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10年間苦しんだレーシック後遺症が完治するまでの全記録

レーシック手術以降、

  • スマホを見るだけで眼が痛くなり、めまいがする。

  • 目の疲労がすごくて読書もまともにできない。

  • 頭痛がひどく、仕事に全く集中できない。

  • 太陽の光が眩しくて、外に出るのもしんどい。

あなたは今、こんな症状に苦しんでいるのではないでしょうか。



こんにちは。レーシック克服志太郎と申します。

私は、2012年に東京の某S近視クリニックでレーシック手術を受け、その後、眼の痛み・眼精疲労・頭痛・光の眩しさ・顔面のこわばり・めまい・ドライアイなどの症状に、約10年間苦しんできました。

スマホを見るだけで頭がくらくらする。めまいがして読書が続けられない。
一日中頭が痛くて仕事に集中できない

今まで当たり前のようにできていたことが、突然できなくなる経験をしました。

そして、どの病院を訪ねても「異常なし」の診断。辛い症状が全く良くならない。

絶望的な毎日でした。

私は、どうにかこの後遺症を克服しようと、この10年で様々な治療法や健康法を試してきました。

全く改善せずに途方にくれたり、少し改善したと思ったら、また元の状態に戻ったりと、三歩進んで二歩下がるような状況変化を繰り返し、だましだましこの眼の不調と付き合ってきました。

そして、2022年、ある偶然の発見から、この後遺症が完全に治るという経験をしました。

今では、眼の痛み、頭痛などの症状は消失し、手術前のような元気な身体で、仕事や趣味に全力で打ち込めるようになったのです。

スマホを見ても、読書をしても眼や頭が痛くならない。光がまぶしくない。こんな状態は何年ぶりだろうか。本当に信じられない気持ちでした。

大好きな読書ができるまで回復


当時は、全く回復しない状況に自暴自棄になり、死を考えたこともありました。

しかし、多くの人に支えていただいたことで、なんとかこの10年間生き長らえることができました。関わってくださった方々には、本当に感謝しています。

自分にできることは何かを考えたとき、

それは、レーシック後遺症で苦しんでいる方々に自分の経験を伝えることでした。

レーシック後遺症から回復した私の経験は、後遺症で苦しむ方の一助になるかもしれないと思いました。

そして、できる限り情報を発信をしました。

しかし、情報発信をしていた際、レーシック後遺症を体験していない、全く関係のない方から

「レーシックとあなたの眼の不調に因果関係はない。」
「その治療法の科学的根拠は?」「デマを発信するな。」

といった攻撃を受け、必要な方に大切な情報を届けられない経験をしました。

それらを防ぎ、本当に必要としている方に情報が届くよう、記事の一部を有料にしています。

私は、この記事が多くの方に読まれることを望んでいません。

  • レーシック後遺症で本当に悩まれている方

  • 手術前の健康な身体と生活を取り戻したい方

だけに届いてほしいと思っています。

後遺症を治すために日々情報を探し、この記事に出会ってくださったあなたを救えたならば、これ以上の喜びはありません。

※ 誹謗中傷や脅迫を避けるため、予告なく記事を削除する場合があります。ご了承ください。





私がレーシック手術を受けた理由

忘れもしない。私がレーシック手術を受けたのは、2012年の春。大学を卒業し都内のIT企業に就職をした年だ。

当時はTwitterやFacebookといったソーシャルメディアが流行り始めた時期で、私はその分野に希望を抱き、Webサイトやアプリ制作の仕事に打ち込んでいた。

レーシック手術を受けようと思ったきっかけは、学生時代にアルバイトをしていた会社の社員の方がレーシック手術を受けていたからだ。

その先輩は、博識で仕事もでき、とても信頼できる人だったので、

「術後特に問題は起きてなくて、快適だよ!」

という彼の言葉に背中を押され、手術を受ける決心をしたのだ。

もちろん、自分でも手術についての情報は事前に調べた。稀にハローやグレアといった軽い後遺症が残る場合もあるのは知っていたが、大きなものではないと判断した。

それよりも、視力0.1もない強度の近視と、わずらわしいコンタクトレンズ生活から解放されたいという思いが強かった。

手術をすればコンタクトやメガネは不要となり、この先経済的にも得になる。振り返ると当時の自分は極度の合理主義だったように思う。


事前検査と手術

私は早速、先輩に紹介された都内のS近視クリニックに足を運んだ。エレベータで高層ビルの上階に進むと、純白で清潔感のあるフロアが広がっていた。

手続きを終えると、名前が呼ばれ検査が始まった。検査はものすごく合理化されていて、私はまるでベルトコンベアーで運ばれる荷物のように次々と移動させられ、すぐに検査が終わった。

