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百人一首に選ばれた人々 その26
第四十五番歌 謙徳公 『拾遺集』恋五・九五〇
「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」
この人の名前は藤原伊尹(これまさ)であるが、死後正一位と謙徳公の諡を贈られた。この歌の意味は、上に書いたとおりであるが、これでは何が言いたいのか全然理解できない。この人の家集の『一条摂政御集』によれば、若い頃に自分につれなかった女に贈った歌だと分かる。
「あなたはまさか、私とつきあわないような哀れな人、お気の毒な人ではありますまいな。もしそうなら、あなたの人生はむなしく死んでいくだけのつまらない人生になってしまいますよ」という解釈になるそうだ。なんだか強引に口説いているとしか思えないのだが。
なんとも自信満々の嫌らしい、鼻持ちならない言いぐさだ。しかし、謙徳公という諡を贈られたくらいだから、この人は公私のけじめが付けられる謙虚な人で人徳も高かったのだろう。
この歌は、「君を幸せにする自信があるんだよ」と口説いていることになる。それは、いざというときには本気を出して物事に当たる男だということの証明になる。
そうか、この人は加山雄三と同じだったのだ。
「でもね、僕は君を幸せにする自信はあるんだ」(恋は紅いバラの台詞の一部)
凄い自信である。この男は本気になれば何事もきちんとやり抜く男だったのかも知れない。私みたいにぐうたらで自信も信念もない男は黙っているしかないが、古希を迎えてすっかり枯れた今の私にはどうでも良いことだ。
第五十番歌 藤原義孝 『後拾遺集』恋二・六六九
「君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな」
『後拾遺集』(696)の詞書きには、「女のもとより帰りてつかはしける」とある。だから、好きな女との逢瀬の後で詠んだ歌だと分かる。
この人は、第四十五番歌の謙徳公の三男で、非常な美男子だったという。だが、この男の運命は過酷なものだった。天然痘に冒され醜い姿になってついには死に至る。なんと、わすが21歳にして亡くなった。
才能豊かな詩人、歌人の夭折は、人々に歌人の夭折を悲しむ気持ちや残された作品に対する愛着を生む。それはあまたの例がある。現代詩関係では中原中也、立原道造、金子みすずなど枚挙にいとまがない。若くて才能がある人が夭逝したら、その才能が大きく花開くことを期待していた人々の希望はそこで終わってしまう。だから、残念だ、無念だ、花開く姿が見たかったと惜しむのである。
夭逝そのものは悲しいことだ。けれども、夭逝した人の才能を惜しんだり、悲しんだりしてくれる関係者がいるのは、まだましだろう。これといった才能もないままで、特にその死を惜しんだり悲しんだりする人がいない若者だって、それなりに多数いるのも事実である。
とにもかくにも、千年以上も前の人と同じことを、私たちは連綿と繰り返し、愛おしみ、嘆き、悔しがっている。和歌を通じて、そのことを知ってくれよと、定家がこの歌を配置したのであれば、定家の奥の深さは限りがない。