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102so『5枚の写真で語る旧町名』/都市のラス・メニーナス【第29回】

2020年から「路上観察の現在地を探る」として、いろいろな方をお招きして、その方が見ているものの魅力、また、どうしてそういう視点に至ったかなどを、片手袋研究家の石井公二編集者・都市鑑賞者の磯部祥行がお聞きしてきたトークイベント『都市のラス・メニーナス』主としてYouTubeで配信してきた。「ラス・メニーナス」とは、17世紀にベラスケスによって描かれた、見る人によってさまざまな解釈を生じさせる絵画。街も、人によって、まったく異なる見え方をしているはずだ。

現在、平井オープンボックスを会場として、毎月1回開催中。その第28回が2024年10月27日(日)に、102so(十二社=じゅうにそう)さんをお招きして開催された。

中央が102soさん。左は磯部祥行、右は石井公二(写真=丸田祥三さん

102soさんは、2023年3月に『旧町名さがしてみました in 東京』を上梓している。「旧町名」とは、変更されて消失してしまった行政地名のことだ。わかりやすいところでいえば、東京23区は戦前には東京35区で、いまの新宿区は「淀橋区」「四谷区」「牛込区」だった。この「淀橋区」「四谷区」「牛込区」が旧町名だ。

地名の本といえば、由来や歴史が雑学的に書かれているのが定番。本書はもちろんもそうしたことにも触れつつ、もっとくだけたことが多々書かれている。その理由が、1枚目の写真の説明で明かされた。

さて、1枚目の写真。なんと、旧町名ではなく、『VOW』シリーズの写真。「まちのヘンなもの大カタログ」と銘打って宝島社から刊行されていた、街中のものを「笑い」に変える投稿もので、90年代の路上観察を代表するエポックメイキングなものだ。これを中学生のころに古書で購入し、はまったことが旧町名探訪のルーツだという。

石井は、近年の路上観察で気になっていたことがあるという。路上観察の根本はユーモアなのではないか。しかし、現代において「これ、ヘン!」というと、下手をすると炎上する。「笑う」は「バカにしている」と解釈されてしまいかねない。あるいは「知識が足りない」「そんなことも知らないのか」というような感じになる。路上観察を「する」人の意識は時代によって異なるものだが、それにしても「ユーモア」で主張することが難しくなっている。

1枚目の補足写真は、VOW2に掲載されている、102soさんの「地元」の写真。地元では有名なこの看板。この違和感への突っ込みこそが102soさんの「旧町名」へのスタンスだ。しゅんけさんの投稿が、102soさんの著書に結実したのだ。

2枚目。旧町名を語る要素が凝縮されたもの。東京で住む場所を探していたときに見つけた「西新宿八丁目」という新町名と、表札に書かれた「新宿区柏木」という旧町名の対照性がある。本来は同時に存在しない者が並んでいる。こういう違和感が、VOWに通じる。「18年前、旧町名をさがすきっかけとなった、ほぼ最初の1枚がこれです」。

102soさんは、さらに2年ほど前、郵便配達の作業をしていたときに、郵便物に書かれた住所と表札に書かれた住所が異なることに気づいた。そこがルーツだ。

2枚目の補足。旧町名という概念。

3枚目。「板橋区練馬貫井町」。「練馬なのに板橋?」と思うだろう。1932(昭和7)年に東京市が成立したときには、いまの練馬区は「板橋区」に含まれた。それが終戦後の1947年5月に東京22区となり、8月に練馬区が独立した。「淀橋区」などと明確に異なる区名ではないため、東京で非常に強い違和感を持つことができる旧町名だ。

4枚名。「400年、名前が変わったいない村」。そこに旧町名の要素などあるわけない…!? 「旧町名がない」ことを知るためにも、くまなく歩き回らなくてはならない。その苦しみ。なんのために旧町名をしているのか…。

5枚目。「これ、旧町名って言っていいですよね!?」。どこのことだろう。「ampmは旧町名にしか見えないんです!」残っているものが「町名」である必要ないんじゃないの? いまはなくなったものが残っていればいいんじゃないの?

こうなる。「旧町名」とは、地名だけの話ではなく、概念にも当てはまる。

話せば話すほど、「旧町名とはなにか?」がわからなくなる。あれも旧町名、これも旧町名。現在の町名も将来的に変化する可能性があるなら旧町名といえるかもしれない。路上観察とは境界を考えるものであり、境界が定義できずに困るものでもある、というのが、102soさんの活動でも顕わになった。

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