「花のことば」という一つのソロ曲の完成形について
あるきっかけで歌詞を読み込んでみて、この楽曲の良さに改めて気づいたので、それを誰かに伝えたくて文章を書きます。
ちなみに相葉夕美担当Pではないので(担当じゃない人間をこんなに感動させられるのすごいな…と関心したという感じ)、なので担当のプロデューサーから見たら浅かったり当然のことを言ってるかもしれないですが、そこはご容赦ください。
前提
この楽曲を歌う相葉夕美さんは、お花アイドルという感じのキャラです。アイドルマスターシンデレラガールズのアイドルはだいたい一人一芸みたいな感じで、超能力アイドルだったりりんごアイドルみたいなキャラ付けをされてるのが王道なんですが、その中で相葉夕美さんは趣味がガーデニングというところから、お花アイドルという感じのキャラ付けをされています。
このように、自分や、アイドルそのもののことを花に例えることが多いです。この楽曲以外のソロ曲である「lilac time」と「Dreaming Star」も両方花の名前やメタファーがふんだんに出てきます(両方とも非常に聞き心地の良い曲なのでぜひ聞いてください。というか木村珠莉さんの歌声ってなんかヤバい周波数入ってんの?ってくらい気持ちいいと思うんですが、なんなんでしょうね)。
花のことばの歌詞の流れ
そのことを踏まえて歌詞の流れを見ていきましょう。自分は歌詞の中で時系列が変化していくことによってストーリーが表現されている歌詞が好きで、特に最初と最後に同じや似たフレーズを使い違う表現をすることで逆説的に変化を表すようなテクニックがすごく好みなんですが、この歌は顕著にその演出が用いられています。1,2,ラスサビの同じ部分歌詞を切り取ってみると、
特に1サビとラスサビの対比が美しいですね。最初はアイドルとして咲かせよう(成功させよう)、と努力してくれるプロデューサーに対して心を開いて、「手を繋いでお散歩」しながら「ひそかに想いが芽吹きだして」いたのが、2番Cメロとの時の経過を経て、「二人だけでお散歩した」くなって、想いはすでに「ひそかに咲いている」という風に状態が遷移しています。この対比はサビ直前のBメロ最後フレーズにも現れており、1番では
だったフレーズがラスサビ前には
と、私達の愛しき日々、というワードに遷移して行っています。この楽曲の時間経過そのものが、相葉夕美とその担当プロデューサーの歩みが表現されていると言えます。
「花のことば」とは
この楽曲は前述のラスサビのあと、こういうフレーズで〆られています。
「ステキな実がなりそうなら」というのは、表面的には「ひそかに咲いた想い」が結実する、つまりPを結ばれることを指していると考えられます。花の実は基本的に受粉しないと発生しないことから、お互いの想いが通じ合うメタファーとして、これも良いワードチョイスだと思います。
その場合の両手いっぱいのブーケというのは大まかに結婚を想像させる言葉です。そのブーケに込めた花の種類と本数で決まる花言葉にどういう意味が込められているのかは、想像に任せたいと作詞の方も言及しています。
そしてここに書いてあるとおり、ここのフレーズはもう一つのニュアンスとのダブルミーニングになっています。自分を花に例える相葉夕美さんの活動が「実」を結んだとき、というニュアンスです。
ここがこの歌のもっとも重要な点です。この歌は、「花の美しさや成長をあなた(P)と一緒に楽しむ相葉夕美さん」と「あなた(P)に見守られながら成長する花としての相葉夕美さん」の2つの視点が美しく重ねられた歌なんですね。
「花言葉」を尋ねて終わる歌ながら、タイトルは「花のことば」。このタイトル自体が「花に込められた想いを表す言葉」と「花(視点)の言葉」という二重の意味を表現しており、全てがここで回収される構造になっています。美しすぎる。
結び
花というものは元々色々なたとえに使われるモチーフであり、それをキャラ付けにもらったアイドルは、客観的に見てかなり恵まれていると思います。そのアイドルのソロ楽曲として、これ以上無い構造をした楽曲が作られていることにとても感動しました。
この楽曲が初披露されたのはシンデレラガールズ10thツアーのうち、唯一延期された愛知公演であり、そしてその延期されたおかげで九州公演で体調不良で披露できなかったこの楽曲を披露することができたのは、まさに公演日通り聖夜の奇跡と言って良いでしょう。
この楽曲が流れ始め、舞台上に九州公演の衣装を着た相葉夕美役木村珠莉さんを見つけた瞬間すべての事情を理解した観客は、イントロから歌い始めまで、大きな拍手を送ります。
楽曲の詞が実際に再現された、とても美しい瞬間でした。
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