※写真はイメージです

自分は手術をしても問題ない角膜の厚さと診断され、手術の日程が決まった。

手術当日、手術着に着替え、手術室に向かった。担当医が自己紹介をして、すぐに手術が始まった。

洗浄液のようなもので眼が洗われた後、レーザーが照射され角膜を削っていった。タンパク質が焼け焦げたような嫌な臭いがした。

手術はほんの10分ほどで終わった。術後視界が少しぼやけていたが、帰りの電車内で広告の小さな字がはっきり見えた時の感動は今でも覚えている。


手術1ヶ月後の体調不良と退職

手術から約1ヶ月後、電車で職場に向かっていると、眼の周りから鼻にかけて違和感を覚えた。皮膚が麻痺しているような、顔の筋肉が常にこわばっているような感覚である。

それ以降、症状は徐々に悪化していった。顔の感覚がおかしい。何より眼の疲労と痛みが日に日に増していった。眼の奥の筋肉がしめつけられるような、極度に疲労したような痛みだ。

当時、私は仕事でwebサイト制作の業務に携わっていたため、ほぼ1日中PCの画面を見るような生活だった。手術前は当たり前のようにできていた仕事が、眼の痛みの為に1・2時間で耐えられなくなった。

また、それと同時に頭痛もするようになった。眼と頭が痛くなり、仕事が全く手につかない。スマホを見たり読書するたびに、めまいがして気持ち悪くなる症状が起こるようになった。

そして、とにかく外の日の光が眩しくて耐えられない。本当に地獄のような日々が続いた。

通常の生活が送れなくなった私は、何事にも気力がなくなり、心療内科でうつ病と診断され、入社1年目の冬に会社を退職した。


全ての病院で「異常なし」という絶望

眼の奥が締め付けられるような痛み、眼精疲労からくる頭痛。顔面が麻痺したような感覚。とにかくこの辛い症状から脱したい。

私は、眼科、脳神経外科、耳鼻科、心療内科、鍼灸院など、自分の症状と関係ありそうな病院を思いつくままに10軒以上は訪ねた

脳神経外科では、CTやMRIなどもとって精密検査もした。しかし、どの病院にいっても「特に異常はありませんね。」という無情な回答だった。

私が幼い頃からの顔なじみだった地元の眼科にいたっては、レーシック手術後にこのような症状になったことを伝えるやいなや、

「お引き取りください。お代はけっこうです。」

と、私を突き返した。

この眼科医は、以前私にレーシック手術を推奨していたのだ。この瞬間、私はこの医者が自らの保身に走ったのだと悟った。

私は何も言い返すことができなかった。ただただ医者というものの冷徹さ、無慈悲さに言葉を失った

そして、このどうしようもない自分の状況に絶望を感じた


レーシック後遺症で苦しむ人々

ネットで調べてみると、同じような症状で苦しんでいる人、いわゆる、レーシック難民が多くいることを知った。ブログで後遺症について綴る人、Twitterで辛さを訴える人、クリニックと裁判しようとしている人がいた。

私も、このどうしようもない怒りと絶望感をどこかにぶつけたい気持ちでいっぱいだった。

しかし、私は、手術をしたクリニックを訴えるという行動はできなかった。もう彼らと闘う気力がなかったのだ。仮に、彼らと闘いに勝利したところで、元の健康な眼は戻ってこない。そんな思いもあったのだと思う。

私の手術を担当した医師の名刺は今でもとってある。しかし、その医師に連絡することはなかった。相談したところで、彼にできることはなく、突き返されてまた嫌な思いをするのは自分だと思ったからだ。

私はこの時から、この後遺症を治すことだけにエネルギーを注ごうと決めた。


梶田眼科とプリズム入り眼鏡

現在は閉業してしまっているが、当時レーシック難民の間で有名な眼科があった。東京の梶田眼科だ。

ほとんどの眼科がレーシック後遺症について対処できない中、手術後に起こる不具合について丁寧に診察・対処してくれる、いわばレーシック難民の駆け込み寺的存在の眼科だった。私も藁にもすがる思いで受診したのを覚えている。

