とてもDEEPな秋葉原を飲み込んだ、東京の街はとんでもなくDEEP。途方もないCHAOS。

山の手の電車に乗って、音楽でも聴きながら目を瞑って、そしてインスピレーションが降り立った駅の改札を抜けてみても、驚きと発見があっただろう。
もう少しこの東京を味わってみれば良かったな。

東京のど真ん中に住んでいて、毎日忙しなく仕事をしたり家事をしたりしている人は、東京は空虚な場所で、人間味とか温かみがあんまりなくって、人生に閉塞を見出しているらしい。
都会に暮らしていたブロガーが言うからには、それは厳然たる事実だろう。
けれども、わたしは東京が好きだ。

たくさん変な人がいて、毎日顔ぶれが変わって、窮屈なワンルームマンションの隙間を縫うように満員電車が走っていて、消耗している部分をじっくり観察すれば、色とりどりの摩擦の火花が煌めいている。
他人同士で越冬する虫みたいに身を寄せ合う、その関係が心地良い。誰かいるのに誰も喋らない、その無関心さが心地良い。

そんなことを言えるのは、そしてこんな記事を書けるのは、お前が東京の真髄を知らないからで、空き地だらけの地元で、社会生活の隙間を縫って生きてきたからだ。そんな正論を言って、ムカついている君がうらやましい。

もっと消耗すれば良かった。

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