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その6。◇脱スピリチュアルをしてみたら気が付いたこと。◇それに意味はないということに気が付く
小さいころから、安心のできる場所を探していた。
保育園生のころ、夜中に近くのガソリンスタンドでしゃがみこんで
帰ってこない父を待っていた。
今日は帰ってくるはず。きっと、もう少しで帰ってくる。あと5分。
私がこれをしたら、帰ってくるかな。といつも願掛けしていたと思う。
何回待ったのだろう。父が帰ってこないと知ったのは何歳だったのだろう。
わたしは、いつあきらめたのだろう。
小さいころからの父へのおもいが 重くて 深くて 目をそらしている自分に気が付いたとき、宝物を見つけた気がした。でも、その宝物をどう扱ったらよいのかわからない。
分かったつもりになっていても、またわからない自分を見つける。
そのくり返しの中で、父が帰ってこなかった ことに 私自身が
何の意味もないことに気が付いた。ただ、帰ってこなかったというだけのこと。
わたしは、父が大好きだった。なぜ、同じ時を過ごせなかったのか。今でも不思議なんだ。私が大人になってから、父と数回会うチャンスがあったが、
父は少しでも私たちのことに触れると、いつも泣いていた。
辛い夢を何度も見たそうだ。そうまでして、別々に過ごさなくてはならないってどういうことなのか?また意味を探してしまう自分がいる。
なぜ?なぜ?なぜ?
父は、3年前に64歳で突然この世を去った。脳梗塞だった。今では、身も心も自由になった父は、私たちのそばで応援してくれていると 姉が だれかから そんな ことを 聞いたって。
それならそれで、うれしい。
人生に意味を見出す 日々を 手放し そして、わたしは、安心のできる場所を 自分で つくる と きめた。
誰かがくれるものではなく 自分が 自分で 作るもの。
誰かは、その先に まじわることも あれば、 はなれることも ある。
つづく。