検査すると、私は「外斜位」「調節緊張症」と診断された。

梶田眼科で実際にもらった診断書

そして、

「あなたは元々外斜位をもっているから、レーシックしてはいけなかった眼だね。手術で過矯正となり、調節緊張も起きている。

と、言われた。

対処方法は、調節緊張が起こらないよう「プリズム入り眼鏡で生活しなさい」というものだった。

確かに処方された特殊な眼鏡をかけると、近くのものを見ても眼の疲労が少なく、多少眼の周りのこわばりのような症状が和らいだ

梶田眼科で処方されたプリズム入り眼鏡

「これで治りますか?」

と、先生に尋ねると、

「症状は和らぐが、一生この眼鏡はかけ続ける必要がある。

と、はっきり言われた。

そして、しばらくこの眼鏡で生活をしてみた。

しかし、眼鏡を外すと「過矯正状態」をより強く感じるようになった。一気にものが見えすぎて眼と頭がクラクラし、めまいがしてしまうのだ。

「この眼鏡に慣れてしまったら、眼の筋肉が弱り一生自分の眼で見られなくなるような気がする。」

そんな不安から、どうしても辛いときだけ眼鏡をかけるような生活が続いた。結局、このプリズム入り眼鏡も根本解決には至らなかった


筋膜治療と根本的に治らない10年間

手術翌年、症状が劇的に改善する出来事が起こった。ある日、整体師をしている地元の先輩から突然、

「最近、元気してる?」

と、連絡がきた。

「いえ、実はレーシック手術というものを受けてから体調が悪いんです。」

と相談すると、

「一度診てあげるよ。」

と、返事が来て、翌日にすぐ自宅に来てくれた。

「どうせ症状は変わらないだろう」

と、正直全く期待していなかった。

「かなり硬いね。ここに何かたまってるな。」

と、先輩はいきなり自分のお腹の筋肉を触りはじめた。

そして20分後、奇跡が起こった。

眼の周りの筋肉が「ジュワー」と緩んだ感覚になり、眼の痛みや頭が締め付けられる感覚が大幅に改善したのだ。筋肉のこわばりが無いせいか、鏡で見る自分の表情がまるで違う。

先輩いわく全身の筋膜(筋肉の表層にある組織)はつながっていて、お腹周りの筋肉が眼の周りの筋肉と連動しているらしいのだ。

すぎやま按腹治療院HPより

私は何が起きているかわからなかった。一番驚いたのは、翌日の朝である。太陽の光が眩しくないのだ。あれだけ外出時、太陽の光が眩しくて辛かったのが、嘘みたいに消えていた。

眼が軽い。こんな感覚は何ヶ月ぶりだろう。私はこの劇的な改善に感動し、目からは涙が溢れた。先輩は、

「今までよくがんばってきたね。」

と、言ってくれた。

周りの人に打ち明けられなかったこの辛い気持ちを、受け止めてもらったことが何より嬉しかった。



しかし、治療の効果は3日後くらいから徐々に消えていった。筋肉が再び硬直しだしたからだろうか、徐々に眼の痛みや頭痛がぶり返してきた

そして、また痛みが辛いときは、プリズム入り眼鏡をかけたり、先輩に紹介してもらった治療院でお腹の筋肉をほぐしたりという対処療法を繰り返した。

すぎやま按腹治療院からのアドバイス


この時期から、自分で筋膜施術ができるよう治療家としての勉強も行い、どこの筋肉を緩めると眼が楽になるかを試行錯誤した。

サプリや健康食品も沢山試したし、効果的な筋トレやストレッチも研究した。


治療の為に、新幹線で東京から奈良の整体院を訪ねたこともあった。様々な方法で眼の痛みや頭痛、光の眩しさは一時的には改善するようになった。


しかし、数日経つと眼や頭が痛み出し根本解決には至らなかった

この数年間で、治療のために一体どれだけのお金と時間を費やしただろうか。半ば諦めの境地だった。



2022年 後遺症を完治させた再現性の高い方法

レーシック手術を受けてから10年が過ぎた。眼が一時的に楽になる方法を知ったこともあり、眼に負担となるPCやスマホをほとんど使わない仕事を見つけ、なんとか続けられるようになっていた。

しかし、依然として、眼の痛みや頭痛、脳の疲労感からは解放されていなかった

痛みからくるストレスでイライラすることが多く、以前の仕事のパフォーマンスや健康な生活からは程遠かった。

そんな2022年の夏、10年以上苦しんだ眼の痛みや頭痛から完全に解放される出来事が起こった。

3日経っても、1ヶ月経っても、眼の痛みや頭痛がぶり返してこないのだ。

読書をしても眼が痛くない。
スマホを見ても頭が痛くならない。
脳がスッキリして仕事に集中できる。

10年間の試行錯誤し続けた努力が報われた瞬間だった。

あまりにも劇的な変化だったため、これはと思い、同じように数年来レーシック後遺症で悩んでいた女性に、この方法を紹介した。

「自分だけかもしれない」と思っていたが、なんと、2日も経たないうちに、彼女も後遺症からくる眼の痛みや頭痛、脳の疲労感が一気に消失したのだ。

この瞬間、私はこの方法の再現性の高さに確信をもった

その日の朝も、私はこの後遺症から脱却したい一心で、いつものように

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