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真・女神転生Ⅲ NOCTURNE HD REMASTER 〜令和だからこそプレイすべき傑作RPG

はじめに

 「真・女神転生」シリーズについては、もはや説明するまでもないでしょう。元は小説「デジタル・デビル・ストーリー 女神転生」のメディアミックスに端を発するこの作品群は、そのダークな世界観、奥深いゲームシステムなどからコアなファンに愛されたアトラスの名物シリーズですが、「怨霊や祟り神を蔑ろにしたせいで制作中に開発元がマジの祟りにあった」だの、「ゲーム起動時に極低確率で恐怖のメッセージが表示される」などといったオカルトじみた噂のおかげで、インターネット上でも話題になってきたシリーズでもあります。

 今回紹介するのは「真」シリーズの第三作目、「真・女神転生Ⅲ」のリマスター版です。「え? 今更?」と思われる方もいるかもしれません。何せこのリマスター版が発売されたのは2021年5月、もう3年前です。そもそも、リマスター元となったPS2版の発売は2003年、こちらに至っては21年前です。大体、真シリーズはもう既に最新作の「Ⅴ」、その決定版である「Vengence」すら発売済みです。これはひとえに私が作品に触れるのが遅かったからなのですが、ゲームを遊ぶのに早いも遅いもないんですから多めに見てください。


なんかこれ評判悪くなかった?

 さてこのリマスター版、発売時は何かと悪評が立ち、半ば炎上に近いような有様でした。曰く、「動作がもっさりしている」「無印の問題点がそのまま」「Unityで作られてる」……などなど。このせいで、今でもゲームタイトルで検索をかけると「炎上」だの「ひどい」だのサジェストがつく始末。ただ、これは初めに言っておきますが、ゲームのプレイ感に関わる問題点については、既にアップデートで改善されています。不完全な状態でゲームを発表してしまった開発元にも問題はありますが、インターネットの下馬評に踊らされてこの名作を体験し逃すのは余りにも勿体無いです。それだけは断言させていただきたいと思います。

探索用スキルを全て継承したライジュウ。アップデート後は合体時に継承するスキルを好きに選べるようになったので、こんな便利な悪魔を作るのも簡単です。


そもそもどんなゲーム?


 東京で暮らす平凡な高校生──こう表現される奴は大体平凡じゃない気がしますが、今作については本当に平凡です──だった主人公は、友人達と共に、担任教師のお見舞いに行き、そこで「東京受胎」というカタストロフの到来を目撃します。

 日常は一変、人類は一瞬にして死滅し、東京は「カグツチ」と呼ばれる光を中心とした球状世界──「ボルテクス界」へと変貌してしまいました。主人公は金髪の謎の子供から「マガタマ」という虫みたいななんだかよくわからないキモいものを呑まされ、悪魔人間「人修羅」と化したことで、東京受胎を生き延びます。

 友人達は、そして先生はどこに行ってしまったのか? そもそも何故、東京受胎は起きたのか? 何故、自分は人修羅にならねばならなかったのか? 主人公は、受胎後の東京に巣食う、神話や伝承の存在──「悪魔」と呼ばれる者達と戦い、時には彼らに協力を乞いながら、その答えを探し彷徨うこととなるのです。

仲魔から会話を仕掛ける事も。相性によっては一発で交渉成立することもあります。

 シリーズの名物であり、のちの他作品にも影響を与えた「悪魔会話」──敵として出現する悪魔達と交渉し、「仲魔」にしたり、戦いを避けたり出来るシステムは、今作にも存在します。これまでのシリーズの主人公は「悪魔召喚プログラム」を介して悪魔と会話していましたが、人修羅は半悪魔のため、直接悪魔と対話できます。「戦いを話し合いで解決できる」と聞くと、一見平和的に感じられるようですが、交渉次第では相手がブチギレて襲い掛かってきたり、そもそも相手がラリっていて話にならなかったり、力を吸われてそのまま殺されたり、貴重なアイテムやお金を持ち逃げされたりするため、下手をすると普通に戦うより緊張感のあるシステムで、ちっとも平和的ではありません。

 また、過去作には必ず一人はヒロインや人間の仲間が存在し、主人公を支えてくれましたが、今作にそんな人間はいません。そもそも普通の人間は受胎でほぼ全員くたばっているからです。頼れる仲間はみんな悪魔、そんな中で、普通の少年だった主人公もまた悪魔と呼ばわれ、かつて東京だった地を彷徨わなければならない。そんな孤独感や悲愴感も、本作の魅力の一つです。

「真Ⅱ」ではボスを務めた大元帥明王アタバク。カッコイイ。

 そして、「メガテン」の最大の魅力といえばやはり悪魔合体。2種の悪魔を合体させることで新たな悪魔を作り出す、奥深く、そして背徳的なシステムです。合体を重ねれば、仏教における四天王の一尊ビシャモンテン、キリスト教の天使長ミカエル、インド神話の破壊神シヴァなど、オタクなら一度は聞き覚えのある面々を仲魔として使役することも可能です。

 過去作と比較すると、いくつかの種族が統合され、仲魔に出来る悪魔の数自体は減ったものの、悪魔のレベルアップや、悪魔の能力を底上げする特殊な合体、自由度の高いスキル継承などのシステムが追加され、育成の自由度が高まりました。こだわりの悪魔を引き連れ、強敵を叩きのめした時の喜びは言葉にもなりません。

 また、今作の戦闘は「プレスターンバトル」と呼ばれる独自のシステムをとっています。一般的なターン制と異なり、味方側、敵側に交互に何回かの行動権(プレスターン)が与えられ、それを全て消費すると相手のターンに移行する……というシステムです。

