知識と言葉の理解力に、この頃全く自信がない
2022年9月21日。
先日、出かける長男に行き先を尋ねたら「シーシャ」と返事が返ってきたので5回くらい聞き返し、鬱陶しがられて軽く落ち込む母であった。
「何だって~?」とは、もはやドリフのコントの婆さんである。
長男が出かけた後、婆さんすぐに携帯で検索。
それから1週間前。
オンライン面談をした際、30代の代表の方が話す横文字のビジネス用語に苦戦。
「なるほど」と深く頷いたり、はははは!と爽やかな笑顔を見せたりしながらも、画面を直視したまま、腕の動きに気づかれないよう言葉を殴り書きでメモ。
面談後、上はジャケット下はパジャマのズボン姿のまますぐに携帯で検索。
ああそれなのにそれなのに、検索した言葉は覚えていても、せっかく調べた意味をすぐに忘れる。鶏は3歩歩くと忘れるというが、私は検索を終了して画面を消しただけで歩いてもいないのに忘れる。
なので、またすぐに調べる。今調べた言葉を。
デジャブ・・・・・?
世界の中心で愛だの恋だのいろいろと叫んでいたつもりだったが、はたと我に返ればいつの間にか端っこにいたようだ。
今日は用があって代官山を訪れたが、20~30代と思われる人々でごったがえしていた。ああ、世界の中心は今やこの年代の人々で、この人たちが新しい文化や常識なんかを作り出していくんだと思ったら、なんだかしみじみしてしまった。
おまけにこちらは痴呆に、足の小指の先くらいは確実に踏み入れてる感じ。
ちょっとお茶でもしようかな~♪なんて、突如秋めいた気候に浮足立っていたが、『老兵は消え去るのみ』とすごすご帰宅した。
普段あまりテレビを見ないので、仙人化しないようにしなければ。
それから最近、家電などの説明書きや、アプリの使い方、50年以上日本語を使っているのに、書いてある日本語の「意味が分からない」。
これまではサクサク理解して、いや、説明書なんて読まなくても「きっとこうやればいいのだろう」とできていたものが、何度も何度も説明を読み返しても「・・・・?・・・・」。
これまで私は機械物に強い方で、「え~、なにこれ~」という言葉を聞きつけると「どれ、かしてごらん」と颯爽と現れて、さっと設定して去っていくことに喜びを感じていたのに、今では「なにこれなにこれ!!!」と自分が世界の端っこで大々的に叫ぶ始末。
そして残念なことにだれも現れてはくれない。
今はまだ、「携帯で検索」して調べることができているからマシだと思う。日本語が理解できない時は、長男が自宅にいるタイミング&機嫌のよさそうな時を狙って「これってどういう意味?何しろってこと?」と聞ける。
老化によって前頭葉が委縮し、脳内伝達物質が減少してくるようだが、まさに実感。自分でどうにかしなくては、今後どんどん何もできなくなってしまうかも。