味方悪魔の耐性を把握していないとえらい目に。

 敵の弱点をついたり、クリティカルが発生するとプレスターンの消費を抑えることができますが、逆に耐性によって攻撃を無効化されたり、攻撃を回避されたりすると、プレスターンを多く消費してしまいます。

 また、攻撃を反射、吸収などされた日にはプレスターンを全て失い、即座にターンが相手側に移ります。裏を返せば、相手に弱点を突かれたりクリティカルを取られれば余計に攻撃を受けることになりますし、回避強化、反射のスキルや、悪魔固有の耐性を活用すれば、相手のターンを奪うことも出来る、というわけです。

 このシステムのおかげで、上手くチームを構築し、したたかに立ち回れば一方的に相手を追い詰めることができますが、一回のプレイミスが全滅に繋がることもあり、一時も油断は許されません。そんな敵味方共にシビアなシステムも、このゲームの世界観を彩ってくれます。


シリーズの繋がりはあるの?

 シリーズ第三作目と最初に述べましたが、「真Ⅲ」には「真Ⅰ〜真Ⅱ」まで続いてきたストーリーの連続性はなく、独立した作品となっています。なので、この作品からプレイしたところで全く問題はありません。

 また、過去作でストーリーの中核にあった「Law(秩序)」と「Chaos(混沌)」という対立する2軸は、ゲームに関わる形では存在しません。過去作では、主人公の思想やパーティ構築がLaw(Chaos)に傾いていると反対属性のChaos(Law)の悪魔が召喚できなくなる……という制約がありましたが、今作にそのような制限はありません。

 過去作をプレイしていた私はこのことに戸惑いましたが、むしろシリーズ完全未プレイの方にとっては、自由に仲魔集めや悪魔合体を楽しめるという点で、メリットになるのではないでしょうか。むしろ、今からシリーズに触れるなら「Ⅲ」からなんじゃないか? とすら私は思います。

なんか敷居が高そうだけど……

「フランダースの犬」のラストシーンを連想させるゲームオーバー画面。「パトる」というスラングの語源です。

 真・女神転生Ⅲの難易度は、「ガキパト(幽鬼ガキとのチュートリアル戦闘で死ぬこと)」、「モト劇場(終盤のボスである魔王モトに一方的に攻撃されて死ぬこと)」などの言葉がネット上に残されていることからも分かる通り、一般的なRPGに比べて高いことが知られています。

 ただ、これらは基本的に最初に発売された無印版の話で、後に発売されたマニアクス版、更にそれを元にしたリマスター版にそこまでの理不尽はありません。少なくとも難易度Normalについては、一般的なRPGと同程度の程よい難易度、程よい緊張感に収まっていると私は感じました。……ただ、ある程度ゲーム慣れしている方であれば、初手からHARDを選択してみるのも一興かもしれません。

 また、この作品は真・女神転生シリーズの伝統に乗っ取ってマルチエンディングを採用しており、主人公の選択や行動によって、最終的に迎えるエンディングや、ストーリーの展開が変化します。

 ただ、周回前提のゲームか、と言われると私はそうは思いません。まず一度、自分の思うがままにプレイを進めてみて、まだ物語の謎を解き明かせていない、あるいは、まだ戦い足りない……そう考えるのであれば、もう一度ボルテクス界に足を踏み入れてみるのがいいと思います。

 元々、先に述べた通り育成の自由度は高いゲームです。一周目とは違う悪魔と旅を共にしたり、主人公のスキル習得方針を変えてみれば、また異なるプレイ体験が出来ることでしょう。

どうして今プレイすべきなの?

「シジマ」の指導者、氷川。選択肢によっては敵にも味方にもなり得ます。

 記事タイトルに「令和だからこそプレイすべき傑作」と書いたのには理由があります。この、「真・女神転生Ⅲ」の物語が、混迷するこの時代──混沌のインターネットを生きる私達の姿を描いているかのように思えたからです。

 主人公は、ボルテクス界を旅する内、自分と同じく受胎を生き延びた三人の人物と出会い、それぞれ異なる「コトワリ」を示されます。

 強い者、優れた者だけが生き残るべきとする「ヨスガ」のコトワリ。

 人類は世界を動かすための装置であるべきとする「シジマ」のコトワリ。

 ただ自分だけを尊んで生きるべきとする「ムスビ」のコトワリ。

 「コトワリ」とは、受胎によって一度は死を迎えた世界の、転生後にあるべき姿を示す指針であり、あえて現代風に言うのであれば「思想」です。それぞれ異なるコトワリを掲げた三人の選ばれし者はそれぞれの正義を掲げて邁進し、時には犠牲すら生みます。この作品には、悪魔は腐るほどいますし、世界は荒廃して雰囲気は重苦しいですが、悪人は登場しません。いるのは、自分のコトワリを狂気的なまでに信奉している正義の人だけです。

 改めて現実を見渡してみます。グーグル検索には商業主義が生成した真偽不明の情報が入り乱れ、フェイクニュースは瞬く間に拡散され、科学や客観的事実に裏打ちされた真実すらも否定する陰謀論が蔓延っています。SNSのタイムラインでは、コトワリに選ばれし者と同じく、自らの思想を信じる人々が、毎日のように議論を戦わせています。悪魔の蔓延る混沌のボルテクス界が、私にはそれらに重なっているように見えました。

 そんな現代のインターネットの中にあって、私達は何を頼りにすべきなのでしょうか? 人修羅と仲魔達との旅、彼の選択が招く結末は、それを見つめ直すきっかけになるのでは無いかと思います。

 平成の時代にアトラスが世に送り出しながら、令和の時代すら予見したかのような傑作RPG。未プレイの方は是非、お手元のゲームハードでプレイしてみてください。心を揺さぶるような体験が、きっと待っているはずです。

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